小説で原作に挑むという事・長谷敏司『メタルギアソリッド スネークイーター』

 

 個人的に、映画やアニメ、ゲーム等のノベライズはあまり読まない方だと思う。何故なら映像作品やゲーム等は、脚本単体ではなく映像、音楽、役者の演技等が一体となった総合的な作品だと考えているからだ。そこからただストーリーを抜き出して小説化するだけではどうしても作品の中身が薄まってしまうと思う。また原作がゲームであればプレイヤーが実際にキャラクターを操作して、物語を追体験して行くというインタラクティブ性を持っている事になるが、小説という媒体で勝負しようとすればこのインタラクティブ性も捨てなければならない。

 外伝として原作の内容を補強し、その幅を広げるという趣旨の作品であればまた別になるのだろうけれど、原作と同じストーリーをあえて小説という媒体で再現しようとすれば、上記の通り様々な制約がある。それらを乗り越えて、小説作品としての完成度を高めて行く事は実に難しい。それはさながら、たった一人で敵地に潜入し、孤独な任務に挑むスネークの様だ。小説に映像は無い。音楽も無い。役者の演技もゲーム性も無い。それらの力を借りず、単独で任務を完遂する事。それだけでも様々な困難が待ち受ける事になるが、更に原作が有名であればある程、ノベライズに挑む作家の力量も問われる事になる。ストーリーはあくまでも原作を踏襲しつつ、小説ならではの要素をいかに盛り込んで行くか。原作とは異なる作家独自の切り口をいかに見せられるか。原作の魅力を薄めず、むしろより高める事が出来るか。そして貪欲かつ時に底意地の悪い、原作ファンにして本読みでもあるといった『うるさ型』達をノックアウト出来るかどうか……いやはや、これがゲームだったら最早『無理ゲー』のレベルではないだろうか。そこに真っ向から挑んだ長谷敏司氏にまずは敬意を。

 自分は事前にゲームをプレイした上で本作を読んだ感想を書いているのだけれど、この『スネークイーター』という作品は小説化の題材として相当難物だと思う。作品単体でも長丁場な上に、メタルギアシリーズというか既にメタルギアサーガと化している一連のゲームの中でも重要なストーリーだからだ。外伝ではない以上、ストーリーは原作を踏襲しなければならず、元々緻密に計算されたシナリオは改変の余地がない。下手な変更を加えれば全体のバランスを崩してしまうが、さりとて原作を小説に書き起こしただけの無難な作品になってしまっては意味が無い。

 こうした制約が多い中で、本作がプロローグに「あの」シーンを持って来た事に、自分は長谷氏の本気を感じた。ゲームでは表現しきれない部分に切り込む事。痛みを感じさせるかの様なその描写は、数ページに過ぎないプロローグで読者に強烈な印象を与える。作品全体としてはやはり原作に縛られる部分はあって、作家が自由にその力量を発揮出来る題材ではないと思うのだけれど、その限られた範囲の中でどの部分を強調するのかという所に作家性が現れるのではないだろうか。その意味で本著のプロローグを読み返してみると、非常に興味深い。
 そして次に、主人公であるスネークの敵役となる『コブラ部隊』に焦点を当てる事で、彼等もまた人間であり、異形の兵士として、ゲームのボスキャラとしてだけではない、『人』としての背景を持っていたのだという広がりを持たせた事。これもまた小説ならではのものだが、これら小説独自の視点が、本作にただ脚本を小説に書き起こした作品とは異なる魅力を与えている。

 新作ゲームの発売に合わせて企画された小説化、という部分はあるにせよ、それだけに留まらない『挑戦』が随所に感じられる作品だと思う。自分の様にノベライズが苦手な本読みこそ手に取るべき作品かもしれない。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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