FC2ブログ

戦い続けた彼へ・萩原慎一郎『歌集 滑走路』

 

 “群衆の一部となっていることを拒否するように本を読みたり”   「群衆」

 小説が読めなくなってしまった。

 こういう事は時々ある。長い文章を読む為の集中力が維持できない。いつもなら意識しなくても、心が作品世界の中にするりと入り込んで行くのに、今の自分は潜水していて息が続かなくなった時の様に、途中で現実に浮かび上がってきてしまう。一章が読み切れない。途中で現実に捕まって、引き上げられる様に本を閉じてしまう。

 端的に言って、弱っているのかもしれない。もう本読みとして駄目になってしまったとまでは思いたくないけれど。

 本の感想を書く事は、自ら物語を書く事に挫折した自分に残った、ただひとつと言っても良い取り柄の様なものだと思う。本を読んでいる間は、日常生活ではむしろ殺している感受性を思い出す事ができる。だから自分は本を読んできたのかもしれないとすら思う。

 この社会の中で、自分は群衆であり、労働者であり、納税者であり、時に生産性や社会に対する貢献度を問われたりもする顔を持たない存在だと思う。そうした日々を生きる時に、感受性は邪魔になる。小さい事でくよくよしたり、心を痛めたりしてしまう様な弱さ。言い換えれば「心の中の柔らかい部分」を晒して生きていたのでは「生き苦しさ」に潰されてしまう。

 だから普段は何でもない様な顔をして生きていなければならない。心はなるべく平坦に。感動も喜びも悲しみも怒りもとりあえずどこか奥の方に押し込んで、蓋をしておこう。できる事なら鍵もかけておこう。他の誰かではなくて、自分に見付からない様に。

 そうして日々をやり過ごす。生きるのではなく、やり過ごす。それを一日続けられたら、一週間、一ヶ月、一年と積み上げて行く。どこかを目指している訳じゃないし、何者かになろうとしていた頃はとうに過ぎてしまった。それでも続いて行く日々をどうにかしなければならない。

 叶うなら自分は螺子になりたい。そうすれば機械的に生きる事に疑いを持たずに済む。

 でも自分はまだどんなに願っても機械にはなれないので、何かの拍子に感受性を思い出しては、それを物語によって慰めるという事をしてしまう。ずっと忘れていた方が楽だと知っていながら。

 “いつか手が触れると信じつつ いつも眼が捉えたる光源のあり”  「光源」                            

 “説明のできぬ感情抱きながら本を読みたり解読のため”       「風景画」

 歌人として生きるという事は、自分がこうして感想を書くよりも遥かに感受性を研ぎ澄ます事を求められるものだと思う。それを社会に削られながら続けて行く様な強さを、自分は持つ事が出来なかった。昨年、32歳という若さでこの世を去った萩原氏と自分との間に違いがあったとすれば、彼は辛くとも真摯に世の中や自分の感受性と向き合って生きる事を選び、自分はそこから逃げ出したという事なのではないかと思う。

 自ら命を絶った彼が弱かったのではない。
 戦う事を選べなかった弱さが、結果として今の自分を生かしているだけだ。

 この悲しみを何としよう。やり場のない憤りを、何としよう。
 歌を詠む事も出来ない自分にやれる事があるとすれば、ここでこうして今の気持ちを書き留めておく事くらいだ。
 それでは足りない事を知っていたとしても。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon