尖ったガラス片の様な問いを・江波光則『鳥葬-まだ人間じゃない-』『スピットファイア』

  


“「ガラスの破片」
 「何、それ?」
 「八尋は、それを体の内側に埋め込むんだって言ってた」
 「意味が分からないんだけど」
 「比喩だよ。……まあそんな言い方も、俺がシナリオ書いてあいつに言わせたようなモンだけど。ボロいずだ袋が、道ばたに目障りに転がってるとするだろ? 邪魔くせえって蹴り飛ばすと、中にガラスの破片が入ってる。何の気なしに蹴った心算が、大怪我だ」”

 『鳥葬-まだ人間じゃない-』より


 言葉は、小説は、鋭いガラスの破片に似ている。
 本来言葉や小説とはそうしたもので、自分達が普段その事を忘れて生きているだけだ。言葉は人を突き刺せる。小説は人を殺せる。それが十分に鋭ければ。

 江波作品が持つ「鋭さ」をガラスの破片に例えるなら、ライトノベルというジャンルはそれを内包する袋だ。何でも入れられるし、実際萌えからエログロまで何でも入っている。その中には鋭いガラス片も紛れ込んでいる。そう、本作『鳥葬-まだ人間じゃない-』(以下『鳥葬』)の様な。それこそ何の気なしに蹴ったら大怪我をする。
 まあ、ライトノベルというジャンルを「ずだ袋」に例える事は失礼だろうから言い換えよう。それはぬいぐるみかもしれないし、抱き枕かもしれない。一見可愛らしい外見をしていて、ポップだし、無害に思える。触れれば柔らかいし、何より持ち主を傷付ける事など考えられない。でも時にはその中に、故意にガラス片が埋め込まれている事だってある。これだって気付かずに抱きしめたら大怪我だ。

 ライトノベルの中にはキャラクター小説として、漫画やアニメ、ゲームといったジャンルに拡散して成功する作品がある。そうした作品は多くの読者を楽しませるだろう。お気に入りのキャラクター達が活躍するヒロイックなストーリーやラブコメ。それらは読者を決して傷付けない。でもそんな中に、本作の様な『異物』が混入している事もある。そうした物語は読者に簡単に理解され、消費される事を拒むかの様に固くざらついた手触りをしているし、時には触れられる事さえ許さない様な刺を持っていたりもする。そうした作品には、一読して分かり易い起承転結やオチの様なものはない。登場人物が試練を乗り越えて成長するだとか、苦労して目的を達成するだとか、最後には謎が解けるだとかいう事もない。『鳥葬』に関して言えば一応謎のようなものは用意されているけれど、その謎が解ける事による達成感や安堵の様なものはない。読む人によってはいつまでも後味の悪さが消えないかもしれない。まあ、自分の様にそうしたものの方をこそ好む変な読者もいるけれど。

 同じ江波作品でも、ほぼ同時期に刊行された『スピットファイア』はもっとキャラクター小説として真っ当だった様に思う。まあ登場人物が揃いも揃ってろくでなしだったけれど、それは作者の意図する所なので問題ではない。分かり易さ。疾走感。セックス・ドラッグ・バイオレンスの世界。そうしたものがきっちり盛り込まれているから、読んでいて安心感があるし、時には笑える。しかし、『鳥葬』にはそんな分かり易さが無い。

 一見全く異なる作風に思える両者だが、自分にはそこに共通するものがある様に思える。それは突き詰めれば『自分とは何か』という問いであり、他者との関係性や社会での位置付けの中で、自分というものがどういう生き方をして行くのかという『選択』なのだろうと思う。
 ただ無軌道に突っ走っているだけに思える『スピットファイア』の登場人物達にも、各々の信念があり、目的があり、選択がある。『鳥葬』の登場人物達もまた自分の生き方を選択する。生き方の選択。それは自分とは何なのかという事を自ら見定める事でもある。どんな道を選ぶのか。どんな自分であろうとするのか。どんな自分でありたいのか。その問いが持つ鋭い切っ先は、現実を生きる読者の側に向けられている。
 
  

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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