誕生日

 色々あったけれど、ネットブックのACアダプターも無事新品が届いたので今日から通常更新。

 さて、タイトルは誕生日なのだけれど自分のではなく、今日は妹の誕生日。めでたい。この日にブログが更新出来る状態になった以上、これは存分に祝えという天恵に違いなく、よってこの場を借りて勝手に祝う事にする。いや、妹はおろか家族の誰一人として自分がブログを書いている事を知らないので、ここで祝っても意味は無いのだけれど、とりあえずこそっと書いておこう。おめでとう。気恥ずかしいのでメールとかは送らないけど。もう父が送ったし。

 ちなみに最近はPCの中とか携帯ゲーム機の中とか脳内とかに嫁や妹や彼女がいる方々が多い様なので一言断っておくと、自分の場合は実在の妹。俗に言うリアル妹。
 で、まあ自分ももう三十路に入ったので、妹も立派に成人して働いている訳だけれど、二人は結構歳が離れているので、自分の誕生日が過ぎて、次に妹の誕生日が来ると、何だか年に二回も自分の歳を実感させられるというありがたくない罠が待ち構えている。いや、単純に妹が成人しているという事は、自分もそれだけ歳を食ったんだなというだけの話なのだけれど。
 一番精神的ダメージが大きかったのは妹が成人した時と、自分が三十路に入った時。後は超個人的な理由で自分が24歳になった時。

 人にはそれぞれ年齢的な意味での区切りってあると思う。その年齢を超える、超えたという時に、何らかの意味を持つ年齢というものが。例えばある人にとっては、『自分の父親が亡くなった歳』というのが自分が生きて行く上での一つの目標というか道標としてあって、自分がそれを超えた時に感慨深いものがあったそうだ。確かにそれも一つの目標だなと思う。
 自分にとってそれは24歳の時に一度やって来た訳だけれど、妹の誕生日も一年の中では自分にとって重要な意味を持つ。主に、ここまで何とか生きてきたな、という部分で。

 自分の場合は毎年この日が来ると考える。妹がいなければ自分がどうなっていたか。

 そして結論はいつも、『自分の様な奴は多分今日まで生きていない』という事になる。いや、大袈裟な話ではなく。

 生きて行く事も、生きている事も奇麗事ではない。良い事ばかりの人生等というものはあり得ない。それでも自分の様な、もっと言えば自分達の様な凡人が生きているのは、生きて行こうと思えるのは、世の中がまだ捨てたものでもないと思えるだけの何かがあるからだ。

 サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公、ホールデンの言い草ではないけれど、世の中には沢山の『インチキ野郎』が蔓延っていると思う。世の中は欺瞞だらけで、それを個人がどうにかするなんていう事は無理なのだ。
 そんな酷い世の中だという事、しかも自分ではそれをどうにも出来ないという事を知りつつ生きて行くのは正直きつい。気も滅入るし、挫けそうにもなる。自棄を起こしてしまいたくなる場面を数えたらきりがない。
 でも、それでもまだ自分とって大事である誰かが、そんなに酷い目にも遭わず、前向きに生きていられる間は、それを見ている自分にとってこの世は捨てたものじゃないと思えるだけの価値がある。本当はそんな価値など無いのだとしても、少なくともその価値を錯覚する事は出来る。こわれものの様な正しさを信じていようという気分でいられる。
 人によってそれは彼女だったり、配偶者だったり、自分の子供だったりするんだろう。自分の場合は今の所それが妹だという事だ。

 自分は正直ホールデンから見れば『インチキ野郎』でしかない大人になってしまったし、妹もフィービーではない。でも、ホールデンに妹のフィービーがいた様に、自分にも妹がいる。確かに妹は回転木馬に乗ったりはしないけれど、あのワンシーンの様に、自分は少し離れた所からそれを見てきたんだろうなと思う。

 何だか祝ってるんだか、世の中呪ってるんだか判らない文章になったけれど、まあそんな所。これ以上だらだら書いていると、今日中に間に合わなくなりそうなので、今回はこの辺で。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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