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その歩みを止めないのなら・三田誠『ロード・エルメロイII世の事件簿10 case.冠位決議(下)』

 

 FGOですが、うちのグレイはレベル100です。ちなみに諸葛孔明(エルメロイⅡ世)とイスカンダルは引けてません。更には司馬懿(ライネス)も引けてませんしアストライア(ルヴィア)も引けてません。(謎の挨拶)
 まあほぼほぼ無課金だとこんなもんでしょう。グレイが配布で本当に良かった。

 作者の三田誠氏に関して言えば「自分で小説を書いているのにFGOでは孔明が引けない」という呪いを長い間受け続けていた事もあり、全国のファンから孔明ピックアップガチャが来る度に「三田先生お願いだからもう孔明を引いて!」という祈りやら「呼符で来ました」という無慈悲な報告やら、幅広くコメントが集まるお祭りと化していたりもした。(その後三田先生は無事に孔明を引く事ができました。良かった)

 さてFGOの話は程々にするとして、三田誠氏の『ロード・エルメロイII世の事件簿』シリーズも今回で完結となった。好きなシリーズが完結する時はいつも思うのだけれど、「物語はここで一旦幕引きになるけれど、登場人物達はこれから先も作品世界の中で生き続けるのだろうな」という余韻があって、少し寂しくもあり、また物語の完結をお祝いしたくもあり、という複雑な心境だ。特にエルメロイⅡ世=ウェイバーの目指すものは、まだ遥か彼方にあって、彼はその歩みを止める事が出来ないのだから。

 別の所でも書いたけれど、人が生きて行くには『夢』とか『目標』が必要なのだろうと思う。良く言えば『生きがい』とも言い換えられるかもしれない。でもそれが叶わない事に気付く時、それらは『呪い』や『重荷』に変質して行く。

 「夢を持て」とは誰もが言う。けれど「夢の諦め方」を教えてくれる人はいない。

 それは残酷な様で、でも当たり前の事だ。他人から「お前の夢は願うだけ無駄で、もう諦めた方がいい」なんて事を言われて、誰が納得できるというのか。夢を叶える為には自分の実力が及ばないのだと知る時、人は自分自身で自分の中の気持ちに向き合わなければならない。

 まだ夢を追い続けるのか。それとも自分の心の中に夢を埋葬するのか。

 少年の頃の夢を追い続けて、結果が出せないまま歳を重ねて行く人がいる。生活を犠牲にしながら、夢の為に努力し続けて、でも結果には結び付かない。そういう人を目にすると、外野は「もういい加減諦めたらどうなんだ」と口にする。また口にしないまでも、そういう態度で相手を蔑み、憐れむ。それはなぜなのかと言えば、つまるところ彼等もかつて自分の夢と向き合い、そして夢を殺す事で自分を生かす決断をしたからだ。自分の心の中に、夢を埋葬したからだ。

 自分もそうだ。昔持っていた夢を殺して埋めて、自分自身に見切りを付けた。この夢は、自分程度の人間が抱いていいものじゃなかった。叶えられる様なものじゃなかった。そう自分自身に言い聞かせて、殺した夢を弔って、別れを告げて、現実世界を生きて行こうとした。糊口を凌ぐ為には仕事をして金を稼がなきゃならない。そうやって生きて行く自分が、かつて夢見た自分の姿からどんなに遠く離れて行ったとしても、そうしなければならないんだと心に決めて。だから自分はきっと羨ましいのだろうと思う。憎いのだろうと思う。まだ「夢の途中」を生きていられる人の事が。

 でも、考えてみて欲しい。遥か彼方の夢を追い続けて、それを諦める事を自分に許さないという生き方は、現実に向き合う為と称して夢を殺した人間の生き方と同じ位、いや、それ以上に過酷なのではないだろうか。

 自分が夢を追い切れなかったのは、弱さのせいだ。自分の実力の無さ、至らなさのせいだ。でも、その事を知った上で、なお夢を諦める事を自分自身に許さない生き方を選ぶ者がいるのなら、彼はもう立ち止まる事も、言い訳をする事も許されない。どんなに辛く長い道程でも、最後に目標に辿り着く事ができるかどうか何の保証もないとしても、諦めを捨てるのなら夢に殉ずるしかないのだ。

 『理想を抱いて溺死しろ』

 かつて別の物語で、そう語った者がいた。
 ある理想の為に歩み続け、過酷な現実に心を削られ続けた男だった。少年が心に抱く理想や夢がどんなに正しく思えても、綺麗に輝いて見えても、それを目指して歩み続ける道程が、そして辿り着く先が地獄そのものである事を知っているが故の言葉だった。そして、夢を捨てる事を許さない生き方を自分に課しているという点で、彼と、かつての少年と、エルメロイⅡ世=ウェイバーは似ている。ただ、エルメロイⅡ世にとっての救いは、彼を支えてくれようとする人々がいる事だ。彼が孤独に突き落とされてはいないという事だ。

 だからこそ、辛くとも歩いて行ける。夢に向けて。再会すべき王のもとへ。
 もっとも、彼は素直にその事を認められないかもしれないが。

 『師』というのは、生徒や弟子よりも多くの知識や技を修めているから敬われるのだろうか。実力があり、敵うものがいないから崇められるのだろうか。だとしたら、教え子が師を超えて行く時、その存在に価値はなくなるのか。それは正解の半分である様に思う。残りの半分は、師の生き方が、その姿勢が、教え子達にとって目指すべき目標たり得るかという事なのではないだろうか。だとすれば、現代魔術科というエルメロイⅡ世の教室が、師を慕う者達で溢れ、支えられているという事実は、彼が抱く夢と、その生き様が間違ってはいないという事の証左になるのだろうと思う。辛くとも。苦しくとも。

 これからも彼は歩いて行くのだろう。彼が夢に届く様にと願うのは、自分がかつて夢を殺したからというだけの事なのだろうか。そうではないだろうと今は思う。
 濁った目で見上げたとしても、それが自分自身の夢ではなくても、綺麗な夢はやはり綺麗なままで、誰かがそれを叶える瞬間を自分は見たいのだ。きっと。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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