近現代史を学び直す事の意義・百田尚樹『今こそ、韓国に謝ろう』

 

 今回は長文になってしまい、申し訳ありません。政治色が強い内容になるので、お嫌いな方はスルーして下さい。

 さて、政治色が強い本なので、一言Twitterで呟いて済ませるつもりだったが、反応を戴いてしまったので言葉足らずだった部分もあるだろうかと思い、長文を書く事にした。

 題名を見れば、「今こそ日本は過去の行いを反省し、韓国に謝罪すべきである」という本に見える。ただ通読してみるとそれは少し違っていて「日本人は併合時代に良かれと思って朝鮮半島に投資を行い、インフラを整備し、学校を作って人々を教育し、差別的な身分制度を改めさせる等、様々な取り組みをした。実際それは良い結果をもたらしたと思うが、現に今、韓国国民が併合時代を批判的に受け止め、反日的な言説が支持されるという事は、当時朝鮮に住んでいた人々の意思を尊重したものではなく、大きなお世話だったと言える。その事を反省すべきである」「セウォル号沈没事故で船長が真っ先に逃げ出す等、韓国人の国民性が恥ずべきものになってしまったのは、併合時代に彼等を教育した際に、最も大事なモラルを教え込む事が出来なかったからで、この事を日本人は反省すべきである」等、裏を返せば「日本は朝鮮の人々にこれだけの事をしてあげたにも関わらず、現在の両国関係が良好でないのは(韓国が反日的なのは)不本意だ」とする中身になっている。

 本著によれば、日本人は朝鮮に対して莫大な額の投資を行ったという。何せ併合前、文盲率が90パーセントを越えていたとされる朝鮮人にハングルを普及させるべく、小学校を全土に建設してまで教育の質を改善させようとしている。大韓帝国国民がそれを望んだかどうかという問題はあるが。

 通読して、(自分の様な日本人からすれば)特に批判すべき内容はない。なぜなら、こうした言説は立場を変えてみればいくらでも出て来るものだからだ。しかし、書き方が煽っているなとは思う。

 百田尚樹氏といえば、ベストセラー小説になった『永遠の0』の著者であるから、自分が書いたものが読者にどう読まれるかなど想定の範囲内なのだろうと思う。だから仮に韓国側の立場に立ってこの本を読んだとすれば、それがどれだけ不快な文章になっているか分かる筈だ。分かっていて、やっている。おちょくっていると言っても良い。一昔前に、『褒め殺し』という皮肉を効かせた言説が注目された事もあるが、本著はそれに近い。

 そこで自分は、本著に登場する『韓国』を『日本』に置き換えた本が出たら、さぞかし日本人にとって不快なものになるだろうと『今こそ、日本に謝ろう』というものをふと考えてみた。もちろん著者は米国人だ。

 「自主憲法の制定を妨げた事を謝ろう」「平和憲法を与えた事で安全保障を米国に依存する体質を作ってしまった事を謝ろう」等々、日本の戦後民主主義に対して米国人がひたすら謝り倒す(フリをして自分の正しさを主張する)作品だ。これに対してTwitter上で、ある方から「何故、正面から受け止めて批評せず、アメリカを持ち出すのでしょう?同列に扱って申し訳ありませんが、左巻きの人が、すぐに論点をすり替えて他人を攻撃する手法と同じ感じがします。真面目に読み返して、真に心からの感想を拝読して見たいものです。」とのお叱りを受けた。自分の感想を読まれた事で不快に思われたのなら謝罪しなければならない。本当に申し訳ありませんでした。

 ただ、自分が本作を真面目に読まなかったかの様な印象を持たれてしまった事は残念だと思う。自分は本作を真面目に読んだ上で、『今こそ、韓国に謝ろう』が成り立つならば『今こそ、日本に謝ろう』も成り立つよね、という立場を変えたものの見方、考え方をしてみたに過ぎない。そこに百田氏の著作を殊更に批判する意図はない。

 ベストセラーになったシンシアリー氏の『韓国人による恥韓論』という本がある。韓国人の目線から、自国のおかしいと感じる部分、恥ずべきだと感じる部分をまとめたもので、シリーズ化されている。自分は数ある、いわゆる『嫌韓本』の中で、韓国人の手による自己反省という視点が徹底されている本作が最も評価に値するものだと思う。日本人が同じ様な『嫌韓本』を出すと、そこにはどうしても他者を嘲る視点が含まれてしまう様に思うからだ。同時に、『日本人による恥日論』を論じる日本人がいてもいいと思う。それこそ忌むべき自虐史観ではないか、とまたお叱りを受けそうではあるが、自己反省が必要な部分は多かれ少なかれどの国にもあって、おかしいと思う事をおかしいと批判する言説が内側から出て来る事は健全な事だと思うからだ。例えば「安全保障の要である自衛隊が合憲か違憲かなどという問題で揉め続け、自衛隊の憲法上の位置付けを曖昧なまま放置し、自衛隊員の活動を正当に評価して来なかった」とか。

 話を『今こそ、韓国に謝ろう』に戻す。

 繰り返しになるが、百田尚樹氏は作家であり、自分が上に書いた様な「もし逆の立場から本作を読んだとしたら」「もし韓国を日本に置き換えて考えたとしたら」などという事はもちろん想定した上で本作を書いていると思う。つまり自分の書いた文章が読者にどう読まれるかなど分かりきった上で本作を書いている訳で、だとすれば韓国人が本作を読んだなら不快に思うであろう事も承知の上で書いているという事だ。自分ごときが言うのも何だが、もう少し、他に書き方が無かったものだろうかと思う。

 本作に書かれている事は、恐らく現代に生きる日本人も韓国人も知らない事が含まれている。もちろん自分も知らなかったが、それは学校で詳しく教えないからだ。極論だが、自分は日本史や世界史の授業で高校生までに教えるべき内容の比率を変えてみるべきではないかと思っている。戦国時代などは確かに勉強すると面白いものだが、実生活に必要な知識や国際感覚などは、近現代史にこそ学ぶべき部分が多いのではないか。現状の教育現場では、教えるべき内容が多過ぎて、近現代史に辿り着く頃には息切れし、受験内容に重要でない部分は酷く薄味になってしまっているのではないかと思う。近現代史をもっと濃厚に(できれば義務教育の中で)教わる機会があれば、なぜ日韓関係はこじれているのかとか、日米同盟とは何かとか、日本国憲法の成立過程とか、改憲派と護憲派のそれぞれの主張等の問題について、学生が「自分の意見」を持つ助けになると思うからだ。もしかすると教師の個人的見解を吹き込まれる事を恐れて近現代史には触らない様にしているのかもしれないが、(そして実際、授業中に個人的見解を開陳する教師はある程度いたが)そこを避けて通る事は出来ない様に思うのだ。

 それを踏まえて考える時、貴重な資料として使えるかもしれない内容を含みながら、本作はその書き方に相手をただただ不快にさせかねない要素が含まれていて適当ではない様に思う。出来れば本作に書かれている様な事実のみを淡々と列挙して、日韓双方の学生が資料として使いながら歴史認識に関する議論が出来る様になっていれば良かったのだが、そこまでの中立性を本作は担保出来ていないし、最初からその様に中立的な立場を取ろうともしていない。

 近現代史における日本の歴史観は自虐史観であると言われる。本著はそれに対するカウンターであるから、そもそも中立的な資料であろうとはしていない。自分の様に「中道から若干左寄り」くらいの立ち位置から見れば本著は若干右寄りであり、もっと左の人からすれば相当な右寄りという事になるのだろうが、「自分の立場を固定して議論する事は不毛である」というのが自分の持論だ。自分が立つ場所が正義であり、それ以外は間違っていて、敵であるという思想で戦うなら議論の必要がない。それはただの口喧嘩であり言論プロレスだ。

 極端な話、日本がこの先良くなるのなら現政権が存続しようが政権交代が起ころうが自分は構わない。改憲派と護憲派のどちらが勝っても、結果日本が良くなるのであればいいと思っているし、その時々の政策において日本を良くしてくれるであろう方に自分は投票する。もっと言えばそれぞれの派閥に属する人々にはいい加減言論プロレスのリングから降りて、お互いの政策課題をすり合わせてより良い政治を実現できる様な体制に変わって行ってもらいたい。国会中継をプロレスの様に観戦する趣味はないのだが、たまに見ると俗に言う「しょっぱい試合」が多くて見るに堪えない。

 言論プロレスという事で言えば、本著は韓国に対して非常に挑発的である。マイクパフォーマンスが上手いレスラーの様だ。本著をヒールと見るかベビーフェイスと見るかは人それぞれだろうが、題名から謝罪しようという姿勢を覗かせておいて、蓋を開けてみれば「まあ自分達は良い事をしたと思っているんだけれど、余計なお世話でしたね」という落とし方は、垂直落下式ブレーンバスター並みの落とし方で、仮に米国から日本に同じ様な言説が向けられたら相当な反感を買うだろう。それを分かっていて韓国相手にやる辺り、百田氏はエンターテイナーだなと思う。良くも、悪くも。

  

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ひとりだけの世界を持ち寄って・遍柳一『平浦ファミリズム』

 

 本作、『平浦ファミリズム』が家族を描いた作品である事は間違いない。けれど家族というものもまた個人の集まりなのであって、そういう意味で本作は、個人のあり方と人間同士の関係を描くものでもある。

 既に各所で話題になっている作品なので、あらすじ等は他に譲るとして、『家族』というものについて少し考えてみる。本作に登場する平浦家は、各々が強い個性を持っていながら、家族愛が強く、互いに尊重し合って生きている。理想の、というと少し語弊があるかもしれないが、家族が互いに思いやりをもって生きている姿を見て羨ましいと感じる人もいるかもしれない。現実は、そう上手くは行かないものだから。

 家族といってもその形は様々だ。身近な所では、父親が妻や子供の生活を顧みずギャンブル中毒になり、親戚に借金をして回る様になった結果、離婚に至った例を知っている。また親が子供に対して過干渉で、自分の敷いたレールの上を歩ませる事に苦心した結果、親子の信頼関係が崩れてしまった家もある。近年、『毒親』と言われる事もあるが、家族という関係だからこそ、その悪影響から逃げられない、という話はよく耳にする。

 特に過干渉が原因で親子関係が悪くなる場合、干渉している親は「良かれと思って」そうしている場合が多く、自分が正しいと信じて疑わないので、高圧的な態度を改めようとしない。自分が教えてやっている、指示してやっている、忠告してやっている、という態度がそれなのだが、子供が欲しいのは「道を間違える前に首輪に付いたリードを引っ張られる事」ではなく、「自分を信じてくれる事」であって、仮に道を間違えたとしても、その失敗を含めて自分の存在を許容してくれる事なのではないかと思う。それが『信頼』というものだし、その信頼が家族の中で形になったものが『家族愛』なのではないか。

 そして多分、他人との関係性にも、同じ事が言える。

 以前勤めていた会社の経営者は、何か癇に障る事があると「お前らに任せている仕事なんか自分がひとりで全部やった方が早いんだ。それを自分はお前達に任せてやっているし、仕事を与えてやっているし、食わせてやっているんだ。だから感謝しろ」と口走る様な人だった。確かにそれはそうなのだろう。他人を信用せず、評価しないなら、全て自分でやった方が早い。他人のミスで自分が頭を下げなければならない場面では腸が煮えくり返る事もあるだろうが、自分のミスなら自分自身が反省すれば良いのだから腹を立てる事もない。そして仕事で成果を出せば、それはチーム全員の貢献ではなく自分ひとりの手柄になる。上司が言うのももっともな事だ。ただ、言われた方はこう思うしかない。「じゃあ全部アンタひとりでやってろよ」と。

 家族を信用しない。他人を信用しない。自分の能力だけが信じられるもので、自分はひとりでも生きて行く。周囲の目なんて気にしていられないし、能力のない奴に構っている余裕はない。そんな風に生きて行く事も可能なのだろうと思う。或いは、競争社会を生き抜く手段としてそれが正しい場合もあるのかもしれない。でも、どんなに優れた人間でも、たったひとりで立っている世界の広さは、ひとりである事の限界に見合った広さにしかならない様にも思う。なんて、その「ひとりの世界」を守る事に汲々としている自分が偉そうに言えた義理ではないが。

 『平浦ファミリズム』は、家族と自分の能力だけが信頼に値するものだった少年が、その信頼の輪を少しずつ他者へと広げて行こうとする物語だ。そして『信頼』が『家族愛』になる様に、他者に対する信頼は、他者に対する友情や仲間意識に育って行くのだろうと思う。個人主義に立ってみれば、それは余計な荷物やリスクを背負う事になるのかもしれないし、時には自分の足を引っ張られる様な苛立ちを覚える事に繋がるのかもしれない。しかしながら、ひとりでは辿り着けない場所に至る為に人は仲間を求めるのだし、家族というものもひとりでは作れない。ひとりでは背負い切れないものも、誰かと荷物を分け合えば耐えられるという事もあるだろう。

 信じるという事は、裏切られる可能性を許容する事だ。それは自分以外の誰かの失敗を許容する事でもあるし、逆に言えば自分の失敗を受け止めてくれる誰かの存在がある、という事でもある。身近な所では、それは家族であり、友人になるのだろう。

 自分が抱える「ひとりだけの世界」を誰かが抱える「その人の世界」と重ね合わせる事。繋げる事。互いの価値観に触れてみる事。それは個人が持っている世界を、価値観を平均化して均一にならし、皆がひとつの価値観を信じ、それを正義として同じ方向を向けという事ではなく、それぞれの価値観を尊重しながら広げて行こうとする事だ。他者を尊重する事。それがきっと、最後には自分が生きて行く上での助けになる。そう信じられる事が、他者への信頼に繋がるのだろう。きっと。

 

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終わらない戦争の始まりに向けて・安里アサト『86―エイティシックス―Ep.2 ―ラン・スルー・ザ・バトルフロント―〈上〉』

 
 
 前回の藻野多摩夫氏の『オリンポスの郵便ポスト2』同様、受賞作出版後の次回作として刊行された本作。受賞作の『86―エイティシックス―』の完成度が高く、こちらも「続編は蛇足になるのでは」という危惧が聞かれたし、実際そうした声もあるが、個人的には1巻で描かれた結末に辿り着く為の物語として、読み応えがあるなという印象。

 戦争を描いた作品を目にすると、それがどれだけリアルなのかという事が気にされる様に思う。戦闘描写や兵士の心理描写、兵器設定、戦略・戦術考証の正しさなどが主に注目されるのだと思うが、本作における「戦争のリアル」とは、そこから少し離れた所にある様に思う。

 無人の自律無人戦闘機械群<レギオン>が人類を滅ぼすまで終わらない戦争を続ける。対する人間側は、休戦も降伏も許されない。

 この様な戦争の形は、現実にはまだ存在しない。通常ならば継戦能力を失った時点で休戦なり降伏なりが検討される事になる。日本もかつての大戦では本土決戦と一億玉砕を掲げて戦ったが、最終的には降伏を受け入れる事になった。では『86』にリアルは無いのか、現実とは全く異なる絵空事の戦争なのかと言えば、それは異なる。本作で描かれる戦争は、むしろこれから自分達の前に表れるかもしれない新たな戦争の形だ。

 本作では無人機による戦争が描かれるが、現実に米軍などは偵察や対地攻撃などに無人航空機を活用し始めている。自国の兵士の命を守りつつ相手に打撃を与える手段として、攻撃機の無人化という流れは正しい。

 現在、特に民主主義国家の軍隊では、人命が重く扱われる。それはなぜかというと、何も人道的な理由ばかりではなく、教育・訓練の為のコスト意識を除けば、「人が死ぬ戦争は自国民からの支持を得られない」からだ。支持が得られないという事は、「戦争を続けられない」という事だ。

 過去の世界大戦の様に、何百万人も戦死者を出す様な総力戦は出来ない。戦死者が出れば、必ず国内で反戦運動が起こる。特に米軍の様に、他国に派兵しての戦闘で戦死者が増えれば、自国の若者を死なせてまで他国に介入する意義はあるのかという論調が強まる。

 戦争には人の死に見合うだけの正当性が必要だ。

 侵略戦争による他国の植民地化が許されないものとなり、武力によって他国を併合し、覇権国家の地位を得ようとする動きは鳴りを潜めた。やるにしても、ロシアのクリミア併合がギリギリのラインだろう。(代わりに、経済的影響力を強める事によって覇権国家たらんとする動きはある)

 犠牲に対する見返りが少なく、兵士を無駄に死なせる様な人命軽視の作戦も容認されない現代戦では、戦争の正当性をひねり出す事に苦心する様になる。その意味で、対テロ戦争というお題目は最新のトレンドになる訳だが、それとて無制限の犠牲を容認するものではない。自国民が死ぬ事が戦争の歯止めになるという前提は、まだ失われてはいない。

 ただ、ここで逆に考えてみる。戦争で戦死者が出なくなれば、何が戦争の歯止めになるのか。

 精密誘導された巡航ミサイルが一方的に敵拠点を破壊し、無人航空機が遠隔操作で敵地を攻撃する。相手の反撃が届かないアウトレンジから一方的に敵を叩いて潰す。今はまだ先の話だが、今後陸戦兵器が無人化される様な事があれば、市街地占領の一歩手前までは歩兵が介在しない無人の戦争が遂行可能になるかもしれない。歩兵の代わりをロボットがする様にまでなればまるでSFだが、恐らく軍は大真面目に研究しているだろう。

 それは自国の兵士の人命を守る為だ。表向きには。ただ実現したとすれば、それは『終わらない戦争』の始まりを意味するのではないか。

 兵士が死なない戦争において、勝利以外に攻める側が矛を収め戦争を終らせるに至る要因は、戦費の増加による経済的負担しかなくなる可能性がある。本作に登場するレギオンは悪魔的に描かれているが、その実、兵器の無人化を推し進める現実の軍隊にとっては正に夢の兵器だ。そして、人的被害を「気にしなくて良い」状況は、開戦の決断と戦争継続を容易にする。味方の兵士の人命を守ろうとして推し進められる兵器の無人化は、当初の人道的配慮とは正反対に、上層部に武力行使という選択肢を容易に選ばせ、結果として相手側の戦死者をこれまで以上に積み上げる事になるのかもしれない。

 現実に置き換えて考えれば、本作における「戦争のリアル」とは、そうした「人間の倫理の欠如」であり、もっと言えば「人間の愚かさ」だ。

 それは無慈悲な無人兵器が人間を蹂躙して行く様であり、それに対抗する為に同胞を人間扱いせずに『無人機のプロセッサー』として使い潰した結果、その亡霊とでも言うべき<黒羊>によって焼かれる事になる人間のどうしようもなさだ。無人兵器をもって戦争に踏み切った帝国も大概だが、対抗する共和国の非人道的な人種隔離政策も負けず劣らず邪悪だった。そしてその人倫にもとる戦争のツケを支払わせられる羽目になるのが連邦やエイティシックス達というのも皮肉だ。

 人命を守る為の無人機という建前が開戦の引金を軽くさせ、無制限に戦争の長期化を許した結果としてより多くの血を流させる。戦争の愚かさ=人間の愚かさとはそこにあって、それはフィクションの世界には収まらない。子が親に似る様に、レギオンの残虐さもまた、人に似ている。

 

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そのメッセージは希望になるか・藻野多摩夫『オリンポスの郵便ポスト2 ハロー・メッセンジャー』

 

 ライトノベルの公募新人賞でデビューした新人作家にとって、受賞作出版後の次回作は難関だと思う。

 通常、公募新人賞に送る作品は、その作品単体での完成度の高さを要求される。ただライトノベルというジャンルの特徴として、受賞作は続編を求められる事が多い。受賞作は受賞作として、ひとつの作品として閉じ、また新たな作品を一から書いて世に出すという選択肢も無くはないが、少数派だと思う。

 本作もまた、第23回電撃小説大賞で選考委員奨励賞を受賞したデビュー作『オリンポスの郵便ポスト』の続編として書かれている。ただ、作者が本著のあとがきで述べている様に、1巻が物語として綺麗にまとまっているが故に、続編を出す事についていかがなものかという思いもあった様だ。そしてそれは、本作に限らず、ライトノベルが持っている問題点のひとつでもあるのだろう。

 昔、何かで聞いた話で、「将棋の駒は、最初に盤上に並べた時の配置が最も整った布陣なのであり、一手動かして行く毎にそれは乱れて行ってしまうのだ」というものがある。ただ当然ながら、駒を動かさなければ相手に勝つ事は出来ない。自分が思うに、ライトノベルにも似た様な所があって、デビュー作で将棋の盤面に駒を並べた作者は、その後ライトノベル作家として大成して行く為に続刊を出さなければならないのではないかと思う。それはデビュー作が持っていた精緻な盤面を乱しながら先に進む事にもなる訳だが、それは作者も知った上で、それでもやらなければならない。そこに2作目が抱える難問があるのだろう。

 さて、話を本作の内容に戻すが、1巻を読んだ読者が疑問に思うのは、火星のテラフォーミングと移民計画が、《隕石嵐》(メテオストーム)という大災害と、それが引き金となって発生した半世紀に及ぶ内戦で頓挫してしまっている現状で、地球の側は何をしていたのかという事だ。地球は火星を見捨てたのか。その疑問に対する明確な答えは、1巻では意図的に省かれていた様に思う。

 火星の側が地球との通信手段を失った事は仕方がない。しかし地球の側は、通常なら探査機を送る等して火星の惨状を知る事が可能な筈である。そこで生じる疑問について、1巻では、「地球もまた、火星同様に《隕石嵐》による壊滅的な被害を受けたのではないか」「《隕石嵐》は地球側によって引き起こされた人為的な災害なのであり、だからこそ地球からの助けは来ないのではないか」という推論が述べられていた。そして本作を読むと、答えはどうやら後者寄りであるらしい事が分かる。

 火星を救う為、地球から全権大使を乗せた宇宙船を派遣する。

 今更、という気もするが、地球もまた《隕石嵐》による被害を受けていたらしい事を匂わせる記述があるので、程度の差はあるものの何らかの被害はあったのだろう。この辺り、説明不足なのか意図的な省略なのか初期設定からの変更なのか悩みどころなのだが、ともあれ宇宙船派遣計画は実行に移される。しかしながら、何者かの謀略の存在を思わせるある事件の結果、火星着陸目前で問題が発生し、全権大使を任された少女、メッセは着陸艇で一人火星に降り立つ事になってしまう。強行着陸を実施した母船との通信は途絶、当然地球との連絡も出来ない。

 家柄とメディア受けする容姿を武器に全権大使の地位に収まったメッセは、当然ながら一人では何も出来ない。右も左も分からない火星の地で、ローバーの運転も出来ないお嬢様には母船を探す事もままならない。そこでメッセの乗った着陸挺を発見したエリスが、共に母船を探す事になるのだが――。

 テラフォーミングが失敗し、災害と内戦の結果、緩やかに滅亡の道を歩む火星の人類にとって、地球からのメッセンジャーは希望になり得るのか否か。そして地球からの宇宙船派遣計画の阻止を企んだ黒幕の思惑とは何か。今後この物語はある意味で1巻の完成形を崩しながら、連作として新たな結末を目指して行く事になるのだろうと思うが、読者として次に期待するのは連作としての結末に本シリーズがきちんと辿り着く事だ。エリスが旅をする様に、作者もシリーズを完結させるまでの長い旅を始めた。その結末を見守りたいと思うし、その旅のゴールが、続編を出した事が間違いではなかったと思える様な結末であって欲しいと思う。

 

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『好きなライトノベルを投票しよう!! 2017年上期』に参加してみる。

 今年もまた『好きなライトノベルを投票しよう!!』の投票用エントリを書く時期がやってまいりました。最近は半年が過ぎるのが本当に早いなという感じで、読めていない作品も多々あるのですが、自分が読んだ中からお勧めできるものを挙げて行こうと思いますのでお付き合い下さい。今年は余裕を持って早めに投票しようと思います。
 また、今はTwitterからの投票も出来ますので、「ライトノベル、好きですよ」という方は参加されてはいかがかと思います。他の人がどんな作品を推しているのか見るのがいつも楽しみな企画なので、参加者が増えてくれるといいなと思っております。


 上遠野浩平『螺旋のエンペロイダー Spin4.』
 【17上期ラノベ投票/9784048926027】

 

 毎回くどい位に上遠野浩平作品を推しているが、ライトノベル作家としてデビューして、後に一般文芸に軸足を移していく作家もいる中で、ライトノベルを主戦場に書き続けてくれる上遠野氏は自分にとって「ライトノベルとは何?」という定義におけるある種の基準である様に思う。
 本作の感想はこちらに。


 安里アサト『86―エイティシックス―』
 【17上期ラノベ投票/9784048926669】

 

 電撃文庫の作家陣では大ベテランの上遠野氏の次に、直近の大賞受賞者である安里アサト氏を。まだ読めていないけれど、丁度今月2巻が出たところ。1巻の完成度が高かっただけにハードルが高くなっている気はするのだけれど、頑張って欲しいところ。
 本作の感想はこちらに。


 藻野多摩夫『オリンポスの郵便ポスト』
 【17上期ラノベ投票/9784048926638】

 

 安里アサト氏と同様、第23回電撃小説大賞からのデビューで、こちらは選考委員奨励賞受賞作。こちらも丁度今月2巻が出たところと、何かと共通点が多い。
 電撃文庫で郵便配達員を主人公にした物語というと、自分は増子二郎氏の『ポストガール』を思い出すクチなのだけれど、これだけスマホが主流になって、皆がSNS等でメッセージをやりとりしている時代に、紙に書いた手紙を届けようとする物語が廃れないのは興味深いと思う。
 本作の感想はこちらに。


 葦舟ナツ『ひきこもりの弟だった』
 【17上期ラノベ投票/9784048927055】

 

 メディアワークス文庫からの刊行なので意識していなかったのだけれど、本作も先程の『オリンポスの郵便ポスト』同様、第23回電撃小説大賞の選考委員奨励賞受賞作。こうして並べてみると、電撃文庫とメディアワークス文庫のカラーの違いが際立つ。そして、両者が同じ公募新人賞から出ているという所にアスキー・メディアワークスの強みがある気がする。
 本作の感想はこちらに。


 長谷敏司『ストライクフォール 2』
 【17上期ラノベ投票/9784094516647】

 

 宇宙空間でのロボットバトルというジャンルに、スポーツものの要素を入れ込んだのがこのシリーズの新しい所だと思う。アスリートが勝つ為に自分自身を鍛え上げていく様を見て自分達が感銘を受けるのは、それが誰でもできる事ではないからだ。困難に向き合う事。壁を乗り越えて行く姿。そうしたものを見て素直に感動できる感性は失わないでいたいと思う。
 本作の感想はこちらに。


 牧野圭祐『月とライカと吸血姫 2』
 【17上期ラノベ投票/9784094516722】

 

 宇宙と言えば本作を忘れてはならない。本作もまた登場人物達の努力する姿が胸を打つ作品だと思う。
 ライトノベルでは登場人物達が結果を出す為に努力する物語は好まれなくなっているという話を以前どこかで見た気がするのだけれど、本作を読んでいるといや、まだまだ王道の作品も強いのでは、と思わされる力強さがある。
 本作の感想はこちらに。


 江波光則『屈折する星屑』
 【17上期ラノベ投票/9784150312671】

 

 王道があれば『屈折』もある訳で、少年漫画の様に登場人物達が夢を追い掛け努力する物語の裏側には、本作の様な物語もあるという事だろう。
 生きる上で、時に真っ直ぐには進めない事もある。それでもどこかへ進んで行かなければならないのが人間であって、結局自分にしかその道を選ぶ事は出来ない。自分の選択に、自分自身が納得できるのかどうか。他者からの理解や共感から遠く離れた所に、自分だけの答えはあるのかもしれない。
 本作の感想はこちらに。


 『BLAME! THE ANTHOLOGY』
 【17上期ラノベ投票/9784150312756】

 

 アンソロジーやトリビュートと言えば『伊藤計劃トリビュート2』もあったけれど、アンソロジーというもののあり方としては本作の方が趣旨に合っている様な気がする。あくまでも『BLAME!』という作品の世界観を使って、その中で各々の作家が自分の色をどれだけ出せるかという点で、本作は漫画でもアニメでも再現出来ない方法で『BLAME!』という作品の世界を広げる事に成功した。
 本作の感想はこちらに。


 オキシタケヒコ『おそれミミズク あるいは彼岸の渡し綱』
 【17上期ラノベ投票/9784062940603】

 

 小説ならではという部分では、本作を忘れてはならないのだろうと思う。
 最近は映像化される小説も数ある中で、小説という媒体ならではの技巧によって魅せる作品を読むと嬉しくなる。
 本作の感想はこちらに。


 上遠野浩平『製造人間は頭が固い』
 【17上期ラノベ投票/9784150312794】

 

 上遠野浩平に始まり、上遠野浩平に終わる。好きなので。
 本作の帯にある様に、何気に上遠野氏はハヤカワ文庫JA初登場だったらしい。結構縦横無尽に色々なレーベルから作品を出しているイメージがあっただけに意外だった。そして初登場と言えば、講談社タイガが創刊する時、執筆陣の中に上遠野浩平氏の名前が挙がっていた気がするのだけれど、あれからずっと待っていますがいつになるのでしょうか。編集部が忘れても読者は覚えていますので何卒よろしくお願い致します。
 本作の感想はこちらに。


 以上、『好きなライトノベルを投票しよう!! 2017年上期』への投票用エントリでした。
 投票結果の集計など、非常に手間のかかる企画を運営して頂いているので本当に頭が下がります。自分で本を読んで感想を書いて、という事を繰り返していると、結構区切りがなくて過去の感想を振り返るという事も無いのですが、半期毎に『好きラノ』がある事で丁度良い節目になっている気がしますね。
 さて、下期もまた面白い作品に出会える事を期待しつつ、今日はこの辺で。

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黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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