近現代史を学び直す事の意義・百田尚樹『今こそ、韓国に謝ろう』

 

 今回は長文になってしまい、申し訳ありません。政治色が強い内容になるので、お嫌いな方はスルーして下さい。

 さて、政治色が強い本なので、一言Twitterで呟いて済ませるつもりだったが、反応を戴いてしまったので言葉足らずだった部分もあるだろうかと思い、長文を書く事にした。

 題名を見れば、「今こそ日本は過去の行いを反省し、韓国に謝罪すべきである」という本に見える。ただ通読してみるとそれは少し違っていて「日本人は併合時代に良かれと思って朝鮮半島に投資を行い、インフラを整備し、学校を作って人々を教育し、差別的な身分制度を改めさせる等、様々な取り組みをした。実際それは良い結果をもたらしたと思うが、現に今、韓国国民が併合時代を批判的に受け止め、反日的な言説が支持されるという事は、当時朝鮮に住んでいた人々の意思を尊重したものではなく、大きなお世話だったと言える。その事を反省すべきである」「セウォル号沈没事故で船長が真っ先に逃げ出す等、韓国人の国民性が恥ずべきものになってしまったのは、併合時代に彼等を教育した際に、最も大事なモラルを教え込む事が出来なかったからで、この事を日本人は反省すべきである」等、裏を返せば「日本は朝鮮の人々にこれだけの事をしてあげたにも関わらず、現在の両国関係が良好でないのは(韓国が反日的なのは)不本意だ」とする中身になっている。

 本著によれば、日本人は朝鮮に対して莫大な額の投資を行ったという。何せ併合前、文盲率が90パーセントを越えていたとされる朝鮮人にハングルを普及させるべく、小学校を全土に建設してまで教育の質を改善させようとしている。大韓帝国国民がそれを望んだかどうかという問題はあるが。

 通読して、(自分の様な日本人からすれば)特に批判すべき内容はない。なぜなら、こうした言説は立場を変えてみればいくらでも出て来るものだからだ。しかし、書き方が煽っているなとは思う。

 百田尚樹氏といえば、ベストセラー小説になった『永遠の0』の著者であるから、自分が書いたものが読者にどう読まれるかなど想定の範囲内なのだろうと思う。だから仮に韓国側の立場に立ってこの本を読んだとすれば、それがどれだけ不快な文章になっているか分かる筈だ。分かっていて、やっている。おちょくっていると言っても良い。一昔前に、『褒め殺し』という皮肉を効かせた言説が注目された事もあるが、本著はそれに近い。

 そこで自分は、本著に登場する『韓国』を『日本』に置き換えた本が出たら、さぞかし日本人にとって不快なものになるだろうと『今こそ、日本に謝ろう』というものをふと考えてみた。もちろん著者は米国人だ。

 「自主憲法の制定を妨げた事を謝ろう」「平和憲法を与えた事で安全保障を米国に依存する体質を作ってしまった事を謝ろう」等々、日本の戦後民主主義に対して米国人がひたすら謝り倒す(フリをして自分の正しさを主張する)作品だ。これに対してTwitter上で、ある方から「何故、正面から受け止めて批評せず、アメリカを持ち出すのでしょう?同列に扱って申し訳ありませんが、左巻きの人が、すぐに論点をすり替えて他人を攻撃する手法と同じ感じがします。真面目に読み返して、真に心からの感想を拝読して見たいものです。」とのお叱りを受けた。自分の感想を読まれた事で不快に思われたのなら謝罪しなければならない。本当に申し訳ありませんでした。

 ただ、自分が本作を真面目に読まなかったかの様な印象を持たれてしまった事は残念だと思う。自分は本作を真面目に読んだ上で、『今こそ、韓国に謝ろう』が成り立つならば『今こそ、日本に謝ろう』も成り立つよね、という立場を変えたものの見方、考え方をしてみたに過ぎない。そこに百田氏の著作を殊更に批判する意図はない。

 ベストセラーになったシンシアリー氏の『韓国人による恥韓論』という本がある。韓国人の目線から、自国のおかしいと感じる部分、恥ずべきだと感じる部分をまとめたもので、シリーズ化されている。自分は数ある、いわゆる『嫌韓本』の中で、韓国人の手による自己反省という視点が徹底されている本作が最も評価に値するものだと思う。日本人が同じ様な『嫌韓本』を出すと、そこにはどうしても他者を嘲る視点が含まれてしまう様に思うからだ。同時に、『日本人による恥日論』を論じる日本人がいてもいいと思う。それこそ忌むべき自虐史観ではないか、とまたお叱りを受けそうではあるが、自己反省が必要な部分は多かれ少なかれどの国にもあって、おかしいと思う事をおかしいと批判する言説が内側から出て来る事は健全な事だと思うからだ。例えば「安全保障の要である自衛隊が合憲か違憲かなどという問題で揉め続け、自衛隊の憲法上の位置付けを曖昧なまま放置し、自衛隊員の活動を正当に評価して来なかった」とか。

 話を『今こそ、韓国に謝ろう』に戻す。

 繰り返しになるが、百田尚樹氏は作家であり、自分が上に書いた様な「もし逆の立場から本作を読んだとしたら」「もし韓国を日本に置き換えて考えたとしたら」などという事はもちろん想定した上で本作を書いていると思う。つまり自分の書いた文章が読者にどう読まれるかなど分かりきった上で本作を書いている訳で、だとすれば韓国人が本作を読んだなら不快に思うであろう事も承知の上で書いているという事だ。自分ごときが言うのも何だが、もう少し、他に書き方が無かったものだろうかと思う。

 本作に書かれている事は、恐らく現代に生きる日本人も韓国人も知らない事が含まれている。もちろん自分も知らなかったが、それは学校で詳しく教えないからだ。極論だが、自分は日本史や世界史の授業で高校生までに教えるべき内容の比率を変えてみるべきではないかと思っている。戦国時代などは確かに勉強すると面白いものだが、実生活に必要な知識や国際感覚などは、近現代史にこそ学ぶべき部分が多いのではないか。現状の教育現場では、教えるべき内容が多過ぎて、近現代史に辿り着く頃には息切れし、受験内容に重要でない部分は酷く薄味になってしまっているのではないかと思う。近現代史をもっと濃厚に(できれば義務教育の中で)教わる機会があれば、なぜ日韓関係はこじれているのかとか、日米同盟とは何かとか、日本国憲法の成立過程とか、改憲派と護憲派のそれぞれの主張等の問題について、学生が「自分の意見」を持つ助けになると思うからだ。もしかすると教師の個人的見解を吹き込まれる事を恐れて近現代史には触らない様にしているのかもしれないが、(そして実際、授業中に個人的見解を開陳する教師はある程度いたが)そこを避けて通る事は出来ない様に思うのだ。

 それを踏まえて考える時、貴重な資料として使えるかもしれない内容を含みながら、本作はその書き方に相手をただただ不快にさせかねない要素が含まれていて適当ではない様に思う。出来れば本作に書かれている様な事実のみを淡々と列挙して、日韓双方の学生が資料として使いながら歴史認識に関する議論が出来る様になっていれば良かったのだが、そこまでの中立性を本作は担保出来ていないし、最初からその様に中立的な立場を取ろうともしていない。

 近現代史における日本の歴史観は自虐史観であると言われる。本著はそれに対するカウンターであるから、そもそも中立的な資料であろうとはしていない。自分の様に「中道から若干左寄り」くらいの立ち位置から見れば本著は若干右寄りであり、もっと左の人からすれば相当な右寄りという事になるのだろうが、「自分の立場を固定して議論する事は不毛である」というのが自分の持論だ。自分が立つ場所が正義であり、それ以外は間違っていて、敵であるという思想で戦うなら議論の必要がない。それはただの口喧嘩であり言論プロレスだ。

 極端な話、日本がこの先良くなるのなら現政権が存続しようが政権交代が起ころうが自分は構わない。改憲派と護憲派のどちらが勝っても、結果日本が良くなるのであればいいと思っているし、その時々の政策において日本を良くしてくれるであろう方に自分は投票する。もっと言えばそれぞれの派閥に属する人々にはいい加減言論プロレスのリングから降りて、お互いの政策課題をすり合わせてより良い政治を実現できる様な体制に変わって行ってもらいたい。国会中継をプロレスの様に観戦する趣味はないのだが、たまに見ると俗に言う「しょっぱい試合」が多くて見るに堪えない。

 言論プロレスという事で言えば、本著は韓国に対して非常に挑発的である。マイクパフォーマンスが上手いレスラーの様だ。本著をヒールと見るかベビーフェイスと見るかは人それぞれだろうが、題名から謝罪しようという姿勢を覗かせておいて、蓋を開けてみれば「まあ自分達は良い事をしたと思っているんだけれど、余計なお世話でしたね」という落とし方は、垂直落下式ブレーンバスター並みの落とし方で、仮に米国から日本に同じ様な言説が向けられたら相当な反感を買うだろう。それを分かっていて韓国相手にやる辺り、百田氏はエンターテイナーだなと思う。良くも、悪くも。

  

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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