彼等が見る現実を知る事 ロレッタ・ナポリオーニ:著 村井章子:訳『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』

 

 邦人拉致と身代金要求を含む殺害予告、そして湯川遥菜氏の殺害を示唆する新たな動画の公開と、その中で後藤健二氏の身柄開放の条件として提示された女性死刑囚の釈放要求。今、イスラム国(IS)の動向と日本政府の対応に注目が集まっている。

 ニュースで日々報道されるイスラム国関連のニュースを見ながら、その一方でこの『国家を名乗るテロ組織』について自分達がどれだけ知っているかというと、それは実に心許ないレベルに留まっているのではないかと思う。特に日本人は。

 テロ組織が国家を名乗るという事。それ以前に彼らが宣言した、イスラム教における世俗・宗教の最高権威者であるカリフによって統治される『カリフ制国家』の樹立という考え方にどんな意味があるのかを理解する事は、イスラム教の教義や歴史に馴染みのない自分達にとっての難題だと言える。ただ確実なのは、これまでの『イスラム原理主義過激派』と『イスラム国』では、その目指す方向性や目的意識が大きく異なり、国家樹立という一見荒唐無稽に思える様な目標を掲げるイスラム国が、それを現実のものとし、また国際社会に認めさせる為に、着々と基礎を固めつつある現状がある事だ。その危険性を、本著は指摘している。

 イスラム原理主義を掲げる他の国際テロ組織と、自ら国家樹立を宣言したイスラム国は、イスラム教について詳しい知識を持たない自分達からすると似たもの同士であるかの様に見える。しかし、ソーシャルメディアを駆使し、世界各国から兵士を集めるイスラム国のやり方は、ある意味で非常に現実主義的だ。既に殺害されたとみられる湯川氏に対してこういう言い方は酷だと思うが、平和な日本に生まれ育ちながら、軍隊経験者でもないのに民間軍事会社を設立し、その実績作りの為に単身危険地帯に乗り込んで何かを成そうとした彼が見ていた『現実』と、イスラム国が見据えている『現実』の温度差、その隔たりを思うと暗澹たる気持ちになる。

 現代において、かつて世界中で行われていた『武力による領土拡大』や『武力による政治体制の変更』がどれだけ許されるのかというのは大きな問題だ。侵略戦争は認められなくなり、戦争には国際社会を納得させる大義が求められる様になった。そんな中でイスラム国が武力による領土拡大と一方的な建国宣言を行った事は、第二次世界大戦の戦勝国が中心となって構築した現在の戦後秩序に対する挑戦でもある。この動きにどう対処するのか、各国の対応が注目される訳だが、その一方でイスラム国は自分達の統治に対する正当性を得ようと、支配地域で地道な活動をしている。

 本著によれば、イスラム国はその支配地域で保険・医療プログラムを提供し、住民にポリオワクチンの投与を受けさせているという。更にパン工場の操業支援や食料の配給、孤児の為の相談所の開設等、社会改善の為の施策を実行に移しているらしい。支配地域で住民からの支持を受ける事。イスラム国に参加する事、カリフ制国家の下に集う事が正しい事であるという考え方を宣伝する事。支配地域を拡大して行く上で、イスラム国は自分達の支配についての正当性を確保する事を何より重視している。武力で人を脅しつけて言う事を聞かせる事は可能だが、それだけでは国家を名乗る事は出来ない。自分達の支配に正当性がある事を認めさせ、支配地域内に住む住民の安全を守り、生活環境を改善する事は国家の役割であり、イスラム国はその事に気付いている。外国人を拉致して身代金を要求するという、いかにもテロ組織然とした顔だけがクローズアップされる一方、見えない所では着々と基盤を固めている。その強かさは、イスラム国と敵対する国々にとって脅威だ。

 日本人の悪い癖で、毎日報道を見ていると、何となく与えられた情報だけでイスラム国の問題について分かった気になってしまう部分があるのだけれど、本著の様に新たな視点からの情報を与えてくれるものに手を伸ばして行く事は必要だ。今まさに後藤健二氏の解放に向けた外交交渉が行われている事と思うが、交渉相手は簡単な相手ではない。彼等の文化的、歴史的、宗教的背景についての知識を深める事。この問題について語る上で、自分達にもまたその事が求められている。

 

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Author:黒犬
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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