恋物語、だけではなく・平山瑞穂『四月、不浄の塔の下で二人は』

 

 帯のキャッチコピーは『どこまでも純粋、かぎりなく繊細な、下町の恋物語。』なのだけれど……一読して「いや、それはどうだろう」と少し苦笑した。

 確かに恋物語として読む事も出来るのだろうけれど、その枠内に収めて語ってしまうには異色だと思う。何故なら物語の主人公である17歳の少女はカルト教団の教祖の娘であり、生まれてからずっと外の世界を知らず、教団の中で育てられて来たのだから。
 教団内で「エンノイア」と呼ばれ、敬われている少女は、教祖である父の死をきっかけに、初めて外の世界へ出て行く事になる。彼女の使命は、教団の後継者として将来妻となる女性を探すべく出立したものの、今は消息を絶ってしまった兄を探し出し、教団に連れ戻す事だ。

 本作に登場するカルト教団について説明するならば、地下鉄サリン事件の様なテロ事件を起こすまでは行かないものの、それ以外はかつてのオウム真理教と同じ様な出家信者の集団をイメージしてもらえば良いと思う。外界との接触を極力避け、人里離れた場所にサティアンの様な共同生活の為の施設を持ち、半ば自給自足に近い生活をしている出家信者達。白で統一された信者服を着て、「オウム食」の様な教義に則った特殊な食事をし、それ以外は修行や畑仕事等の労働をして暮らす小規模な集団だ。
 作中には『免穢地(めんわいち)』や『被造世界』『泥人(でいじん)』『汚財』等、カルト教団特有の造語が頻出するが、かつてのオウム事件についての報道などを見ていれば、それらも容易にイメージ出来るので、難読だとは思わなかった。少女の名前であるエンノイアはオウムにおけるホーリーネームの様なものだし、教団の教義にしても、宗教に関する基礎知識がなければ理解し難い程難解なものではない。それに、本作にとって重要なのはカルト教団の設定ではなく、『一般社会の常識や価値観から隔絶された環境で生まれ育った少女の目を通した時、この世界がどう見えるのか』という所にある。カルト教団で生まれ育ったという設定は、エンノイアという特殊な価値観を持った少女を成立させる為の方便に過ぎない。

 さて、そんな一般常識や社会通念を知らない少女(何せお金の使い方も電車の乗り方も知らない)が、東京で人探しをするなどという事がスムーズに進む訳もない。お供の信者ともはぐれ、頼る者もお金もなく、彼女は途方に暮れる。そこに青年が現れて手を差し伸べる所から始まる物語を、この本の帯にある様に「恋物語」と言ってしまうのはどうかと思う。ちょっとフェアじゃない気がするから。それに、本作には確かに恋物語としての要素もあるにせよ、自分にとっては「日々当たり前のものとして受け止めているこの世界の様々な物事が、本当は特別なものなのかもしれない」という事を思い起こさせてくれる物語だったと言えるし、また「自分達が今信じている『常識』が本当に正しいのかどうか」という不安を感じさせる物語だったとも言えるからだ。

 例えばエンノイアは『家族』という言葉に対する実感が無い。教祖である父親についても「自分の父である」という知識はあるが、父親や母親と家族らしい生活をした事が無いからだ。親がわが子を育てるという事を否定された集団生活の中で生きて来た彼女は、親が子をかわいいと思う感情や、血縁という繋がりを理解する事が出来ない。それと同時に、恋愛という感情も知らない。一般人があたりまえのものとして知っている感情や知識の多くは、教義の中で否定されていたり、意味をすり替えられていたりする。その偏った教義を『真理』として信じ込んで生きて来た少女が、教団という閉鎖された世界から抜け出し、自らの体験を通して様々な感情を知って行く過程は、自分達が当たり前のものとして流してしまっているものの中にも本当はもっと大切な何かが潜んでいるのではないかと思わせてくれる。「家族ってどういうものだっけ?」とか「恋愛ってどういうものだっけ?」という風に。「そんな分かりきった事を聞くなよ」と言われそうではあるけれど、自分達はそもそもそれらを本当にわかっていたのかな、とかね。自分達は何か大切なものを見落としているのかもしれないし。
 その他にも「価値観が違う」なんていう言葉は、それこそ別れ話の常套句の様になっているけれど、仮に、本当に自分とは全く異なる価値観や世界観を信じて生きている人が隣にいたとして、二人が互いを傷付ける事無く「同じ世界」の中で生きる事は出来るのだろうか。差別や偏見や思い込みが、自分達の目を曇らせてはいないだろうか。そんな事も本作から読み解く事が出来る気もする。

 最後に蛇足。「エンノイア」と聞いてグノーシス主義がどうこう以前に遠藤浩輝氏の『EDEN』を思い出してしまうアフタヌーン脳の自分。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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