現代人が抱える悪徳の鏡像として・仁木稔『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』

 

 SFの恐ろしさは、その鋭利な視点と言葉で現実を生きる自分達を腑分けし、その体内から正視に耐えない程醜く爛れた病巣を容赦なく抉り出す所にあるのではないか。自分は常にそう思っている。世界観や登場人物は架空のものであっても、そこで晒されるのは現実の病理であり、自分達が抱える悪徳に他ならない。

 以前、ル・グィンの『オメラスから歩み去る人々』の感想を書いた。オメラスという街に暮らす人々の幸福を支える為に犠牲となる子供がおり、その犠牲を知りつつも繁栄を享受する人々がいるという物語は、本作『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』が指し示す人間の病理=自分達が抱える病理とも通底する。

 本作において、人類は『妖精』と呼ばれる人工生命を創造する。最初は単純労働を肩代わりする、一見ドワーフの様な体型をした労働者として。また一部では非合法賭博の対象ともなる地下闘技場の剣闘士として。更には秘密裏に特権階級に提供され、性的奉仕を行うプレイメイトとして。

 妖精は後に『亜人(サブヒューマン)』とも呼ばれる事になるが、決して人間と同等の権利を有する存在としては扱われない。更に病的なのは、妖精を人間より下位の存在として虐げ、攻撃対象とするのみならず、性欲も含めたありとあらゆる欲望の捌け口にする事で、人間同士の争いは抑制され『絶対平和』が実現されるという世界観にある。やがて物語が22世紀の世界へと進んで行くと、人々は人間側がプロデュースし、妖精達が兵士となって繰り広げられる戦争を一種のエンターテイメントとして消費する様にさえなって行く。

 妖精はどこまで人に似せて作られようとも人間ではない。生殖能力を持たず、遺伝子レベルで人間への服従を組み込まれ、知能や判断力は制限されている。人間側の必要に応じて肉体改造や記憶の書き換えまで受ける彼等は、どんな扱いを受けようと人間を非難する事はない。そして人間の側はといえば、細胞の活力を回復させる事による若返り等で我が世の春を謳歌している。

 人間は、明らかに自分達よりも劣るとされる妖精の存在を得る事で、自尊心を満たし、苦役から逃れ、欲望を充足させる手段を得た。言ってみれば『オメラスから歩み去る人々』に登場する、地下室に閉じ込められた子供の役を妖精達に押し付けた訳だ。その事については岡和田晃氏が巻末の解説で詳しく言及しているが、人類全てがオメラスの住人と化した世界で実現される『絶対平和』は、それを虚構の物語として消費する読者の側に何を問い掛けるのだろうか。

 『亜人』としての人工生命を創造する事で、人類がその良心を痛める事無く奴隷制を復活させた世界、というビジョンは醜悪に思えるが、それが一部の狂った人間の願望なのかといえば、自分はそうではないと思う。SF的な世界観の中で誇張されてはいるのものの、現実にこうした差別的、支配的価値観は普遍的なものとして日常の中で見る事が出来るからだ。例えば自分よりも下位の存在を設定する事で自尊心を満たすやり方は、学校でのイジメや会社でのパワハラ、セクハラの類、また国籍や人種、性別、信仰の違いによる差別に至るまで幅広く行われている悪習だが、なぜ人はそれが悪習であると知りつつ止められないのかといえば、個人のレベルではそうする事が紛れも無く「気持ち良い」からであり、為政者のレベルで言えば民意を誘導し民衆を統治する上で極めて都合が良いからだ。

 通常他人を傷付ける行為が不快なのは、相手もまた自分と同じ人間であるという認識の上で相手が受けるであろう苦痛が想像出来るからだが、逆に言えば相手を同胞だと思わなければ、もっと言えば人間だと思わなければ、どんな酷い事も出来るという事でもある。どんな善良な人でも害虫を駆除する事に良心の呵責は感じないだろうが、それは人が害虫に感情移入する事が無いからだ。

 「相手も自分と同じ人間である」という認識を取り払い、感情移入を疎外すれば、人間は簡単にその良心を眠らせてしまう事が出来る。「相手と自分達は違うのだ。相手は自分達に攻撃されて当然の存在なのだ」という認識が共有されれば、イジメや虐待、戦争や虐殺に対する歯止めは失われる。昨今批判されるヘイトスピーチ等で、外国人に対し「寄生虫」「ゴキブリ」といった言葉が使われたという話を耳にしたが、そういった言葉の選び方ひとつ取ってみても、自己と他者の差別化が相手に対する攻撃性の発露に繋がって行く過程を見る事が出来るし、人間の良心や道徳心がいかに脆いかという事が伺えるというものだ。もっとも、それは相手からこちらに向けられる敵意についても同様に言える事ではあるが。

 その能力や容姿、知性に至るまでが人間の都合に合わせて「生産」される妖精達は、言ってみれば人類が好き勝手に利用出来る巨大な『穴』だ。それは一見底無しに見え、どんなゴミでも遠慮無く投げ込める様に、また受け入れてくれる様に思える。
 支配欲、自己顕示欲、性倒錯、所有欲、攻撃性、残虐性といった負の感情を好きなだけ投げ入れられる穴を手に入れた人類は、その事に甘え、依存し、やがて堕落して行く。『絶対平和』という言葉から漂う腐臭はやがて隠し切れないものとなり、底無しと思っていた穴は人々が捨てて来た悪徳で溢れる。だがそこに至るまで自らの行為を改められない人間の弱さを、自分は嗤う事が出来ない。なぜならば、その人間の愚かさや悪徳は見知った手触りと臭いを持っているからだ。例えばそれはネットの匿名性を盾にして、遠慮のない言葉を他者に投げ付けた時に感じるちょっとした愉悦であったり、自分の価値観を盲信して他者からの異論に耳を傾けない狭量な態度を取ってしまったりといった、現代人が陥り易い精神状態に置き換える事が出来る。その意味では、本作は自分達にとって他人事でもなければ、絵空事でもない。

 本当は、自分達はその理性を総動員して、自らの悪徳から離れなければならないのだろうと思う。オメラスから歩み去る人々がいた様に、自分達が許容してしまっている悪習に気付き、自分の内面から滲み出る負の感情に目を向け、それらを否定しなければならないのだろう。それは容易な事ではいし、時に辛く、気分を害するに違いない。正直、見て見ぬ振りが出来るのならその方が楽であり、心地良く、都合が良い。しかし、本作の様に鋭い作品はその欺瞞を容赦無く切り裂きに来る。そうした作品がある事を喜べるか。そこに自分達のこれからがかかっている様に思う。

 

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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