昔も今も殺人者である彼へ・元少年A『絶歌』

 

 個人的に『元少年A』という著者名には違和感がある。当然、実名が出せない事は分かる。しかし、自分の中にはかつて彼自身が名乗った『酒鬼薔薇聖斗』という名前が刻み込まれていて、その名前以外で彼を呼称する事は難しい。よって自分はこの自称『元少年A』を、ここでは『酒鬼薔薇』と呼ぶ事にする。『元』は付けない。自分から名乗った殺人者の名は、現在がどうであれ生涯背負い続けるべきだし、他人からその名で呼ばれ続ける事もまた甘んじて受け入れるべきだろうと思うからだ。

 本著は、被害者遺族から出版許可を得ていない事、出版差し止めや回収の要求を太田出版が事実上拒否した事、そもそも著者が本当に酒鬼薔薇本人なのか疑問を呈する声が上がっている事等から、物議を醸している。Amazonのカスタマーレビューも「印税目当て」「出版社は金になれば何でもいいのか」といった内容でほぼ埋め尽くされ、本当にこの本を読んだ上での感想は少ない。読んだ人間からの伝聞や、適当な想像で書かれた感想、酒鬼薔薇本人と出版社への批判だけが垂れ流されるのはいかがなものかと思う。その上、本著の全文をスキャンしたデータがネット上に違法アップロードされるなどという事態に陥り、「元少年A憎し」「出版社の金儲け許すまじ」という『義憤』によって、出版差し止め・回収要求とは裏腹に、更に本著の内容が拡散されるという異常事態が発生している。

 一部には「この本を買って、元少年Aと太田出版を儲けさせている奴も同罪だ」という声がある。その為、きちんと本著を読んだ人間の感想は更に出難くなっている気がする。だからという訳ではないが、自分が感想を書いておくべきだろうと思った。もっとも、自分が書いたものに需要があるかどうかは知らないけれど。

 自分は以前、マイケル・ストーン氏の著書『何が彼を殺人者にしたのか』の感想を書いた事がある。どんな凶悪犯や猟奇殺人者でも、彼等は人間だ。酒鬼薔薇が一時貪る様に読んだという『週刊マーダーケースブック』にその名前が挙げられた殺人者達。そして酒鬼薔薇が本著で『当時の僕にとってのスター』と称したジェフリー・ダーマー、テッド・バンディ、アンドレイ・チカチーロといった猟奇殺人者も、初めからモンスターとしてこの世に生を受けた訳ではなかろう。もし人間を猟奇殺人に駆り立ててしまう様な原因があるのなら、自分はそれを知りたいと常々思っている。何が人間の心を壊すのか。何が人をモンスターに変えてしまうのか。

 自分が『絶歌』を手に取ったのも、その理由が酒鬼薔薇本人の口から語られる事を期待してのものだ。何が彼を殺人者にしたのか。その理由が、第三者の分析ではなく、本人の口から語られるかもしれないと思ったからだ。だが、結論から言うと、その謎が明らかにされる事は無かった。少なくとも、誰もが納得出来る様な理由ではないと思う。

 本著は、彼が逮捕され、医療少年院に送られるまでを回想と共に綴る第一部と、医療少年院を仮退院してから現在までを描く第二部とで構成されている。第一部の中で酒鬼薔薇は、最愛の祖母の死が、『僕の精神が崩壊するトリガーのひとつであった』事を告白しているが、それに続いて『人間の精神はダイナマイトによるビル解体のように、たったひとつの出来事を起爆剤に整然と崩れ去るものではない』とも書いている。後にナメクジやカエルを解剖し始め、猫を殺し、人を殺すに至る彼の異常性の原点。祖母の死を受け入れられなかった事は、彼が本著で告白する異常な性衝動を芽生えさせるトリガーだったのだろう。本著の巻頭には、その祖母に抱かれる幼少期の酒鬼薔薇の写真が掲載されている。

 しかし、当然の事だが「優しかった祖母の死」が、全ての人間を殺人者に変え得るなどという事はあり得ない。自分もまた、酒鬼薔薇とそう変わらない年齢で祖母の死を経験した。祖母の死をきっかけとして、自分は本当の意味での『死の恐怖』を知ったのだと言える。

 どんなに優しい人も、善人も、皆いつか死ぬ。父も、母も、自分も、やがては祖母がそうであった様に死ぬ。死んで、その記憶も、思い出も、今こうして考えている事も、全てが無になる。黒く塗り潰され、消えて行く。ならば、今自分がこうして何かを考えている意味は何だ? 生きている意味は何だ?

 当然、小学校中学年の頭でこんな哲学的難問に答えが出せる筈もなく、(というか今でもその答えは得られていないが)自分は悶々としていた。その時の心境と、本著で酒鬼薔薇が吐露した過去には共通点がある様に思う。だが自分は酒鬼薔薇の様な殺人者にはならずに済んだ。今思えば、それには妹が生まれた事が少なからず影響した様に思う。死は誰にも避けられないが、生まれて来る命もあるという事。その事が自分を『こちら側』に繋ぎ止めてくれた気がする。しかし酒鬼薔薇が本著に記した体験が事実であり、本心であるならば、自分は酒鬼薔薇の立っている側に、一度は限りなく近付いていたのかもしれない。自分と酒鬼薔薇には、それ程差は無かったのかもしれない。

 第二部で、酒鬼薔薇は医療少年院を仮退院し、『社会復帰』を果たす。
 殺人者が、それも過失ではなく、故意に他人を殺害した者が、もう一度社会に戻り、生活を始める事。それは被害者遺族には決して許せない事だろう。もし仮に、自分の家族が誰かに殺されたとするなら、自分がそれを許す事はない。決して。

 自分の家族を殺した者が、今もこの世界のどこかで生きて呼吸をしているという事。のうのうと、ではないにしろ、それなりの苦しみを味わっているのだとしても、まだ生きて、何かを考え、何事かを成しているのだという事。それを許せる程、自分は優しくない。寛容でもない。そうした遺族感情は、酒鬼薔薇本人も分かっていた筈だと思う。しかしながら、彼はそうと知った上で本著を執筆した。自分がまだ生きていて、望むなら本を書く事も出来るのだと証明した。遺族側から見れば、挑発だろうと思う。本人にその気が無かったのだとしても。

 命を奪われた側にはもう決して出来ない事が、酒鬼薔薇には出来る。呼吸をする事。食事をする事。働く事。本を書く事。金を稼ぐ事。本を読む事。映画を観る事。自分の考えを持ち、それを述べる事。その事に対する負い目を、彼はどの程度感じているだろうか。

 死をもって償えないのなら、殺人者の償いとは生き続ける事の中にしか無い。理屈としてはそうだ。遺族感情を考慮しないのならその通りだ。しかし彼は自身でも書いている通り、たくさんの人に支えられ、助けられ、受け入れられて、社会復帰を果たした。そして今も彼の事を、多くの人が支えている事だろう。一方、被害者遺族はどうだったのか。加害者が手厚く保護される一方、被害者はその心の傷と自ら向かい合うしか無かったのではないか。その辛さ、苦しさを思う時、本著で酒鬼薔薇が訴える苦悩や苦労話は、自己弁護の様に響く。本人にその気が無かったのだとしても、多くの読者はその様に受け取るだろう。そう思われながら生きて行く事。誤解されながら、恨まれながら、許されないまま生きて行く事。それが今の彼に出来る償いなのかもしれない。『元少年A』でも、生まれた時の名前を捨てて得た今の名前でもなく、『元』など付かない、昔も今も『酒鬼薔薇聖斗』と名乗った殺人者である彼に許された償い。本人はその事を受け止められるだろうか。

 

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ジャンル : 本・雑誌

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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