殺されなければならない理由

 今日は悲惨なニュースが多かった。
 行方不明だった女子大生のものらしき遺体の頭部が山中で発見されたり、暴力団員が発砲事件を起こした挙句自殺したり、アメリカでは軍の精神科医が銃乱射事件を起こしたりと、ニュース番組を見る度に気が滅入る様なニュースばかりが相次いだ。

 自分は思う。殺人事件に巻き込まれて命を落とす被害者には、そんな悲惨な死を迎えなくてはならない様な落ち度は無かった筈だ。少なくとも撃ち殺されたり、殺された挙句頭部を切断されて遺棄されなくてはならない程の落ち度は無かった。
 という事はどういう事かというと、何ら落ち度がない普通の暮らしをしている人々の足元にも、実は落とし穴の様に悲惨な事件への入り口は常に開いていて、いつ誰がそこに落ちてもおかしくないという事だ。

 小さい頃は、『人間正直に生き、良い事をしていればいつか報われる』とか『悪事には報いがある』とか、そういった話を割と信じていたし、周囲の大人も皆小さい子供にはその様に教える。それは道徳教育とか躾とか、人として社会生活を送る上で最低限身に付けておくべき共通認識ではあるけれど、そうした事を教育によって身に付けさせなければならないという事は、現実は必ずしもそうではないという事の裏返しでもある。

 実際は罪を犯しながら裁きを受ける事も無くのうのうと生きている奴なんていくらでもいるし、不正を働いて他人から搾取しながら私腹を肥やしている様な連中も数え切れない。悪事に報いがあるというのなら、彼等の不正はいつ裁かれるのか。そして逆に正しく生きながら報われる事無く犯罪の犠牲となる人々の魂には誰が救いを与えられるのか。当然、『死後の世界で』等という気休めは無しで考えた場合だ。

 まあ、当然答えは無いのだが。

 こういう悲惨なニュースばかりが流れる日には、それが判っていてもつい問いたくなる時があるのだ。もしこの世にクソッタレな神とやらがまだ死なずに生き残っていたとして、アンタ何をしてるんだと。この世に生きる人間の事を見下ろして、見下して、結局何もしやしない。誰も救わないし、裁かない。最高に使えない奴だ。

 ここまで罵倒してるんだから怒ってちょっとくらい顔を見せてもいい気がするんだけれど、残念ながら自分はまだそれらしい奴に会った事が無い。多分余程嫌われているか、もしくは誰かが言ったみたいに既に死んでいるのかもしれないなと思う。

 殺されなければならない理由の数でなら、間違いなく奴が世界一だろうから。 

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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