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この世界のどこにもいない君へ・三秋縋『君の話』

 

 読み終えて、本を机の傍らに置いてから天井を見上げてみる。次に目を閉じて、ゆっくりと、今結末を迎えた物語を反芻する。全力疾走した後の短距離走者がゴールの後に息を整える様に、或いはダイバーが水から上がる時の様に、自分は少しずつ『現実』に帰って来る。自分の体が置かれている現実との同期を取り戻す。
 そして目を開けて、いたる所に本が置かれた部屋を見回して思うのだ。

 「この部屋は、<義憶>ばかりだ」

 本作について、自分は客観的な、そして冷静な感想を書く事は出来ないだろうと思う。その理由について、同じく三秋縋氏の『恋する寄生虫』の感想で書いた事を引用するならばこうだ。

 “BUMP OF CHICKENの『才悩人応援歌』という曲があって、その中に『自分のために歌われた唄など無い』という歌詞がある。それはきっと「だからこそ自分自身が、自分の為の歌を歌うべきなんだ」という意味に繋がっているのだろうと思うけれど、自分はこうも思うのだ。たとえその唄が、自分の為に歌われたものではないのだとしても、それを自分の為の唄だと思い込んだって良いのではないかと。そしてそれは、小説でも同じなのではないかと思う。”

 本作『君の話』についても自分は同じ様な受け止め方をしてしまう。この物語が、あくまでも自分の為に存在する物語であるかの様に勘違いしてしまうし、その勘違いに気付いていながら訂正しようとも思わない。そうして自分は数多くの小説や漫画、映画やゲームといった『物語』を、<自分の為の物語>として受容して来た。

 物語の登場人物に感情移入する事も、ゲームを操作しながら主人公に自分を投影して行く事も、映画を見て涙を流す事も、全ては極論すれば自分にとってかけがえのない<義憶>を得ようとする行為だったのではないかという気さえする。

 義憶。自分の中の欠損を埋める為に、偽りの記憶を書き込むという事が現実に出来る様になった世界。そして不都合な記憶を消去する事が出来る様になった世界。そこでは心の傷に対して、体に負った傷を治療するのと同じ様に手当てを施す事が出来る。心の傷は忘却によって丁寧にその傷跡を消され、孤独な者の心には大切な人との思い出が書き込まれる。実在しない<義者>との温かい思い出が、現実を生きる上での支えになってくれる。

 それらは嘘で、偽りで、だからこそ優しい。

 恋愛ドラマのキャッチコピーで、よく『真実の愛』という言葉を目にする。でもそういうものに触れて来なかった自分にとっては、真実なんて贅沢で手の届かないものの様に感じてしまう。恋愛以外だって同じ事だ。他者からの承認とか、自己実現とか、もっと青臭く言えば夢とか。それらは綺麗で、手を伸ばしたくなるけれど、掴み取る事が出来ない。いや、出来なかった。そのまま自分はここまで来てしまった。

 だから自分は物語に飢えているのだ。その事を本作に改めて指摘された気がする。

 常日頃意識しないでいようと目を逸らしている事。見て見ぬふりをしようと決め込んでいる事を改めて指摘される、その怖さと痛み。自分の中の脆くて弱い部分に鋭利な何かを突き刺される様な。だから自分は本作を読み始めてすぐに、これは怖い話だと思った。そして読み終えて、その予感は正しかったのだと思う。この物語は怖くて、痛い。でも心に痛みがあるのは、胸が苦しいと感じるのは、心に突き刺された何かが冷たいものではなく、むしろ温かいものだったからだ。優しさすら感じる程の。

 自分を理解してくれる誰か。自分が支えになりたいと思える他者。そうした『誰か』との出会いを自分達は心のどこかで待っている。それは山崎まさよし氏やスピッツの歌の中にいる『君』の様にとらえどころがない、具体的な名前のない『君』の様にも思える。

 まだ出会う事がない、もしくは過去にすれ違ってしまったかもしれない『君』の事を思い描く時の胸の痛みは、きっと義者との優しい思い出を思い起こす時に感じる暖かさと同じなのではないかと思う。その『君』は本当はどこにもいない。でも、『君』について思い描く時、そして物語の登場人物に感情移入する時、その「嘘の思い出」や「虚構の優しさ」が与えてくれる感情は、現実の誰かを思う時のそれと同じなのかもしれない。

 だから自分は、物語に執着する。

 現実が与えてくれない分を埋める為の義憶。人によっては虚しい事だと感じるかもしれない。虚構に耽溺する前に現実に目を向けるべきだと言われるかもしれない。ただ、自分はその事に反論しようとは思わない。何となれば、数々の物語が、言い換えれば義憶が、自分をこれまで生かしてくれた事を知っているからだ。

 そしてまたひとつ新しい義憶を自分は手に入れた。折に触れて読み返す事になるのかもしれない義憶だ。そしてこれからも貪欲に求め続けるだろう。それが本作の様な義憶なら幸いだと思う。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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