コミュニケーション、出来てる?

 誕生日があったからという訳ではないけれど、土曜日に妹が実家に帰って来た。
 妹は仕事の関係で、今は実家を出て一人暮らしだ。かく言う自分はというと、東京で一人暮らしをしていたのが実家に戻ったので、入れ違いに妹が家を出た様な形になる。時期は少しずれるけれどね。
 まあ実家を出たとはいえ、妹が住むアパートは実家から車で一般道を一時間も走れば着く様な場所なので、週末になるとこうしてちょくちょく家に帰って来たりもするわけだ。この、車で一時間という微妙な距離感が、父が妹の一人暮らしを容認する上でギリギリの線だったと思う。父は自分以上に妹を溺愛しているので、これ以上遠くに行く事になっていたらどうなっていたかと想像するとなかなか怖いし、逆に職場がもう少し実家に近かったら、今度は断固として実家から通う様に説得しただろう。今からこれだと、もし妹が誰かに嫁ぐなんて言ったらどうなるものか先が思いやられる。

 話が逸れた。で、そんな妹が帰って来た時に聞いた話が今回のテーマ。

 妹は今EXILEのファンだ。で、ああいうアーティストのファンがどれ位の割合でファンクラブに入るのかは知らないけれど、ファンクラブの会員か、何か公式サイトの会員になっているらしい。そうすると、当然会員限定の特典とかがあるのだけれど、その中に『誕生日にEXILEのメンバー全員からお祝いメールが来る』というサービスがあるんだそうだ。ちょっと驚いた。

 こういうサービスって、普通ユニット名で一通、皆からみたいな形で届くものだろうと思っていたのだけれど、全員っていうのが凄いなと。何せあのグループ14人もいるわけだし。(自分はEXILE詳しくないので今検索して驚いた所)

 まあ、当然一人一人がこういうサービスに使うものだからという事で原稿を書いて、誕生日を迎える不特定多数のファンに向けて送信しているのだろうけれど、それを受け取るファンとしてはやっぱり嬉しいものなんだろう。自分の携帯に、普段はスクリーンの向こう側にいるアーティストからメールが来るっていうのは、ちょっと特別感がある。
 どうせゴーストライターを使ってるんだろうなーとか穿ったものの考え方をしてしまう人には向かないサービスかもしれないけれど、自分的には一度メンバーが書いたものを誰かが推敲する程度だったらまあアリかなと思った。

 でも、こういう文章を書くのは難しいと思う。文章を書く時に、普通はそれが誰に読まれるかという事を想定して書くと思う。個人に向けたものなのか、不特定多数の人に向けたものなのかでは当然書き方も違うからだ。
 自分が書いているこのブログの場合はといえば、不特定多数の人に向けてというよりも、これは自分に対する覚書の様な側面が強いので、読者には不親切な書き方になってしまっている箇所もあると思う。でも、個人が書くブログなんていうものは多かれ少なかれ自己満足の世界なので、これでもいいだろうという部分で半ば割り切って書いている。

 でも、件の『誕生日メール』の様な文章は、書く側にとっては漠然とした『ファン』に向けて書くしかないものなのに対して、それを受け取る側は『自分一人に向けたメッセージ』を求めている。だから難しい。顔も名前も年齢も判らない一人一人のファンを思い浮かべて、顔の見えない個人に向けた文章を書くというのは至難だ。

 それはスクリーンの向こう側にいる生身の人間と、どうしたって超えられない距離を隔ててコミュニケーションをする難しさだし、本当は一方通行なメールで、アーティストとファンが双方向に繋がっているという感覚を生み出す事の難しさだ。

 で、ここまで書いて気付いた。これって自分を含めて、オタクは日常的に乗り越えている距離なんだろうなと。正確には乗り越えていると錯覚している距離。

 例えばノベルゲーをやっているとする。その文章は当然自分に向けて書かれたものではないのだけれど、それを読むプレイヤーにとって、その体験は自分個人と密接な関係を持つ。キャラクターが話す言葉も、地の文も、それは決して自分の為のものではない。それはシナリオライターの創作であって、酷い事を言えば単なる文章、文字の羅列だ。でも、それを受容するプレイヤーは、そこにキャラクターを感じる事も出来るし、キャラクターと自分との間に強い繋がりを感じる事も出来る。それは送り手の『そう読ませる力』も関係するけれど、大部分は受け手の能力というか、受け止め方の問題だ。これは小説でも映画でも同じ。

 BUMP OF CHICKENの『才悩人応援歌』の歌詞から象徴的な部分を引用すれば、『僕らは皆解ってた 自分のために歌われた唄など無い 問題ないでしょう』という事になる。もっとも、あの唄は「だから自分自身で、自分の為の唄を歌うんだ」という意味合いになっているのだけれど、現実には、自分のために歌われた唄などないと知っていて、その上でやはりその唄は自分にとって特別な唄なんだ、自分の為の唄なんだと思う事だって出来るという事だ。それすら出来ないという事になれば、それは決定的な断絶であって、殆どの創作活動から意味が無くなる。

 上では断絶と書いたけれど、こうなってくるとそもそも自分達が普段やっているコミュニケーションも、本当に双方向に繋がったものなのか疑わしくなってくる。顔を合わせて話していたって、本当にそれは双方向なコミュニケーションなのかどうか。お互いにそれが双方向だと錯覚しているだけで、本当は断絶しているんじゃないの?っていう部分で。それは突き詰めると鬱な考えにしかならないので普段はしないのだけれど、こういうときにふと復活しては頭を悩ませる。

 で、自分はといえば、そんなどうしようもない考えに捕まっては、それを忘れる為にまた読書をしたりゲームをやったりする訳だ。それが具体的な解決か?と言われれば、「そもそもこんな問題は死んだって解決出来る訳がねぇ」としか言えない。

 とりあえず、妹の要望通り誕生日祝いとして通販に発注してあるEXILEのアルバムはいつ頃発送かなーとかいうどうでもいい事を考えて頭を切り替えつつ、この二人のコミュニケーションは双方向なのかどうか考えた。何だ、全然切り替えられてねーよ、自分。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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