日大付属高校の卒業生として『日大アメフト部 悪質タックル強要問題』

 こういう事を書くのはこのブログの趣旨ではないし、書こうか書くまいか散々悩んだのだけれど、監督やコーチに反則行為を強要された(に等しいと自分は思っているのでこう書く)選手の事を思うと、何だか悶々として夜も眠れなくなってしまい、吐き出すに近い形になってしまっても自分の考えを書き残しておくべきだろうと思った。

 自分は数ある日大付属高校のひとつをかれこれ20年以上前に卒業した人間だ。そして教員免許を取得する為に短い期間ではあるけれど教育実習生として母校に戻り、教壇に立った人間でもある。

 自分は結局日大に進学出来なかったし、(当時勉強が大嫌いだったせいで単純に成績が足りなかった)教員免許は取ったものの教員採用試験は受けなかったという、世間から見れば何だか半端な経歴の持ち主なのだけれど、それでも付属高校を母校として育った人間ではある訳で、本当は母校が連なる日本大学を悪く言いたくはない。言いたくはないが、正直ここまで腐った体質を連日報道されると何をやっているんだと思うし、将来のある若者に責任を押し付けて自己保身に走っている様に見える大学側の姿勢を見るにつけ、もう今日明日にでも関係者は教育者を名乗るのをやめて職を辞してもらいたいとすら思う。

 さて、日大付属校の全てがそうなのかは知らないが、自分が卒業した付属高校には高校の校歌はなく、(一応学校独自の歌として『学生歌』というものはある)高校でも日本大学校歌を歌う。その歌詞は次の通りだ。

 日に日に新たに 文化の華の
 さかゆく世界の 曠野の上に

 朝日と輝く 国の名負いて
 巍然と立ちたる 大学日本

 正義と自由の 旗標のもとに
 集まる学徒の 使命は重し

 いざ 讃えん 大学日本
 いざ 歌わん われらが理想

 これを歌っている高校生でも分かる事だが、日本大学は『日本』という国の名を背負っている訳で、その名に恥じぬ様に常に毅然としていなければならない。今回、誰よりもその事を認識していなければならない大学本体が自らその名に泥を塗った訳だが、なぜこの様な事が起きてしまうのか。自分は付属校を含めた巨大組織日本大学が外部からの視点に乏しく、組織内部ばかりを気にしなければならない体質である事にそもそもの問題があるのではないかと思う。

 これは巨大組織がしばしば抱える問題で、一般的な価値観や倫理観よりも、組織内部の要求をいかに達成して行くか、また組織内部でいかに自分の立ち位置を守って行くかという事に組織構成員の意識がすり替わって行ってしまう事により発生する。

 今は変わっているかもしれないが、ひとつ昔話をしよう。

 自分が付属高校に入学した時に、当時の校長がしきりに言っていたのは「5カ年計画で日大統一テストの平均点を何点上げる(具体的な点数は忘れた)」という事だった。

 今は統一テストの制度も変更され、名前も変わったらしいが、当時日大の付属高校には統一テストと呼ばれる大学への推薦枠を得る為の試験があった。高校3年間の学習成績(評定)と3年生時に各付属高校で実施される統一テストの成績で日大の各学部に推薦される制度で、一般受験とは完全に別枠で日大進学の可否が決まる。

 統一テストの学内平均点が重要視されたのは、その成績如何で大学側から貰える推薦枠が決定する為らしく、日大に何人進学させられたかがひとつの評価基準とされる付属校側にとって統一テストの成績はある種の死活問題だった。当然校長も事ある毎に統一テストの名前を出して勉学に励む様にと生徒に念押ししていた。

 だた、当時の自分が半笑いでそれを聞いていたのは、自分の入学年度が5カ年計画とやらの2年目で、自分達が卒業する時までに結果が出るものではなかったからだ。それに当然、付属校に入学したからといって、全ての学生が日大進学を希望するものではない。同級生にも法政大学に進学した者もいれば東大や芸大、音大に進学した者もいた。

 少なくともこの学校の上層部は、統一テストの結果を重視するあまり生徒個人を見ていない。当時の自分はそう思った。

 統一テストの成績を上げて、日大進学者数というある種の実績を作る事に躍起になっている学校側と、彼等から常に尻を叩き続けられる生徒との微妙な価値観の齟齬は当時から感じていた。校長を始めとする教員は付属校を含めた日大という巨大組織の内側でどう立ち回るかを常に意識している。そして生徒はとにかく日大に進学できる学力を付ける事を第一に教育される。統一テストで重要視されるかどうかが授業内容の時間配分を決定していたから、テストで取り上げられる割合が低い内容はあからさまに省略されるなどしていた。自立した高校というよりも日大進学を目標にした巨大な学習塾の様だった。

 他にも各付属校の成り立ちによる正付属、特別付属、準付属といった系統分けの様なものも妙な格付けとして機能していて、正直自分には大人達が何を本気になって競っているのか最後までピンとこなかった。

 当時から常々思っていたのだけれど、日大『付属』高校である以上、常に本体である日大を意識しなければならないのはやむを得ないのだとしても、「高校独自にやがて社会に巣立つ生徒をしっかりと育てて行くのだ」という姿勢が感じられなかったのはなぜなのだろうか。二言目には統一テストだった校長然り、授業内容然りだ。進学校と言われているとはいえ、高校から社会人として世に出て行った仲間もいた。他大に進学した仲間もいた。彼等にとってはあくまでも日大という組織内部での学力をはかるものでしかない統一テストの成績を稼ぐ方法などよりも、もっと学ぶべき大事な事があった筈だ。人生の中でその一時期にしか得られない学びの機会があった筈だった。でもそれらはどこか二の次にされていた様に思う。

 そうした中で、文字通り大学の出先機関であり付属物であるかの様な母校の振る舞いだけは、自分は最後まで好きになれなかったし馴染めなかった。もちろんそうではない先生方もいて、自分はそうした先生方の授業にしか興味がなかったのでみるみる成績に偏りが出て一部教科で赤点を連発するという、学費を出している親からすれば噴飯ものの問題児になってしまった。そのくせ大学に行ったら学問が面白くて仕方なくなり、しれっとした顔で教員免許を取りに実習生として母校に舞い戻って来るのだからなお質が悪いのだが、これはまあ余談である。

 大きく回り道をして、話は今回の不祥事に戻る。

 前段の話を踏まえて頂ければ、日本大学という巨大組織が持つある種の『異質さ』や『内向きな姿勢』が今回の問題にも大きく影響しているであろう事がご理解頂けるのではなかろうか。

 20を超える付属校を束ねる日本大学は、ある意味で『閉じた帝国』の様なものだ。今回問題を起こした内田前監督はその帝国の人事担当常務理事であり、日大のナンバー2と報じられる『権力者』だ。権力者が白といえば黒いものでも白くなるのは何も日大に限らず世間一般の悪しき慣習だが、日大の様に「世間から閉じた組織内部の価値観に基づいて、組織のトップから末端までが動く」様な場所では、トップに近い人間の行使する権力に際限がなくなる。「法を犯していようが道義に反していようが、俺がやれと言ったらやるんだよ」とでもいう様な無理な要求を拒める人間が誰もいない状況で発せられる『指示』は、その指示に従った人間の個人的な責任を問う事が酷に思える程強烈だ。

 正当な理由もなく日本代表への参加を止めさせられる。練習や試合に出られない状態に置かれ、試合出場と引き換えに反則を強要される。挙句の果てに責任を問われる段階になれば全ての責任を押し付けられて切り捨てられる。ある意味で保護者から大切な家族をお預かりして教育を行う大学の、大人のやる事がこれだという事が、最早末期だ。日大という組織が付属校も含めて世間ずれしているとか、組織内部の基準に則ってしか行動できていないとか、或いは今この時も望まない組織防衛をするしかない立場に追いやられている教職員や広報担当者が哀れだとか、そういう次元を通り越している。前途ある学生を傷害事件の加害者にしてまで勝たなければならないスポーツの試合などというものがこの世に存在するとは思えないし、仮に相手選手を故意に負傷させ、選手生命を脅かし、以降の試合に出場できない状態に追い込む事で甲子園ボウル2連覇を達成したとして、内田氏はそれに意味があると本気で考えていたのか。もし考えていたのだとすれば、「貴方は日大の中では帝王なのかもしれないが、いい大人が無邪気に、無自覚にその権力を振り翳すな」と言いたい。

 昨今、セクハラやパワハラといった、地位と権力を笠に着たハラスメントが枚挙に暇がないが、共通しているのは権力を持っている側が、自分が権力を濫用しているという事実に無自覚だという事だ。「自分は明確な指示など出していない(実行者が勝手にやった事)」「嫌なら拒めば良かったのだ」という様な事を平気で言う人間ほど質が悪く、自覚が無い。そうした自覚なき権力の濫用について、一般市民が辟易している所にトドメとばかりに今回の事件が来た訳だが、この期に及んで日大が内田氏を庇う(又は不本意ながら庇わざるを得ない)状態が続くなら、付属校の卒業生として、母校の親である巨大組織日本大学の振る舞いや価値観がいかに間違ったものであるか折に触れて語って行くつもりだし、書き残して行くつもりだ。

 国の名を背負って毅然と立つ事が日大のあるべき姿だと言うのであれば、一刻も早くその姿を取り戻して欲しいし、それが出来ないと言うならば、そんなただ肥大化しただけの組織は倒されるべきだ。自分はそう思うが、諸先輩方は如何だろうか。

 5/23 記者会見後追記

 どうやら自分の知る日大はもう死んでいた様です。
 
 この先、生き返る事もないでしょう。怒りを通り越して悲しみすら無くなって、最後に虚無が残りました。

 これが大人の姿なんですね。ご立派過ぎて涙が出ますが。

 恩師のこんな姿を見た後に、選手は人生の目標をどう見定めたら良いのでしょうか。

 心ある方、何卒彼だけは助けて下さい。

テーマ : 教育問題
ジャンル : ニュース

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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