ありそうだ、と思える嘘。

 昨日書いた記事で取り上げたニュースは誤報というか、ガセネタだったらしい。

 火薬と鋼『ソマリア海賊狩りツアーはデマか』 

 ガセで良かった、とか書くと釣られた事に対する言い訳にしか聞こえないが、実際そうなんだから仕方ない。以後気を付けましょうという話。で、気を取り直して、自分を筆頭に何故人はこういうガセネタにころっと騙されるのか考えてみた。転んでもタダでは起きない方向で。

 原因はいくつか考えられる。第一は、『その嘘を信じた方が自分にとって都合が良い』場合。第二は、『その嘘を事実と思うに足る体験や情報が事前に与えられていた』場合。今回自分の場合は後者かと思う。平たく言えば先入観というか、バイアスがかかった思考。

 自分の場合、このニュースを見た時真っ先に感じたのは『日本人のホームレス狩りと一緒だよね』という事だった。その具体的な中身については昨日の記事の中で述べた。『ロシアならやりかねない』という感想を持った人も多かった様だけれど、自分が連想したのは日本人だった。

 適当な対象を叩く事で鬱憤を晴らそうとする欲求は程度の差こそあれ日常的にある。多分一番身近なのは集団での『いじめ』で、例えばクラスでいじめられる奴は集団内で『こいつは苛めてもいい奴』というポジションに置かれる。
 普通に考えればいじめ行為が容認される事は無いが、誰かが『対象が苛められても仕方ない理由』を挙げ始め、それが一定レベルを超えると集団内での共通認識になる。身なりが不潔だとか、性格が暗いとか、具体的な中身は何でもいいが、とにかく一度『アイツは苛められて当然』という空気が醸成されると、後は歯止めが無くなる。

 これが社会レベルに引き伸ばされると、例えば日本では犯罪者やホームレスは格好のターゲットになる。彼等を擁護する事は難しいが、逆に叩く事は簡単で反対意見も少なく、何より気分が良い行為だからだ。しかも自分が社会正義を代弁しているかの様な気分までオマケに付いて来る。
 移民排斥や異教徒弾圧、人種差別等も広義では同じだと思う。つまり対象を何らかの理由で『叩いても良いカテゴリ』に入れてしまいさえすれば、良心の呵責無く彼等をサンドバッグに出来るというわけだ。その上何らかの方法で暴力的行為まで容認されるとなれば、やってやろうという気分が湧き上がったとしても頷ける。

 上記の通り、ソマリア沖で海賊狩りツアーが行われるぞ、なんていうデマを信じさせるに足るだけのものは実は身近に溢れている。学校で、職場で、もしかすると家庭でも皆日常的に体験したり、加担したりしている。だからつい『あり得るかもな』と思ってしまう。

 まあ一番は、自分が迂闊だったという事に尽きるんだけれどね。
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黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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