終わらない戦争の始まりに向けて・安里アサト『86―エイティシックス―Ep.2 ―ラン・スルー・ザ・バトルフロント―〈上〉』

 
 
 前回の藻野多摩夫氏の『オリンポスの郵便ポスト2』同様、受賞作出版後の次回作として刊行された本作。受賞作の『86―エイティシックス―』の完成度が高く、こちらも「続編は蛇足になるのでは」という危惧が聞かれたし、実際そうした声もあるが、個人的には1巻で描かれた結末に辿り着く為の物語として、読み応えがあるなという印象。

 戦争を描いた作品を目にすると、それがどれだけリアルなのかという事が気にされる様に思う。戦闘描写や兵士の心理描写、兵器設定、戦略・戦術考証の正しさなどが主に注目されるのだと思うが、本作における「戦争のリアル」とは、そこから少し離れた所にある様に思う。

 無人の自律無人戦闘機械群<レギオン>が人類を滅ぼすまで終わらない戦争を続ける。対する人間側は、休戦も降伏も許されない。

 この様な戦争の形は、現実にはまだ存在しない。通常ならば継戦能力を失った時点で休戦なり降伏なりが検討される事になる。日本もかつての大戦では本土決戦と一億玉砕を掲げて戦ったが、最終的には降伏を受け入れる事になった。では『86』にリアルは無いのか、現実とは全く異なる絵空事の戦争なのかと言えば、それは異なる。本作で描かれる戦争は、むしろこれから自分達の前に表れるかもしれない新たな戦争の形だ。

 本作では無人機による戦争が描かれるが、現実に米軍などは偵察や対地攻撃などに無人航空機を活用し始めている。自国の兵士の命を守りつつ相手に打撃を与える手段として、攻撃機の無人化という流れは正しい。

 現在、特に民主主義国家の軍隊では、人命が重く扱われる。それはなぜかというと、何も人道的な理由ばかりではなく、教育・訓練の為のコスト意識を除けば、「人が死ぬ戦争は自国民からの支持を得られない」からだ。支持が得られないという事は、「戦争を続けられない」という事だ。

 過去の世界大戦の様に、何百万人も戦死者を出す様な総力戦は出来ない。戦死者が出れば、必ず国内で反戦運動が起こる。特に米軍の様に、他国に派兵しての戦闘で戦死者が増えれば、自国の若者を死なせてまで他国に介入する意義はあるのかという論調が強まる。

 戦争には人の死に見合うだけの正当性が必要だ。

 侵略戦争による他国の植民地化が許されないものとなり、武力によって他国を併合し、覇権国家の地位を得ようとする動きは鳴りを潜めた。やるにしても、ロシアのクリミア併合がギリギリのラインだろう。(代わりに、経済的影響力を強める事によって覇権国家たらんとする動きはある)

 犠牲に対する見返りが少なく、兵士を無駄に死なせる様な人命軽視の作戦も容認されない現代戦では、戦争の正当性をひねり出す事に苦心する様になる。その意味で、対テロ戦争というお題目は最新のトレンドになる訳だが、それとて無制限の犠牲を容認するものではない。自国民が死ぬ事が戦争の歯止めになるという前提は、まだ失われてはいない。

 ただ、ここで逆に考えてみる。戦争で戦死者が出なくなれば、何が戦争の歯止めになるのか。

 精密誘導された巡航ミサイルが一方的に敵拠点を破壊し、無人航空機が遠隔操作で敵地を攻撃する。相手の反撃が届かないアウトレンジから一方的に敵を叩いて潰す。今はまだ先の話だが、今後陸戦兵器が無人化される様な事があれば、市街地占領の一歩手前までは歩兵が介在しない無人の戦争が遂行可能になるかもしれない。歩兵の代わりをロボットがする様にまでなればまるでSFだが、恐らく軍は大真面目に研究しているだろう。

 それは自国の兵士の人命を守る為だ。表向きには。ただ実現したとすれば、それは『終わらない戦争』の始まりを意味するのではないか。

 兵士が死なない戦争において、勝利以外に攻める側が矛を収め戦争を終らせるに至る要因は、戦費の増加による経済的負担しかなくなる可能性がある。本作に登場するレギオンは悪魔的に描かれているが、その実、兵器の無人化を推し進める現実の軍隊にとっては正に夢の兵器だ。そして、人的被害を「気にしなくて良い」状況は、開戦の決断と戦争継続を容易にする。味方の兵士の人命を守ろうとして推し進められる兵器の無人化は、当初の人道的配慮とは正反対に、上層部に武力行使という選択肢を容易に選ばせ、結果として相手側の戦死者をこれまで以上に積み上げる事になるのかもしれない。

 現実に置き換えて考えれば、本作における「戦争のリアル」とは、そうした「人間の倫理の欠如」であり、もっと言えば「人間の愚かさ」だ。

 それは無慈悲な無人兵器が人間を蹂躙して行く様であり、それに対抗する為に同胞を人間扱いせずに『無人機のプロセッサー』として使い潰した結果、その亡霊とでも言うべき<黒羊>によって焼かれる事になる人間のどうしようもなさだ。無人兵器をもって戦争に踏み切った帝国も大概だが、対抗する共和国の非人道的な人種隔離政策も負けず劣らず邪悪だった。そしてその人倫にもとる戦争のツケを支払わせられる羽目になるのが連邦やエイティシックス達というのも皮肉だ。

 人命を守る為の無人機という建前が開戦の引金を軽くさせ、無制限に戦争の長期化を許した結果としてより多くの血を流させる。戦争の愚かさ=人間の愚かさとはそこにあって、それはフィクションの世界には収まらない。子が親に似る様に、レギオンの残虐さもまた、人に似ている。

 

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ジャンル : 小説・文学

そのメッセージは希望になるか・藻野多摩夫『オリンポスの郵便ポスト2 ハロー・メッセンジャー』

 

 ライトノベルの公募新人賞でデビューした新人作家にとって、受賞作出版後の次回作は難関だと思う。

 通常、公募新人賞に送る作品は、その作品単体での完成度の高さを要求される。ただライトノベルというジャンルの特徴として、受賞作は続編を求められる事が多い。受賞作は受賞作として、ひとつの作品として閉じ、また新たな作品を一から書いて世に出すという選択肢も無くはないが、少数派だと思う。

 本作もまた、第23回電撃小説大賞で選考委員奨励賞を受賞したデビュー作『オリンポスの郵便ポスト』の続編として書かれている。ただ、作者が本著のあとがきで述べている様に、1巻が物語として綺麗にまとまっているが故に、続編を出す事についていかがなものかという思いもあった様だ。そしてそれは、本作に限らず、ライトノベルが持っている問題点のひとつでもあるのだろう。

 昔、何かで聞いた話で、「将棋の駒は、最初に盤上に並べた時の配置が最も整った布陣なのであり、一手動かして行く毎にそれは乱れて行ってしまうのだ」というものがある。ただ当然ながら、駒を動かさなければ相手に勝つ事は出来ない。自分が思うに、ライトノベルにも似た様な所があって、デビュー作で将棋の盤面に駒を並べた作者は、その後ライトノベル作家として大成して行く為に続刊を出さなければならないのではないかと思う。それはデビュー作が持っていた精緻な盤面を乱しながら先に進む事にもなる訳だが、それは作者も知った上で、それでもやらなければならない。そこに2作目が抱える難問があるのだろう。

 さて、話を本作の内容に戻すが、1巻を読んだ読者が疑問に思うのは、火星のテラフォーミングと移民計画が、《隕石嵐》(メテオストーム)という大災害と、それが引き金となって発生した半世紀に及ぶ内戦で頓挫してしまっている現状で、地球の側は何をしていたのかという事だ。地球は火星を見捨てたのか。その疑問に対する明確な答えは、1巻では意図的に省かれていた様に思う。

 火星の側が地球との通信手段を失った事は仕方がない。しかし地球の側は、通常なら探査機を送る等して火星の惨状を知る事が可能な筈である。そこで生じる疑問について、1巻では、「地球もまた、火星同様に《隕石嵐》による壊滅的な被害を受けたのではないか」「《隕石嵐》は地球側によって引き起こされた人為的な災害なのであり、だからこそ地球からの助けは来ないのではないか」という推論が述べられていた。そして本作を読むと、答えはどうやら後者寄りであるらしい事が分かる。

 火星を救う為、地球から全権大使を乗せた宇宙船を派遣する。

 今更、という気もするが、地球もまた《隕石嵐》による被害を受けていたらしい事を匂わせる記述があるので、程度の差はあるものの何らかの被害はあったのだろう。この辺り、説明不足なのか意図的な省略なのか初期設定からの変更なのか悩みどころなのだが、ともあれ宇宙船派遣計画は実行に移される。しかしながら、何者かの謀略の存在を思わせるある事件の結果、火星着陸目前で問題が発生し、全権大使を任された少女、メッセは着陸艇で一人火星に降り立つ事になってしまう。強行着陸を実施した母船との通信は途絶、当然地球との連絡も出来ない。

 家柄とメディア受けする容姿を武器に全権大使の地位に収まったメッセは、当然ながら一人では何も出来ない。右も左も分からない火星の地で、ローバーの運転も出来ないお嬢様には母船を探す事もままならない。そこでメッセの乗った着陸挺を発見したエリスが、共に母船を探す事になるのだが――。

 テラフォーミングが失敗し、災害と内戦の結果、緩やかに滅亡の道を歩む火星の人類にとって、地球からのメッセンジャーは希望になり得るのか否か。そして地球からの宇宙船派遣計画の阻止を企んだ黒幕の思惑とは何か。今後この物語はある意味で1巻の完成形を崩しながら、連作として新たな結末を目指して行く事になるのだろうと思うが、読者として次に期待するのは連作としての結末に本シリーズがきちんと辿り着く事だ。エリスが旅をする様に、作者もシリーズを完結させるまでの長い旅を始めた。その結末を見守りたいと思うし、その旅のゴールが、続編を出した事が間違いではなかったと思える様な結末であって欲しいと思う。

 

『好きなライトノベルを投票しよう!! 2017年上期』に参加してみる。

 今年もまた『好きなライトノベルを投票しよう!!』の投票用エントリを書く時期がやってまいりました。最近は半年が過ぎるのが本当に早いなという感じで、読めていない作品も多々あるのですが、自分が読んだ中からお勧めできるものを挙げて行こうと思いますのでお付き合い下さい。今年は余裕を持って早めに投票しようと思います。
 また、今はTwitterからの投票も出来ますので、「ライトノベル、好きですよ」という方は参加されてはいかがかと思います。他の人がどんな作品を推しているのか見るのがいつも楽しみな企画なので、参加者が増えてくれるといいなと思っております。


 上遠野浩平『螺旋のエンペロイダー Spin4.』
 【17上期ラノベ投票/9784048926027】

 

 毎回くどい位に上遠野浩平作品を推しているが、ライトノベル作家としてデビューして、後に一般文芸に軸足を移していく作家もいる中で、ライトノベルを主戦場に書き続けてくれる上遠野氏は自分にとって「ライトノベルとは何?」という定義におけるある種の基準である様に思う。
 本作の感想はこちらに。


 安里アサト『86―エイティシックス―』
 【17上期ラノベ投票/9784048926669】

 

 電撃文庫の作家陣では大ベテランの上遠野氏の次に、直近の大賞受賞者である安里アサト氏を。まだ読めていないけれど、丁度今月2巻が出たところ。1巻の完成度が高かっただけにハードルが高くなっている気はするのだけれど、頑張って欲しいところ。
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 藻野多摩夫『オリンポスの郵便ポスト』
 【17上期ラノベ投票/9784048926638】

 

 安里アサト氏と同様、第23回電撃小説大賞からのデビューで、こちらは選考委員奨励賞受賞作。こちらも丁度今月2巻が出たところと、何かと共通点が多い。
 電撃文庫で郵便配達員を主人公にした物語というと、自分は増子二郎氏の『ポストガール』を思い出すクチなのだけれど、これだけスマホが主流になって、皆がSNS等でメッセージをやりとりしている時代に、紙に書いた手紙を届けようとする物語が廃れないのは興味深いと思う。
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 葦舟ナツ『ひきこもりの弟だった』
 【17上期ラノベ投票/9784048927055】

 

 メディアワークス文庫からの刊行なので意識していなかったのだけれど、本作も先程の『オリンポスの郵便ポスト』同様、第23回電撃小説大賞の選考委員奨励賞受賞作。こうして並べてみると、電撃文庫とメディアワークス文庫のカラーの違いが際立つ。そして、両者が同じ公募新人賞から出ているという所にアスキー・メディアワークスの強みがある気がする。
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 長谷敏司『ストライクフォール 2』
 【17上期ラノベ投票/9784094516647】

 

 宇宙空間でのロボットバトルというジャンルに、スポーツものの要素を入れ込んだのがこのシリーズの新しい所だと思う。アスリートが勝つ為に自分自身を鍛え上げていく様を見て自分達が感銘を受けるのは、それが誰でもできる事ではないからだ。困難に向き合う事。壁を乗り越えて行く姿。そうしたものを見て素直に感動できる感性は失わないでいたいと思う。
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 牧野圭祐『月とライカと吸血姫 2』
 【17上期ラノベ投票/9784094516722】

 

 宇宙と言えば本作を忘れてはならない。本作もまた登場人物達の努力する姿が胸を打つ作品だと思う。
 ライトノベルでは登場人物達が結果を出す為に努力する物語は好まれなくなっているという話を以前どこかで見た気がするのだけれど、本作を読んでいるといや、まだまだ王道の作品も強いのでは、と思わされる力強さがある。
 本作の感想はこちらに。


 江波光則『屈折する星屑』
 【17上期ラノベ投票/9784150312671】

 

 王道があれば『屈折』もある訳で、少年漫画の様に登場人物達が夢を追い掛け努力する物語の裏側には、本作の様な物語もあるという事だろう。
 生きる上で、時に真っ直ぐには進めない事もある。それでもどこかへ進んで行かなければならないのが人間であって、結局自分にしかその道を選ぶ事は出来ない。自分の選択に、自分自身が納得できるのかどうか。他者からの理解や共感から遠く離れた所に、自分だけの答えはあるのかもしれない。
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 『BLAME! THE ANTHOLOGY』
 【17上期ラノベ投票/9784150312756】

 

 アンソロジーやトリビュートと言えば『伊藤計劃トリビュート2』もあったけれど、アンソロジーというもののあり方としては本作の方が趣旨に合っている様な気がする。あくまでも『BLAME!』という作品の世界観を使って、その中で各々の作家が自分の色をどれだけ出せるかという点で、本作は漫画でもアニメでも再現出来ない方法で『BLAME!』という作品の世界を広げる事に成功した。
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 オキシタケヒコ『おそれミミズク あるいは彼岸の渡し綱』
 【17上期ラノベ投票/9784062940603】

 

 小説ならではという部分では、本作を忘れてはならないのだろうと思う。
 最近は映像化される小説も数ある中で、小説という媒体ならではの技巧によって魅せる作品を読むと嬉しくなる。
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 上遠野浩平『製造人間は頭が固い』
 【17上期ラノベ投票/9784150312794】

 

 上遠野浩平に始まり、上遠野浩平に終わる。好きなので。
 本作の帯にある様に、何気に上遠野氏はハヤカワ文庫JA初登場だったらしい。結構縦横無尽に色々なレーベルから作品を出しているイメージがあっただけに意外だった。そして初登場と言えば、講談社タイガが創刊する時、執筆陣の中に上遠野浩平氏の名前が挙がっていた気がするのだけれど、あれからずっと待っていますがいつになるのでしょうか。編集部が忘れても読者は覚えていますので何卒よろしくお願い致します。
 本作の感想はこちらに。


 以上、『好きなライトノベルを投票しよう!! 2017年上期』への投票用エントリでした。
 投票結果の集計など、非常に手間のかかる企画を運営して頂いているので本当に頭が下がります。自分で本を読んで感想を書いて、という事を繰り返していると、結構区切りがなくて過去の感想を振り返るという事も無いのですが、半期毎に『好きラノ』がある事で丁度良い節目になっている気がしますね。
 さて、下期もまた面白い作品に出会える事を期待しつつ、今日はこの辺で。

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それは逃走か、前進か・上遠野浩平『ブギーポップ・ダウトフル 不可抗力のラビット・ラン』

 

 他人は自分が思う程には自分の事を理解してくれていないものだと思う。それは裏返せば自分もまた相手が思う程には相手の事を理解できていないという事で、つまりは何が言いたいかというと、相互理解の難しさとか、誤解とすれ違いの悲しさとか、そういった細々としたものが積み重なった先にある、もっと漠然とした、「生きるって難しいね」という事だったりする。

 個人的な話をすれば、精神的にちょっと弱ってしまって、最近会社を辞めた。そして受け持っていた仕事の引き継ぎの中で「君がこんな面倒な仕事をしていたとは思わなかった」的な事を何度か言われた。自分は仕事の内容に文句は言わない方だ。やれと言われれば何でもそれなりにやる。それが他人から全く注目も評価もされない類のものだとしても。

 不満が無い訳じゃないし、評価されたいと思わない訳でもない。割を食っても平気な訳じゃないし、この通り、精神的に強い訳でもない。でもそれらを口にするのはなぜか憚られる。

 こうしてみると自分は犬というよりウサギの様だ。もっとも、あんなに愛らしくはないが。

 ウサギは寂しいと死んでしまうという。でもそれはもののたとえであって、本作のあとがきで触れられている通り、本当は体調の変化や不調を表に出さない生き物であるが故に、さっきまで元気にしていた(様に見えた)のに、少し目を離したら死んでしまっていた、という事がままあるからなのだそうだ。なぜウサギがそんな習性を身に付けてしまったのかはそれこそ知る由もないが、精神的に折れるまで何の文句も言わず働いていた自分の姿を見ていた周囲の人達も、死んでしまったウサギの飼い主と同じ様な気持ちになった事だろう。今思えば申し訳ない事をしてしまったし、迷惑を掛けてしまったと思う。

 他人は自分が思う程には自分の事を理解してくれていない。

 きちんと言葉にしなければ、態度で示さなければ伝わらないものというのはあって、自分の様な人間はその事を知っている筈なのに、それが上手く出来ない。お互いに腹を割って、自分の中にあるものをさらけ出せば解決したかもしれない問題は世の中に山程あるのだろう。でも自分がそう出来なかった様に、相手もまた同じ様な不器用さを抱えているのかもしれない。

 自分もまた相手が思う程には相手の事を理解できていない。

 この事を、「人間は決して相互理解出来ない悲しい生き物なんだね」という様な言葉でくくってしまって、諦めてしまう事が出来れば逆に楽なのだろうと思う。人はどうしたって分かり合えないし、そんな人間が集まって集団を作ったところで全てが上手く行く筈もない。むしろ無理解とすれ違いが常態なのであって、その中で自分が少しでも有利なポジションを確保する為にどう立ち回るか、どうやって相手を出し抜くかという話でしかないのだと割り切れれば、少なくとも他人に理解して欲しいのに無理解に苦しめられるという悩みは抱えないで済む。ただ、そうした現実的な割り切り方を「理解できる」事と「実践できる」事は別問題で、多くの人はやはり他者からの承認を求めているし、自分さえ良ければそれでいいというほど自己中心的にもなれなければ、独立独歩を貫ける程強くもないのではないか。

 自分達は多分皆ブレている。

 周囲に左右されない、強く、自立した、揺るぎない、確固たる強さに憧れる一方で、他人から認めてほしいとか、褒められたいとか、理解して欲しいという淡い希望を諦め、捨て去る強さを持てない。一番にはなりたいかもしれないが、孤独にはなりたくないとか、他人から共感してもらいたいが、特別な存在にもなりたいとか、常に揺れ動いている。ブレまくっている。そのブレの幅、心の振れ幅の様なものに、自分達は常に影響されている気がしないでもない。時に自覚的に使いこなし、時に無自覚に振り回されながら。

 自分は何者になりたいのか。どんな自分であれば満足する事ができるのか。自分自身が自分の価値を認める事さえ出来れば良く、周囲の人間からの評価などどうでもいいと開き直れるのか、それとも周囲に認められる事でやっと自分の存在意義を見出だせるのか。どちらの価値観が正しいのか、またどちらも間違いなのか。或いはどちらも正しく、時として両者が入り混じっているのか。それも含めて、自分達はきっとブレている。たったひとつの、誰が見ても間違いのない、疑い様のない価値観や正解などという便利なものは、多分どこにもない。

 そんな中で生きて行く自分達は、まるでウサギの様に、他の獣に捕食されない為に絶えず周囲を警戒し、ビクビクしているかと思えば、痛みを表に出さないように平気なフリをしてみせたりもしている訳で、強いのか弱いのかもはっきりしない。そのラビット・ランは、何かから逃げている様でもあり、どこかに進んでいる様でもある。全くもってブレている。でもそのブレが生きているという事なのだとすれば、その走りを、自分達は続けて行くしかないのだろう。きっと。

 (逃げている事のツケに追い付かれる恐れからは、どうやって逃げれば良いと思う?)
 (それこそ平気なフリで、自分は前に進んでいるって事にするしかないんだよ、きっと)

 BGM “Leaving Without Us” by MONOEYES

 

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透明人間は存在しない・上遠野浩平『製造人間は頭が固い』

  

 製造人間。統和機構の中で唯一、『人間を合成人間に造り変える』能力を有した存在。その能力が唯一無二のものであるが故に、彼は組織の中でも特異な立場に置かれている。

 自分の存在が唯一無二のものである事。自分が特別な存在である事。周囲の誰もが自分に価値を見出してくれる様な、稀有な存在たり得る事。そんな事に憧れる時期は、誰にでもある。ただ実際にその価値を見出された――背負わされた時、人はそれを重荷に感じ、囚われた、束縛されたと感じるのではないだろうか。

 特別な力を持った存在を、他人は放っておいてくれない。ある者は取り入ろうとするだろう。ある者は恐れて避けようとするかもしれない。敵対する存在として抹殺しようと企てる者もいるかもしれず、その力の謎を解明して我が物にしようと企てる者も出るだろう。

 どんなに特別な力を持っていようと、他人に影響を及ぼす権力を握っていようと、「この自分を頼むから放っておいてくれないか」という願いだけは通らない。自ら働きかけなくとも、周囲がそんな『特別』を放っておく筈がないからだ。

 今流行りの『忖度』という言葉だって大方そんな様なものだ。仮に権力者が直接指示を下さなかったとしても、その影響力を自ら行使しなかったとしても、周囲の人間は勝手に彼の気持ちや思惑を推し量って動いてしまう。或いは、その存在を利用して自分が成し遂げたい事を推し進める為の後ろ盾として便利に使おうともするだろう。こうなってくると、直接指示した確たる証拠でもない限りは、権力者の意向があったか無かったかという議論は曖昧なままに留まらざるを得ない。いや、事の真相なんて自分は知らないけれど。

 では、無能人間ならば――誰からも顧みられない様な無価値な人間ならばそんな憂いなく生きられるのかというと、人はそもそも自分の存在に何の価値もなく、意味もなく、ただそこに存在しているだけという状態に耐えられないし、周囲もまた無力な人間こそ見付け出して都合よく利用してやろうと狙っている訳で、「自分がそこにいる事」を消してしまわない限りは、自分の存在そのものを投げ捨ててしまわない限りは、他人からの干渉を一切受けないという意味での自由など獲得出来ない。そして当然ながら、それはこの世から自分が消え去るという事を意味する。

 透明人間は存在しない。

 自分などはどちらかというと無能人間に近い方だが、それでもここにこうして存在してしまっている以上、透明人間にだけはなる事が出来ないのだろう。それを悲しむべき事と捉えるのか、どんな人間にもそこにいる意味はあるのだと肯定的に捉えるのかは人それぞれだろうが、大きな権力や影響力を握っている者が日々感じているであろう不自由さと、何の力も持たないが故に存在の軽さに耐えられない人間の憂いと、どちらがより不幸な境遇かという比較には、恐らく意味はない。それらは表裏一体のものであって、自分にとってどちらがより性に合っているかという比較は出来ても、客観的事実としてどちらが恵まれているかという答えを出す事は難しいだろう。とはいえ、俗な話を言えば金や権力というものは、持たざる者から見ればこの上なく羨ましいものではあるのだけれど。

 持たざる者は持てる者の苦悩に思い至る程の余裕は無く、持てる者は持たざる者が無責任に不満を口にするのを気楽なものだと切って捨てる。ただ両者は断絶している訳ではなくて、互いが互いを束縛する様に関係性の糸に絡め取られているのかもしれない。

 さて、本作には、製造人間、無能人間、双極人間、最強人間、交換人間、奇蹟人間など、様々な『人間』が登場する。彼等は皆人間離れした能力を有しているか、自然に生まれた人間という定義に当てはまらない存在だ。それでもなお繰り返し、しつこい位『人間』という言葉が繰り返されるのは、彼等もまた人と人との間に存在する関係性から解き放たれた存在ではないという事なのかもしれない。

 昔のアニメソングではないが、『おばけにゃ学校もしけんもなんにもない』のはなぜかと言えば、彼等が『人間』ではないからだ。人間でないものは、人間のしきたりや法律や倫理観といったものに従って生きて行く必要はない。合成人間もその能力だけ見れば充分人間離れしている。その気になればお化けや妖怪の様に超然とした存在になる事は可能な筈だ。しかし彼等は自分達人間と全く同じ苦悩を抱えている。

 組織に属し、自分の居場所を確保する為に汲々とする事。自尊心を満たそうとする事。自らの存在意義を見付けようと思い悩む事。無力感に苛まれる事。他者からの干渉を疎ましく思う一方で、自分も無意識に他者に対して干渉してしまうという関係性から逃れられない事。挙げればきりがないが、それらは全て『人間』が抱える懊悩であって、いかなる合成人間であっても、あの最強人間であってもそこから自由ではないという所が、彼等が『人間』である所以なのだろう。仮にその糸が届かない先に存在する事が自由なのか孤独なのか知らないが、そんな立ち位置に至る事が出来るのはそれこそあの自動的な、不気味な泡くらいのものかもしれない。

 透明人間は存在しない。

 皆どこかで、誰かと繋がっている。見えない関係性の糸で結ばれている。そう考える時、自分はそこから自由になりたいのか、それともより強く結ばれたいと願うのか。思いは半々だ。その時の気持ち次第、置かれた状況次第で考え方や受け止め方などどうにでも変わってしまう。ただ自分が『人間』であって、この先どうあっても全ての糸が断ち切られた場所に至る事はないのだと分かっているのなら、時に絡んだ糸を切り、また新たな糸を結びながら生きて行く他に道はないのだろうとも思う。中にはどうしても断ち切れない糸もあるだろうし、結んでおきたくとも途切れてしまう糸もあるだろうが、そのままならなさの間に立つ人の事を、恐らく『人間』と呼ぶのだろうから。

 (で、人間関係を切って、別な人と結んでも、どうせまた『生き苦しい』とか言うんだろ?)
 (『人間』は辞められないし、透明にも自動的にもなれないからね)

 BGM “The Invisible Man” by Queen

 
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黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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