人間を深く知れば知る程に・浅井ラボ『されど罪人は竜と踊る 19: 灰雪の蹉跌』

 

 帯には『2017年秋TVアニメ放送!!』という文字が踊っているのだけれど、いっその事アナピヤ編とかやってくれませんかねって無理ですかそうですか。

 まあアニメ化の話はさておき、自分はガガガ文庫に移籍してから『され竜』を読み始めた人間なので、読者歴は浅い。それでも既に19巻という事で、思えば結構な期間浅井氏の作品を読み続けていると言える。今回はシリーズの中で定期的に刊行される短編集形式の1冊となっているが、自分は浅井氏の書く短編が割と好きだ。上下巻構成のボリューム感溢れる長篇を読むのも好きだが、短編集では収録作毎に違った味わいが楽しめるので密かに楽しみにしている。

 さて、どんな作品であれシリーズが長期化してくると新規読者が入り難いのではないかと要らぬ心配をしてしまう。上遠野浩平氏の様に、ひとつのシリーズを延々と続けつつ、他のシリーズも並行して展開して行くタイプ(まあ氏の作品は全て繋がっているのでひとつの巨大なシリーズ作品と言えなくもないけれど)とは違い、浅井氏の場合は『され竜』以外に出版されているシリーズ作品が存在せず、しかも『Strange Strange』の様な独特な短編集は読者を選ぶので人に勧め難い。自分は好きだが。

 自分達が生きている現実世界に存在する諸問題を、ライトノベルの世界観に持ち込んで再構成する浅井氏の手腕は、かつて『暗黒ライトノベル』と称されたが、氏の書く小説が『暗黒』なのだとすれば、その黒さは現実の闇に起因するのであって、全てが氏の想像や妄想の産物ではない事を明記しておく必要があるだろう。例えば本巻に収録されている『少女たちの肖像』で描かれる『闇』は、現実の世界でもそこかしこに潜んでいる類のものだ。

 そうした闇を覗き込みたいという暗い欲求は、誰しも持っている普遍的なものの様で、このブログでもマイケル・ストーン氏の『何が彼を殺人者にしたのか』という本を紹介した事があるのだが、かなり昔に書いた記事であるにも関わらず、今でも定期的に読まれている。それは怖いもの見たさが大半なのだろうと思うが、人が殺人者の履歴や犯罪者の動機を知りたがるのは、自分の中に、というかもっと漠然と、人間というものの中にどれ程の闇があるのかという事を知りたいと願うからなのだろう。

 実際、その闇は底無しなのだろうと思う。ただ、人が『底無しの闇』と聞いた時に『実際に想像する闇の深さ』には個人差がある。そして、人間というものを深く知れば知る程、その想像できる『底』は深さを増して行く。だからだろう、人間の闇を知ろうとする行為には果てが無い。どこまでも深く降りて行ける。

 浅井氏の小説が暗黒とされるのは、氏が想像できる『底』が他者のそれよりも深い位置にあるからなのではなかろうか。そこから醸成される闇の色濃さが、氏の作品の持ち味であると自分は思っている。

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弱い者達が夕暮れ、更に弱い者を叩く・安里アサト『86―エイティシックス―』

 

 “豚に人権を与えぬことを、非道と謗られた国家はない。


 故に、
 言葉の違う誰かを、色の違う誰かを、祖先の違う誰かを人の形の豚と定義したならば、
 その者達への抑圧も迫害も虐殺も、人倫を損なう非道ではない。”


 物語の冒頭で、本作の主人公の一人であるヴラディレーナ・ミリーゼの『回顧録』からの引用文として示される上の一文が、この物語を通して語られる事の本質を表している様に思う。

 北朝鮮がまた弾道ミサイルを発射したというニュース速報を聴きながら、本作を読んでいた。『平和な日本』というフレーズがまだ生きているのかどうか知らないが、隣国に目を向ければまだ休戦状態のまま南北に分断された国家が互いに睨み合う現状があり、また遠くシリアへ目を向ければ、政府軍と反政府勢力がそれぞれ他国の後押しを受けて代理戦争に近い泥沼の殺し合いを続けている。そんな中、日本では南スーダンへのPKO派遣の正当性を巡って、そこで「戦闘があったのかどうか」という問題で言葉遊びの様な答弁が繰り返されている。日本政府がやっている言葉遊びは、「『人間とみなされない者』を搭乗させれば、それは自律無人戦闘機械(ドローン)である。よってドローンがどれだけ損耗しようが自国の戦死者はゼロである」という、本作に登場するドローンの定義と同程度には力技だ。

 似た様な所では、民間軍事会社(PMC)のオペレーターが現地で戦死したり負傷したりしても、それは正規軍に属する要員ではないので公の戦死者数や負傷者数にはカウントされないという、今で言うところの『オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)』にも通じる様な薄気味の悪い『事実』がある。

 これらは相手に4本の指を立てて見せ、「この指は何本だ」と問い続ける行為にも似ている。国家が、或いはそれに代わる権力構造が、4本の指を5本だと言うならば、その問いに答える者は「指は5本です」と『正しく』答えなければならない。有色人種を劣等人種であり「人間ではない、豚である」と定義する国家では、「実際には人が乗っているドローン」という矛盾がまかり通る。“豚に人権を与えぬことを、非道と謗られた国家はない”からだ。

 その『豚』の側に立たされた青年達と、後方から彼等を指揮する事を命じられた『人間』側の少女が出会う時、物語は始まる。

 かつての敵国が遺した本当の意味での自律無人戦闘機械群<レギオン>から国土を防衛する為に、豚として扱われる有色人種――本来であればかつての同胞国民――をドローンに乗せてこれに対抗する共和国と、その支配層として城塞都市に引き篭もる白系種(アルバ)。史実におけるナチス・ドイツの優生学並みの隔離政策で都市を追われ、実質、戦場以外に生きる場所を持たず、人としても扱われなくなった『豚』達は、白系種を現実を知らない『白ブタ』と揶揄する。兵器の性能においても、数においても劣勢の共和国は、その優生学的な選民思想故に現実を見る事をしない。「優良種である自分達が、劣等種である敵国の遺物相手に苦戦を強いられているなどという事があってはならない」からだ。結果性能に劣る共和国の有人機<ジャガーノート>はドローンと偽られ、国内向けにはいわゆる『大本営発表』が繰り返される。「我が方の戦果は華々しく、損害は軽微、人的損害は本日も皆無である」と。

 現実から目を逸らし、自らの人権無視を正当化し、見たいものだけを見、聞きたいものだけを聴き、信じたいものだけを信じて生きて行く事。それがいつまでも続くものではない事に薄々気付きながらも、人はそれを止める事は出来ないのか。その人間の愚かさは、かつてTHE BLUE HEARTSが『TRAIN-TRAIN』の中で歌った様に明らかだ。

 “弱い者達が夕暮れさらに弱い者をたたく”

 弱い者が、追い詰められた者が、自分達の尊厳を守ろうとして更に弱い者を探し出して叩く事を始める。誰かに石を投げられた者が、その石を拾って更に自分よりも弱い誰かに投げ付ける。今この現実の世界で移民や難民を排斥しようとしている誰かは、決して選ばれた優良種でも特権階級でもない。むしろ弱い立場の人々だ。ナショナリズムに縋り付けば、自分の自尊心は満足させられるから。自分より劣った誰かが、自分より可哀想な誰かがいる事は、報われない自分の境遇を慰撫してくれるから。

 自分達は誰でも気付いてはいるのだろう。そうした愚かな振る舞いは止めなければならないという事に。しかし、知っていてもそれを止められないのは、止めようとしないのは、社会という大きな構造が、それを是として走っているからであり、その大きな流れに個人として逆らう事が無駄だと思っているからだ。

 繰り返すが、この現実では弱い者達が夕暮れ、更に弱い者を叩く。その音が響き渡る時に、社会の中で、また世界の中で個人がどう生きる事を選ぶのか。選べるのか。選ぶべきなのか。本作はその事を自分達に問うている。

 

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孤独に屹立する皇帝というあり方・上遠野浩平『螺旋のエンペロイダー Spin4.』

 

 現実の世界では、ドナルド・トランプ氏が第45代アメリカ合衆国大統領に就任した。「自分が言いたい事は相手が誰であろうがはっきりと言わせてもらう」とでも言うかの様な彼の姿勢は敵を作り易いのだろうが、就任時既に世論調査での支持率が40%、しかも不支持率は52%という事で、「だったら何で当選したんだよ」という話ではある。(トランプ氏自身は世論調査の結果はメディアの不正操作であると断じている)

 結局は対立候補のヒラリー・クリントン氏も嫌われ者であって、トランプ氏と「どちらがよりマシな方か」というババ抜きの様な選挙戦が行われた結果、首尾よく勝ちを拾ったのがトランプ氏だったのであろうという事は分かる。しかし、各党で行われた予備選挙の時点では泡沫候補も含めて(そもそもトランプ氏自身もその泡沫候補と目されていた筈だったのだが)多数の候補者がいた訳で、その中で勝ち残ったのがどちらも嫌われ者の二人だったと言うのだから不思議な話だ。泡沫だからといって、どこぞの不気味な泡よろしく自動的に浮かび上がってきたという訳でもあるまいに。

 人の上に立つ事になる人物がどの様にして歴史の表舞台に姿を現すのか。それを紐解いてみるとなかなか興味深いものがある。もちろん本人の意志もあったのだろう。しかしながら、中には運命の悪戯としか言い様がない道筋を辿って来た結果、気が付いたら権力者として祀り上げられていたという人物や、傀儡政権の長として自分でもどうにもならない内に「何だか形だけは偉い」という事にされてしまって、結局はああだこうだと他人の都合に引き回されながら不自由な籠の鳥として一生を終えた人物もいるだろう。

 よく典型的な独裁者として引き合いに出される『総統』アドルフ・ヒトラーその人も、元々は税務署で公務に就いていた父を持つ平凡な人間だったという。学業成績も思わしくなく、画家を志すもウィーン美術アカデミーの入学試験に落第し、その後建築家を目指してはどうかという助言を受けるも低学歴故にその道も絶たれた。ヒトラーがやがて総統となり、反ユダヤ主義を掲げる事を知る自分達からすれば、「この時大人しく画家か建築家になってくれていれば」と思わずにはいられないが、ではヒトラーが画家になり、その後通信兵として戦地に赴く事もなく、総統にもならなかった未来があったとして、そこでは反ユダヤ主義も虐殺も無かったのかと言われると、誰か別の、しかしヒトラーと似た経歴を持つ人間が、彼と同じ様な立場に祀り上げられて似た様な道を突き進んで行く事になったのではないかという気もする。

 人は自分が選んだから今の様な姿になったのか、それとも自分でも与り知らぬ力(=主に他人の都合)に引き回される様にここまで連れて来られてしまったのか。それは人によって様々なのではないかと思うが、自分の自由になるものよりも、自由にならないものの方が圧倒的に多いこの世界の中にあって、何もかも自分で選び取り、勝ち取り、掴み取ってきたのだと胸を張って言える人物がどれだけいるだろうかと思う。

 自分の意思決定にも常に何らかの外的要因の影響はあって、それを無視する事は出来ない。もしも本当に、外的要因からの影響を受けず、何もかもを自分の意志のみで決定し、皇帝の様に世界に君臨する=孤独に立つ者がいるとすれば、彼は恐らく世界を超越しているのではなく、世界から切り離されている。そういう立場に立たされてしまっている。もしも自分が同じ様な立場に立たされたとすれば、自分もまた彼の様に首を竦めるしかないのかもしれない。

 世界は自分の思い通りにならない。こう言ってしまえば、本当に何もかも思い通りにならないものに囲まれて自分達は生きている。その中で、唯一思い通りに変えられるものがもしあるのだとすれば、それは自分の内心だけだ。変わらない世界を受け止める側の「気の持ち方」が変われば、そこに映る世界は多少変わって見える事もあるだろう。価値観を変える事。自分の心のあり方を見つめ直す事……まあこんな風に書くと、それは途端に胡散臭い自己啓発の類に堕してしまう訳だが、自分達に出来る事は、精々その程度という気もする。

 では翻って自分は、そんな皇帝の様な心を持てるのか、持ちたいのか、と言われると、そんな超越した、超然とした場所に一人で立っている自分というものもまた、想像し難いものがある。時間が止まった様な場所で、静止した世界に囲まれて、やれやれと周囲を見回している自分。そんなものを想像するよりも、やはり周囲からの波風に揺らされて右往左往している自分の方が想像するに易い。『敗者の安寧』という言葉が一瞬頭を過るが、では『勝者の孤独』を背負って一人立つ事と、あれこれ思い悩みながら揺れる生き方のどちらがより辛いかと考えると、その答えは容易には導き出せないのだった。そもそも何が『勝利』で何が『敗北』なのかという事も含めて。

 こうして確固たる価値観を見出す事もなく、何かの結論に至る事もなく、自分はまだ揺れている。その揺れが止まる時は来るのか、来ないのか。それさえもまだ分からないままで。

 (そもそも皇帝の様なあり方ってのは勝者なんですかね、敗者なんですかね)
 (それを後世の歴史家に判断してもらえる程、自分は大した存在じゃないしね)

 BGM “Open The Door” by Ryuichi Sakamoto

 

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『好きなライトノベルを投票しよう!! 2016年下期』に参加してみる。

 もう こんな 時期か。(積んである未読本から目を逸らしつつ)

 という訳で、今回も『好きなライトノベルを投票しよう!! 』に参加させて頂きます。先ずは恒例の言い訳からスタートしますが、自分は多読ではないし、読書傾向も偏っているので、対象期間内に刊行された作品を網羅しているとは言い難く、また2016年下期に関しては先に書いた様に「買ったはいいが、積んである」という作品が多い為、「アレもコレも選出されてないんだがどういう事?」という向きもあろうかと思います。余りにも抜け漏れが多い為、今回は投票を見送ろうかとも思ったのですが、枯れ木も山の賑わいという事で、「ライトノベルと一般文芸の境界線上に位置するであろう作品をねじ込む」スタイルで行こうと思います。何だ、いつもと一緒じゃん。


 上遠野浩平『パンゲアの零兆遊戯』
 【16下期ラノベ投票/9784396635121】

 

 毎度毎度の事ながら、1作目は上遠野浩平作品から。
自分は毎回上遠野作品を推すのだけれど、「もういい加減分かったから」と言われそうな気がしないでもない。ただ、何と言われようが「好きな作家を挙げよ」と言われて真っ先に思い浮かべるのが上遠野氏である以上、ここは譲れないのであった。
 本作の感想はこちらに。


 朝倉ユキト『ノーウェアマン』
 【16下期ラノベ投票/9784061399518】

 

 現代社会で自分達が一番欲しているものはきっと他者からの承認であり、自分の居場所なのではないかと思う。新海誠監督の映画『君の名は。』が記録的なヒットとなった背景も多分そこにあると自分は思っている。
 誰かに認められたい。必要とされたい。自分の存在を肯定して欲しい。そうした承認に対する飢餓感がこの社会にはある。きっとこの社会に、そして世界にとっては取るに足らないであろう自分の存在を誰かに記憶していて欲しいと願う事。その願いが切実なものとして響くのは、自分達が個人として尊重される事に飢えている、この世界の有り様を端的に示しているのではないかと思う。
 本作の感想はこちらに。


 河野裕『凶器は壊れた黒の叫び』
 【16下期ラノベ投票/9784101800806】

 

 記憶の物語であり、居場所の物語でもある作品として、やはり河野裕氏の『階段島シリーズ』を外す訳にはいかない。本作についての感想はまだ書けていなかったのだけれど、言葉の選び方の綺麗さというか、登場人物達の台詞のみならず、地の文までも磨かれた言葉によって構成される物語は、小説ならではの魅力に溢れていると思う。
 同じ河野作品である『サクラダリセット』の映像化にあたって、この原作の『言葉の魅力』がどこまで生かされるのかも注目。


 竹宮ゆゆこ『あしたはひとりにしてくれ』
 【16下期ラノベ投票/9784167907310】

 

 こうして2016年下期を振り返ってみると、自分は本当に『自分の居場所』や『承認欲求』に関する物語を追い掛けて来たのだなという事に気付く。本作もまた、そうした物語の系譜だと思う。
 人間が生きて行く為に必要なものは色々ある。当然、衣食住とそれを支える収入は必要だ。日本は豊かな国だと言われる。ある意味でそれはその通りだ。紛争地域の様に着るものも住む場所も、食べるものもなく飢えて死ぬという悲劇から遠ざかる事に、この国は成功したかもしれない。しかし今になって自分達は、『個人として尊重されること』という飢えに直面している。そんな気がする。
 本作の感想はこちらに。


 坊木椎哉『きみといたい、朽ち果てるまで ~絶望の街イタギリにて』
 【16下期ラノベ投票/9784041049051】

 

 自分達は親を選ぶ事は出来ない。生まれて来る時代や、国や、社会のあり方を選ぶ事も出来ない。そもそも生まれて来る事自体を自分達は望んでいたのだろうか。などと書くと厭世的に過ぎる気もするが。
 それでも生まれて来た以上は生きて行かなければならない。何処かへ歩き出さなければならない。本作で言えば主人公の少年がある意味で『もう一度生まれ直す』為の一歩を踏み出して行く様に、自分が置かれた状況と、社会と対峙して行かなければならない。それが困難で、長い道程であると知りつつも。
 本作の感想はこちらに。


 三秋縋『恋する寄生虫』
 【16下期ラノベ投票/9784048924115】

 

 他者との関係性の物語、互いの居場所を求める物語といえば、本作もまた忘れてはならない。世の中には生きる事に不器用な人間がいる。その中には自分も含まれている様に感じるのだけれど、そうした上手く世の中に馴染めない人間にも何らかの居場所は必要だ。そんな時、不器用にしか生きられない者同士が互いの居場所になる事で、お互いを救う様な希望があってもいい。
 本作の感想はこちらに。


 綾里けいし『魔獣調教師ツカイ・J・マクラウドの事件録 獣の王はかく語りき』
 【16下期ラノベ投票/9784042560173】

 

 ライトノベルの中でも、人間が持っている暗い感情を掘り起こしていく作風はなかなか異色である様に思う。
他人を支配したいとか、無条件の承認=愛を得る為に手段を選ばないとか、そうした人間の『欲』を、どろどろとした暗い感情のままで物語に仕立て上げるとこうなる、とでも言うかの様な。逆に、そうした人間の『欲』を、無邪気に、エンタメとして表出させると異世界転生ものになるのではと思う。こういう事を言うと怒られそうだけれど、主人公が自分の為に作られた世界に生まれ変わって活躍の場を得るというのはそういう事かなと。
 本作の感想はこちらに。


 吉田エン『世界の終わりの壁際で』
 【16下期ラノベ投票/9784150312541】

 

 作品の中に何らかの寓意を見る様な物語というものはあって、本作もまたその中のひとつである様に思う。
 世界を分断する壁の外側と内側。自分はそのどちら側に立っているのか。そんな自分の立ち位置を確認しながら読み進めるのもまた興味深い。
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 冲方丁『マルドゥック・アノニマス 2』
 【16下期ラノベ投票/9784150312459】

 

 最早何も言う事はないレベルでただただ続きを楽しみにしているのが本作。
 ウフコックの魂に救いがあって欲しいと願わずにはいられない。
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 柞刈湯葉『横浜駅SF』
 【16下期ラノベ投票/9784040721576】

 

 最早大御所の貫禄を漂わせる冲方丁氏の次には新人の今後に期待という事でこの柞刈湯葉氏の『横浜駅SF』を。まあ単純に自分が『BLAME!』的な世界観が好きなだけとも言うけれど。
 元ネタを独自の発想で膨らませる手法は二次創作的というか同人的なパロディの面白さではあるのだけれど、これがなかなかどうして馬鹿にしたものでもない。
 本作の感想はこちらに。


 以上、『好きなライトノベルを投票しよう!! 2016年下期』への投票用エントリでした。
 とはいえ、まだ『テスタメントシュピーゲル3』も読めてないしどうしたもんだかという感じではあります。まあ本企画の主な投票対象一覧を見ても既に9割以上は読んでいない作品となっているので、何を今更という感じではありますが。もう新レーベルの乱立にはついて行けそうにありません。作家買いは別として。

 ライトノベル業界を支えるメインストリームの読者層と自分とはもう随分離れた場所にいる気がしていますが、雑食系本読みとしては相変わらずライトノベルと一般文芸の境界線辺りをうろつく様に読んで行こうと思っておりますので、お時間があればお付き合い下さい。それではまた。

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「既知」よりも「未知」を求めて・柞刈湯葉『横浜駅SF』

 

 新年明けましておめでとうございます。今年も一年、ゆるゆると本読みと感想書きを続けてまいりますので、お付き合い頂ける方はまったりとお付き合い下さい。年頭の抱負等は特に無い訳ですが、一応感想書きとしてはこれまで通り「ネガティブな感想は書かない」方針を貫いて行こうと思っております。

 さて、そんな今年の感想書きですが、昨年刊行の作品で読めなかった作品がまだ大量にありまして、まずは本作、柞刈湯葉氏の『横浜駅SF』を。以下、いつもの調子でお送りします。


 自分は弐瓶勉氏の漫画、『BLAME!』が好きだ。果てしなく巨大な階層都市を探索する物語に、何故か心惹かれる。だから、あとがきに記された様に『BLAME!』のパロディ色が強いプロットから生まれた本作にもまた、同じ様に心惹かれるものがある。

 自己増殖する『横浜駅』に侵食される形で本州のほぼ全域が横浜駅のエキナカと化し、人々はSuicaを体内にインプラントされ、『スイカネット』と呼ばれるネットワークに接続される事で初めて駅構内で生きる事を許される様になった世界。Suicaを持たない人間は自動改札や駅員に捕縛され、横浜駅の外に追放されるが、政府が崩壊した世界でエキナカから追放される事は、多くの場合、そのまま死を意味した。
 そんな横浜駅の外側で生まれた主人公のヒロトは、ある人物から『18きっぷ』を託され、生まれて初めてエキナカへと足を踏み入れる事になる。果てしなく広がる横浜駅の中で、彼は何を見付け、またどこへ導かれるのか。

 本州全域が横浜駅化した世界で、自己増殖する横浜駅の侵食を食い止める為に抵抗している組織が、北海道を本拠とする『JR北日本』と、九州の『JR福岡』であったり、明らかに映画『ターミネーター』シリーズに登場する『スカイネット』を思わせる『スイカネット』が人々を管理していたりと、一読した感じではパロディ色が強い。元ネタをどう使うかという部分で読者を面白がらせるやり方は二次創作的な面白さなのだが、そうした小ネタの積み重ねで『自己増殖する横浜駅』という荒唐無稽な設定を肉付けする事で世界観を固め、長編小説にまで練り上げるという筆者の力技は結構好きだ。読んでいて思わずクスッと笑ってしまう様な部分も多く、この世界観で更に外伝的な、或いは二次創作的な広がりを作って行っても面白いのではないかと思わせる。

 では、本作の魅力とはそうしたパロディ色の強い部分だけなのかというとさにあらず。自分がこうした物語を好む本当の理由は別の所にある様な気がする。それは本作の『元ネタ』である『BLAME!』にも言える事だが、きっと自分は『既知』に取り囲まれて生きる事の窮屈さを『未知』が大半を占める世界に触れる事で解消しようとしているのではないかと思うのだ。

 前にどこかで書いたと思うが、自分達は高度情報化社会で生きている。ネットワークは世界中を覆い、例えば地球の裏側で起きた事件を、自分達は一歩も動かず、部屋から出る事もなく知る事が出来る。それは便利である一方、自分達の世界を狭めている様な気もする。最早人類にとって未踏の領域は深海や宇宙にしか存在しないのではないかと思うが、それは閉塞感となって自分達の上に影を落としてはいないだろうか。

 例えばかつて悟りを開いたとされるブッダその人よりも、自分達は――あくまで知識の上だけではあっても――多くの事を知り得る力を有した。それが進歩であり、進化であるならば、自分達はより良い生き方や心のあり方というものに至っていなければおかしい。ネットワークの発達やテクノロジーの進歩というものは、自分達が「より良く生きる」為に成されてきた筈だからだ。しかし翻って自分達の生きているこの時代であったり、世界であったりを眺めてみると、自分達はまだそうした「より良い生き方」に到達していないばかりか、むしろ遠ざかってしまっているのではないかとすら思える。

 自分達は多分疲れ始めている。絶えず世界のどこかで紛争が繰り返されている事実や、閉塞化する社会のあり方に変化が見えない事に。自分を取り巻く社会が強固な枠組みを持っていて、個人の力でそれを変革する事が叶わず、むしろ自分のあり方を社会の形に合わせなければ生きて行けないという本末転倒に。そしてそれらがこれから先一生続いて行くのだろうという現実に。『全知全能』から『全能』を差し引いてみれば、後に残るのは「全ての事を知り得ながら何も出来ない」という無力感だ。自分達はきっと、その罠に嵌っている。

 だからだろうか。時に自分は『既知』の閉塞から『未知』の解放への逃避を試みる。まだ知り得ない世界があり、未踏の場所があるという希望に触れてみたい。既知のものに囲まれて、しかもその中のどこを探しても希望が見えないのだとすれば、いっそ広大な未知の世界の中に放り込まれてみたい。例えばどこまでも続く巨大な構造物の中で、自分の現在地も目的地も分からなくなる位に。そこにはまだ探索し、探求するだけの価値があるものが眠っているかもしれない。言葉にすれば陳腐だが、それが『希望』というものではないだろうか。

  

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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