言葉が不滅であるようにという願い・冲方丁『小説BLAME! 大地の記憶』

 

 冲方丁氏が『BLAME!』の小説を書くと聞いて、自分はあの独特のクランチ文体を駆使したエッジの立った文章を予想していたのだけれど、蓋を開けてみればそんな事もなく、物語も原作漫画を踏襲する形で、失礼にも「これ本当に冲方丁が書いた作品?」と思ってしまった。原作漫画を読んでいると、小説を読んでいても漫画のシーンが思い浮かぶ様な場面が多く、思いの外さらりと読めてしまう。それ位初見の印象は「薄味」だった。

 本作を読む前に、執筆陣の作家性を前面に出した短編集『BLAME! THE ANTHOLOGY』を読んでいたせいもあるかもしれない。あの「濃さ」の後に読むと、原作のストーリーをなぞる本作が薄味に感じるのは致し方ない気もする。

 では、本作の特徴とは何か。自分が再読してみて感じた事は原作へのリスペクトと、その中に控え目に込められた作家の思いだった。

 まず、本作の題名である『大地の記憶』とは、原作漫画の『LOG.2 大地の記憶』から来ている。漫画の各話タイトルまでは流石に憶えていなかったのだけれど、原作と小説を比較して読み進める中で気付いた点だ。そして原作の『LOG.2 大地の記憶』の中で、主人公である霧亥はその長い旅の途中で手に入れた本の中のある一節を読み上げる。

 “「冷たく静かな大地が明るくなる頃 人影は丘の上に登った」”

 そして「大地って何だ」と呟く。無限に増殖する都市構造物の中にあって、霧亥はむき出しの大地を知らない。原作ではここまでだ。だが、本作では同じ一節の後に、作者による一文が付け加えられている。

 “「冷たく静かな大地が明るくなる頃、人影は丘の上に登った。やがて輝く空へそのおもてを向けながら地上の一切の憂いを忘れて約束のときを迎えた」”

 そして原作と同じ様に霧亥は「大地って何だ」と呟く。ただ原作と異なるのは、霧亥がこの言葉を携える様にして旅を続ける点だ。物語の終盤にこの一節はまた表れる。「約束のとき」とは何かという問いを孕んで。

 様々な解釈が成り立つだろうと思う。ただ自分は、物語の構成を原作から大きく変える事が無かった冲方氏が、この印象的な一節には新たに自分の言葉を書き足した事に、何らかの意味はあるのだろうと思う。

 『BLAME!』の世界観では、恐らく紙の本はおろか小説をはじめとする創作物のほとんどが生き残ってはいないのではないかと思う。霧亥がどこかで手にした件の書物も、果たして作者の創作なのか何かの記録なのか判然としない。そして、そこに書かれている事が事実なのかどうか確かめる術もなければ、そうする意味もない。

 人は無限に増殖する都市に取り込まれる様に生きる。もう自分達の意志で何かを創造する事はない。かつて人が、自らが暮らす家や街、都市や国家の形を創造して行った時代があったのだとしても、それはもう誰も知らぬ遠い過去の歴史に埋もれてしまっている。与えられた環境の中で生存する事が全てであり、創造的な行為も、その継承さえもおぼつかない。

 そんな『BLAME!』の世界は、自分達が生きるこの時代から遙か未来に設定されている。そこでは文化と呼べるものはほぼ死に絶え、人は都市に寄生する様に生きながらえている訳だが、その世界観の中で、現代の作家である冲方氏が、原作にはない自分の言葉を霧亥に託して歩ませた理由のひとつは、言葉というもの、物語というものの不滅性を信じたいという点にあるのではないかという気がしている。

 書物が朽ち果て、文明が衰退し、新たな文化の創造が停滞した世界で、かろうじて消滅する事を免れた言葉が誰かの心に刻まれる事。その誰かの中で言葉が再び意味を獲得し、息づく事。その可能性。
 それは作家にとっても、読者にとってもある意味の希望になり得る。物語が持つ普遍性。言葉が人の心に根付くという事の意味。そういった事が、決して無価値にはならないで欲しいという願いがそこにはある。

 その願いが、これからも継承されて行くのかどうか。はるか遠い未来まで見通す事は自分達には出来ない訳だが、そのささやかな願いの積み重ねが自分達を生かしているのではないか。そしてこれからも生かして行くのではないか。今はそう思う。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon