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誰もが、誰かの家族であるという事 リアノン・ネイヴィン:著 越前敏弥:訳『おやすみの歌が消えて』

 

 学校で起きた銃乱射事件で、6歳のザックは10歳の兄、アンディを喪う。誰が、何の為に学校を襲ったのか、ザックには分からない。兄の死も実感を伴わない中で、両親はアンディを喪った悲しみを受け止めきれずにいる。銃撃犯はその場で警察に射殺されたが、やがてその身元が長年学校に勤め、生徒から保護者まで皆に慕われる警備員、チャーリーの息子であった事が明らかにされる。

 なぜチャーリーの息子が乱射事件を起こさねばならなかったのか。誰もが困惑する中、やがてザックの母親は「チャーリーとその妻が自らの息子を適切に監督していなかった事が事件の原因だ」として、マスコミにも働きかけて彼等の責任を追求しようとする。一方でザックの父親は妻を宥めようとするが、その中でこれまで耐えて来た夫婦間の価値観の相違や夫の不義までもが表面化し、次第に家族はバラバラになって行く。

 ザックは二度と戻らない兄アンディとの思い出を振り返りながら、事件によって傷付き、諍いが絶えなくなった両親を思う。またチャーリーが加害者の父として責められる姿に「親友」として心を痛める。そして自分の中にある喪失感や怒り、悲しみとどう向き合って行けば良いのか、幼いながらも懸命に模索し始める。どうしたらまた家族が元の姿を取り戻せるのか。寝る前に母とともに歌った『おやすみの歌』が消えた家で、少年は過酷な現実との戦いを始める。

 今年3月、ニュージーランドのクライストチャーチにあるモスク2箇所で発生した銃撃事件では、最終的に50人が死亡、50人が負傷したとされる。逮捕拘束された銃撃犯は移民排斥を訴える白人至上主義者と報じられた。

 こうしたテロ以外にも、アメリカで起きたコロンバイン高校銃乱射事件やバージニア工科大学銃乱射事件の様に、学内でいじめの標的にされていた生徒や疎外感を抱えた生徒が銃や爆発物を持って自らが通う学校を襲撃するといった、個人的な動機に端を発する乱射事件も度々発生している。

 自分はクライストチャーチの乱射事件で犯人自ら撮影した動画を見た。

 恐らくアクションカメラの類で撮影されたのであろうその動画では、まるでFPSの様な視点で撃たれた人々が折り重なって倒れて行く姿が映し出されていて、現実味というものが感じられなかった。まるで映画の撮影か、ゲーム画面の様だった。
 犯人は逃げる人々に銃撃を加え、興奮した様子で何度もモスクの部屋を出入りし、倒れている人の中に死んだふりをした生き残りがいないかどうか確認する為なのだろうが、時折思い出した様に床に倒れた人々を撃った。

 それは紛れもない現実でありながら、先に述べた様に現実味が感じられない映像だった。さらに言えばマスメディアの報道についても、「移民排斥を主張する白人至上主義者がモスクを襲撃した」という情報では、具体的に何が起きたのか実感する事が出来なかった。

 そんな中、Twitter上で被害者達の人となりを発信して下さった方がおり、自分はそこでようやく「誰かの家族が、父や母や子や孫、祖父母といった名前も顔もある市井の人々が撃たれたのだ」という事を実感する事が出来た。

 戦争での戦死者数や災害での死傷者数は、名前も顔も持たない脱色されたデータじみていて、それ単体では実際に起こった悲劇を実感する事は難しい。逆に犯人側から言えば、撃ち殺そうとする相手を人間として見なければ、どんな残酷な事でも出来る。殺そうとする相手を射撃の的としてしか認識しなければ抵抗なく引き金を引く事が出来る訳だ。

 殺そうとする相手を人間だと思わない事。それが誰かの家族であり、帰りを待つ人がいて、一人ひとりがかけがえのない存在なのだという事を「認識の外側に追いやる」事。それが殺害を成功させる為の最初のステップだ。「移民」や「異教徒」「外国人」というカテゴリに人を押し込んで、個人の背景を無視する事もその手段のひとつだろう。個人としての相手に向き合わない事。記号化し、抽象化し、危害を加えても良い、殺しても良い対象として認識する事。その先に一連の事件がある。

 ただ、本作を読めば分かる事だが、被害者にはそれぞれ家族がいて、そこで断たれるべきではなかった人生があった。その事を6歳の少年の目を通して、また彼の家族の姿を通して描いてみせる事。そこに本作の意義がある。

 また本作は被害者側の苦悩だけではく、加害者家族の痛みにも一定の理解を示そうとする。ある日突然自分の家族が取り返しの付かない罪を犯してしまったとしたら。そうした加害者側に寄り添う姿勢を見せる事は、バッシング等のリスクを伴う事だ。それでも作者があえて銃撃犯の家族を主人公の少年と近い場所に置いた理由を考えると、それはより困難な『許し』や『再生』というテーマに繋げたかったからなのだろうなと思う。

 仮に家族を殺されて、その加害者本人や加害者家族を許せるかというのは難しい問題だ。自分だったら許せない気もする。それでも『許し』をテーマにするべきだと作者が考えたのは、憎しみを乗り越えた場所にしか人間の『再生』はないという信念に基づいているからかもしれない。では、自分達は加害者を糾弾するのではなく、何に立ち向かうべきなのか。本作はその答えを導き出す一助になるだろう。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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