星の数程の問いを抱いて・上遠野浩平『私と悪魔の100の問答』

 自分は昔から何かと疑問の多い奴で、きっと周囲の人間から見れば『面倒臭い奴』という事になるのだろうと思う。「何故そこで躓く」とか「何故そんな当たり前の事に疑問を持つ」とかいうポイントが世の中には無数にあるらしいが、振り返れば自分はいちいちそういう所に引っかかってしまって少しも先に進んでいないのではないかとも思う。
 と、ここまで書いておいて何だが、自分にとってはそもそも『人として前進するというのはどういう事なのか』という所からが既に疑問なのであって、基準が定まっていないのだから自分が前に進んでいるのか後ろに下がっているのか、右に曲がっているのか左に逸れているのか、それすらも判然としない。困ったものだ。

 さて、本作の目次には題名の通り『100の問い』が並んでいる。『青空と聞いて連想することは』『ボケとツッコミの役割とは』『ダサいと思われるのは怖いことか』といった一見何の意味がある問いなのかはっきりしないものから、『人を不幸にするものとは何か』『国家とはなにか』『どうして戦争はなくならないのか』といった命題までその内容は幅広いが、本作はその問いに順番に答えを出して行く様な、いわゆる一問一答の本という訳では全く無い。

 本作は言ってしまえばある風変わりな『悪魔』が発する数々の問いに対して17歳の少女が自分なりの答えを返して行くという物語だ。少女の視点や価値観は自分達のそれと大きく異なる訳ではないが、彼女の答えがいわゆる『正解』の様な扱いを受けるのかと言えば、当然ながらそんな事はあり得ない。立場が変われば答えが変わる様に、自分達は決して他人と答え合わせをする事が出来ない問いを一生抱えて生きて行く他なく、何によって自分の回答が正しいとするのかという根拠もまた自分で捏造する他ない。

 そもそも、人類というものが誕生してから今現在に至るまでには星の数程の『何故』があった筈だが、一体その中のどれだけに満足の行く回答が与えられた事だろう。世界中の誰にとっても有効なたった一つの回答。そんなものが本当にあり得るのだろうか。
 例えば今現在も自分達は社会常識や倫理といった規範、言い換えれば一つの集団の中で多くの人間が『それが正しい』としている価値観を信じ、その調和を乱す事が無い様に生きて行こうとしている。しかし、自分が所属している集団が変わればその常識はあっさり崩れ去るかもしれない。ある集団では正しいとされている事が、他の集団においても正しいなどという保証はどこにもないし、むしろ価値観を異にする集団から見ればそれは単なる悪かもしれない。そして同じ集団の中でさえ時代の移り変わりとともに価値観は変遷して行くものだ。

 ならば自分達は何に立脚して生きて行けば良いのか、というこれもまた『問い』の一つになってしまう訳だが、そこで「どうせ正しい答えなんかこの世には無いのだから」と開き直って自分の価値観を通すのか、それとも曖昧模糊とした『正しさ』を追い求めて他者との関係性の中を彷徨するのか、そんな事さえ自分達は自ら選んで行く他ない。そして、その為にどれ程努力しようが、悩もうが、気の利いた『正解』が他者から与えられる事は一生無い。そもそも正しいという事が何なのかという事すら知らない自分を納得させられる様な回答なんて誰にも出す事は出来ないのだから、結局人間は自問自答の果てに生きるしかないのだろう。

 そこで『飽くなき真理の探求』とか書くと何やら高尚な物事を連想してしまうが、好き好んで悩んでいる訳ではない自分からすれば途方に暮れるしかない。正解があると言うのなら誰かにご教授頂きたいものだが、そういう時に「我こそは」と名乗り出る人に限って胡散臭い詐欺師の様な人物だったりもして、何かと疑問が多く疑り深い自分の様な人間は相手の差し出す価値観を鵜呑みにして安心するという事が出来ない。我ながら面倒臭い奴だ。

 きっと自分はこの先も山程の『何故』を抱えて生きて行く羽目になるのだろう。時に熟慮の上で、時に投げやりに、数多くの答えを捏造して生きて行く事だろう。どこまで行っても自作自演だが、生きるという事がその果てにしかない以上は、それを続けて行くより他に道はないのだった。本当に嫌になるが。

 まあもっとも自分がいくら嫌になったからといって、その事実も、胸の内に抱えたままの問いも、消えてなくなってはくれないけれどね。昼間でも空の向こうに浮かぶ星が消えて無くなる訳ではない様に。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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