商品化されない、不定形の魂・宇木敦哉『CENCOROLL(センコロール)』

 自主制作アニメというジャンルがある。その名の通り、個人製作、またはそれに近い少人数のスタッフによって製作されるアニメーションの事だ。

 漫画同人誌や同人ゲーム、各種動画投稿サイトにアップされる個人製作の映像作品、またはHPやブログ等を例に出すまでもなく、個人が何らかの形で自らの作品を世に出す事は今や容易になった。昔の様に漫画や小説の原稿を出版社に持ち込んだり、ゲーム会社に就職したりせずとも、作品を世に出すだけならネットや同人系の流通に乗せればそれで事足りる。それが人の目に触れた時に評価を得られるのかどうかという事とはまた別問題であるにせよ、作品を作る事さえ出来れば、発表の場はあるという事だ。そして製作環境もパソコンの性能向上によって改善されている。

 しかしアニメというのはその完成までの仕事量が膨大になる事から、個人製作に挑んで成功するという事は至難の業だ。例えばスタジオジブリの映画は『宮崎アニメ』などと呼ばれるが、宮崎アニメを支えているのはスタジオジブリを構成する強力なスタッフ全員の力であって、宮崎監督がどんなに優れたアニメーターであったとしても、あのレベルの作品を個人製作する事は不可能だろう。時間と予算をかければ出来るんじゃないのかという向きもあるだろうが、自分はそういうレベルの問題ではないと考える。

 個人の力には限界がある。普通に考えれば、集団製作した方が間違いなく作品としてのクオリティは上がる。では、あえてアニメを個人製作する事の意義はどこにあるのか。

 もちろん話題性という事もあるし、製作者の個性が完全に反映されるという事もある。しかし、この『CENCOROLL』がそうである様に、個人製作のデメリットとして、膨大な作業量が製作者個人にのしかかる事にもなる。結果として『CENCOROLL』は長編アニメの第一話の様な作品となった。観客はもっと続きを観たいと思うだろうが、個人製作ではその続きがあるのかどうかも判らないし、続編が作られるとしても当分先の話になるだろう。

 しかし、一方で集団製作される商業作品は行き詰まっている。
 正確に言えば集団製作されるアニメの多くは『作品』ではない。あれは『商品』だ。当然だが、製作会社はアニメを製作する事で収益を上げなくてはならない。結果として『売れる』作品の傾向は分析され、多くのアニメスタジオは画一化された『売れる』商品を次々と生産する事となる。そこには個人製作アニメの様な尖った作品を許容する余地は無い。

 自分は個人製作アニメの存在意義は、商品化される以前の『作品』を発表し、世に問う事で、製作者の作家性やブランドを確立するとともに、閉塞しつつある商業アニメに風穴を開ける事にあると思う。そしてまた、いつまでも個人製作にこだわり続ける必要はないとも思う。
 個人製作アニメで自らの作品が目指す方向性が商業的にも通用する事を証明したなら、次は予算もスタッフも得る事が出来るだろう。観客とすればその方が有意義だ。個人製作である事だけを売りに出来る時代は終わっている。

 宇木氏は本作で自らの実力を認めさせた。それはまだ商業作品としての型にはまらないものだろう。個人的には、氏にはいつまでもセンコの様に不定形なままであって欲しいと思う。不定形なままで圧倒的な存在感を示す実力者。そうした怪物がいなくては、この業界も面白くない。

 

テーマ : 映画感想
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