取り返しの付く過去など無い トム・ロブ・スミス『グラーグ57』

 前作となる『チャイルド44』については、以前に感想を書いた。
 前作において、主人公のレオは国家保安省の捜査官として無実の人々を逮捕してきた自らの過ちに気付かされ、その生き方を改める。今度は殺人課の捜査官として、証拠に基づいた真実だけを追うのだと。そしていつか『罪を犯した者を逮捕した数が罪のない者を逮捕した数を上まわること』を目標として生きるのだと。しかしレオの過去は、そんな彼の悔い改めなど無関係だとばかりに、その断罪を求める。

 前作が主人公であるレオの人間性の再生を描いた物語であったのに対し、本作は彼が獲得した家族や友人との絆を一つ一つ剥ぎ取り、過去の罪との対峙を求める。そこには救われなかった者達の怨嗟が渦巻いている。
 過去の過ちを前にして、人間は確かに悔い改め、違う生き方を選ぶ事が出来る。しかしそれはあくまでもそこから先の話なのであって、過去の過ちそれ自体が消える事は無く、その過ちによって犠牲を強いられた者達が救われる事も決して無い。取り返しの付く過去などこの世界のどこにも無い。

 では人が悔い改める事が無意味なのかというと、その答えが本作にはある。決して償う事が出来ない過ちを背負った人間が、その過去を引き摺りながら生きる姿が。

 自分達にしても同じ事だ。取り返しの付く過去など無い。過去の過ちは清算出来るものではなく、自分達は自らの愚かさが生んだ結果を一生その身に引き受けて生き続けるしかないのだろう。それは辛い道程には違いないが、それ以外に道は無い事もまた事実だ。
 消せない過去。消せない過ち。傷付けてしまった多くの人々と、傷付けられた記憶。自分達の心にはそうした幾筋もの痕跡が轍の様に刻まれている事だろう。そういった消せない痕跡を飲み込んで、自分達は生きている。

 過去を振り返れば、忘れたい様な出来事ばかりが浮かぶ日もある。ここに辿り着くまでに失ったものを指折り数え、そのあまりの多さに立ち尽くす日もある。それでも取り返しが付く過去など無い。どんなに悔しくても。
 それでも自分達がまだ生きているのは、生きて行くのは、その過去を殺さない為だ。その過去に意味を与える為だ。

 それは独り善がりで一方的な価値観には違いない。過去に誰かを傷付けたなら、その誰かはそんな事を望んではいないだろう。望むのは報いだ。それは判っている。しかし判っていてなおそうするしかない自分達は、それぞれの過去を抱えて歩き続けるしかない。それは他者と分け合う事が出来ない重荷だ。自分しか負う事を許されない重荷だ。

 『グラーグ57』は徹底して絶望を描く。それでもその中に僅かばかりの希望が見えるのは、筆者から読者へのエールなのかもしれない。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon