死と表裏一体の生を・月ノ輪航介『ストロボ 1』

 

 最初に一言。すごく気に入りました。

 ちょっと説明するのが難しい作品なのだけれど、まず裏表紙にあるあらすじはこんな風に書かれている。

“自分の死因で、殺し合う。
 親よりも先に死んでしまった子供たちが、
 自らの死因を武器にかえ、生き返りをかけて殺し合う…。
 青春バトルロイヤルグラフィティ。”

 ……青春バトルロイヤルグラフィティってどんなジャンルだよ、という当然の疑問はさておき、このあらすじはまあ、概ね正しい。事故死、病死、他殺、自殺等、その理由は様々だが、『親より早く死んでしまった』という共通点を持った少年少女が『完全に死ぬ前に訪れる生と死の狭間の場所』に集められ、親より先に死んだ不徳を贖う為の罰ゲームとして殺し合いをさせられる。そして最後まで生き残った一人は特別に生き返る事が出来る……それが本作の大まかなストーリーだ。
 『自らの死因を武器にかえ』というくだりは言葉だけだと想像するのが難しいと思うけれど、例えば首吊り自殺で死んだ者は首吊り縄を出現させて自在に操る事が出来るし、銃で死んだ者は銃を呼び出す能力を持っている、といった具合だ。しかしこのあらすじでは触れられていない部分にこそ、本作の魅力はある様に思う。

 バトルロイヤルものというと、「自分以外は全て敵」といった殺伐とした世界観で展開される物語になりがちだと思う。何せ自分以外の人間が全て死に絶えるまで終わらない殺し合いだ。綺麗事ではない究極のエゴのぶつかり合いがそこにはある。「生き残る事」が「生き返る事」に変わっただけで、普通なら本作もまたその例に漏れない筈だ。
 しかし本作はそんな殺伐として乾いた世界観からは一線を画している。血で血を洗う様な設定から生まれたとは思えない様な不思議な透明感。それは作者である月ノ輪航介氏の繊細な絵柄から来ている部分でもある。確かに本作は殺し合いの世界ではあるけれど、必要以上に血みどろの絵ではないし、人が死ぬ場面を執拗に描く事もしない。むしろ作者が描きたいのは、登場人物達がこれまでどういった人生を生きて来て、今ここにいるのかという、等身大の人間としての彼等の姿なのではないかと思う。その飾らない部分、殺し合いという設定の裏側にある部分が本作の魅力になっていると思う。

 相変わらず上手くは言えないのだけれど、本作が魅力的な理由のもうひとつは、その姿勢が常に『真摯なもの』だからなのではないかと思う。例えば登場人物達は一度死んでしまっている訳で、自分以外の人間が全て死ねば、言い換えれば他人を全て殺せば生き返る事が出来るという報酬も用意されている。現実にそんな状況が用意されたら、それはもう筆舌に尽くし難い程の悪意が溢れる物語にしかならない。「どうせ一度は死んだ身だ」「ここで勝ち抜かなければ次は本当に死ぬんだ」と思えば、大抵の道徳心や倫理観はゴミクズ以下の価値にまで暴落するだろう。どんな手段を使ってでも敵を殺し、自分が生き返る事。それ以外に正しい道はない。死んだらそれまで、という世界の中で相手を思いやる事にどんな意味があるというのか。
 しかし、そんな世界の中であっても本作の登場人物達は踏みとどまる。開き直りの残酷さを手に入れる事も出来る状況で、あえてそれを避けて行く。他者を助け、手を差し伸べ、寄り添おうとする。それは綺麗事や偽善というものとは違う、もっと透明な何かだ。それを真摯に描くという事。その姿勢が本作を単なる殺し合いの物語とは違うものにしている。そして自分は、そんな真摯な、言い換えれば不器用な物語が好きなのだ。きっと。

 以下、ちょっと蛇足。
 本作に登場する『クシティ・ガルバ』『アカシャ・ガルバ』っていうのは、それぞれ本来『地蔵菩薩』と『虚空蔵菩薩』の事を指す。『親より先に死ぬ不徳』といい、不思議と世界観が仏教的。とすると、本作で言う『完全に死ぬ前に訪れる生と死の狭間の場所』は『賽の河原』という位置付けになるのだろうか。まあもっともこんなムダ知識は本作と直接の関係は無さそうだけれど。

 

テーマ : 漫画の感想
ジャンル : アニメ・コミック

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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