復讐と憎悪の味 スティーヴン・キング『痩せゆく男』

 発表当時はリチャード・バックマン名義で出版されたが、後にそれがキングの別名である事が公にされた本作は、一言で言うと『因果応報』の構図を持つ物語だ。しかしキングの描く物語の恐ろしさは、単なる因果応報に留まらない。物語の終盤、人間の悪意を視覚化して読者の前に差し出すその手管は、正に一流のホラー作家のそれだ。
 上ではホラー作家と書いたが、世間的にそうなっているという事であって、自分はあまりキングをホラー作家として見た事は無い。ただ、執拗に人間を描く作家だなとは思う。結果としてその作品がホラーになるのであれば、それは恐らく現実の人間がホラー的なものを内包しているからであって、ホラー的な物語を成立させる為の前提として登場人物の内面が脚色されているのではないと思う。

 本作の主人公であるウィリアム・ハリックは自動車運転中に人身事故を起こし、ジプシーの老婆を死なせてしまう。しかし、彼が弁護士であった事や、彼が持っていた人脈によってその罪は揉み消される。社会的制裁を逃れたハリックだったが、その身に降りかかるジプシーの呪いが彼を追い詰めて行く。
 
 自分は時折、『正当な復讐』というものについて考える。正当な復讐。当事者以外の誰が見ても異論を差し挟む余地の無い、真っ当な復讐。やられた事に対する、過不足無い復讐。果たしてそんなものがこの世に存在し得るか?

 例えば誰かが自分の家族に不幸をもたらしたとする。場合によってはその命を奪われる事もあるかもしれない。人身事故や殺人事件等に巻き込まれる可能性が全く無いとは言えないし、現に『死にたかったが自殺の苦痛は耐え難かったので、死刑になりたくて人を殺そうと思った』という奴だっている。もしそれらが自分の身内の不幸として訪れた場合、自分が復讐者と化さない保証はどこにも無い。
 しかし、これもまた自明な事だが、復讐は絶えず新たなる復讐を生み出す。復讐者が「これは過不足無い正当な復讐だ」と思っていたとしても、『復讐に対する復讐』は常にあったし、それが行き着く所まで行き着いた現在では、もう誰に本来の非があったのか誰にも分からなくなってしまった事例がごろごろしている。民族対立や宗教対立、人種差別や戦争等の大きなものから、もっと身近な事例まで枚挙にいとまがない。でも、それでも復讐が無くならないのは、人間は復讐の不毛さを知っていてもそれをせずにはいられない生き物だからだ。そのどろどろとした感情は人間の精神の深い場所に根を張っていて、きっかけさえ与えられれば容易に芽を出す。

 自分は何度も正当な復讐について考える。しかし、『その時』が来たなら、自分はそれが正当なものであろうがなかろうが、やるだろうと確信している。それも自分が相手に与えられる最大の打撃を、躊躇無く、際限無く与えるだろうと。復讐の正しさ等を気にしていられるのは、復讐を必要としていない間だけなのだから。そして恐らくその復讐の怨念は、それを発した当の本人の手を離れてどこまでも連鎖して行く類のものだろう。
 
 キングは人間の精神を腑分けする。そこには当然綺麗なものも、醜いものも含まれているだろう。彼はそれらを観察し、整理し、作品という形を与える。そうして生まれた著作は、どこかパイに似ている。中に詰まっているのは人間の善意なのか悪意なのか。読者は本を開く事でそれを切り分け、口に運び、咀嚼し、嚥下する。だからだろうか。キングの作品は、初めて読むものであってもどこか見知った味がする。ありふれた味。自分はこれを知っているぞという感覚、現実と地続きであるという感覚が常にある。

 こうしている間にも、現実に誰かの復讐心が、その悪意が世界を巡っているのだろう。その総量に思いを馳せる時、それがもうどうにもならないという事実だけが胸に迫る。そしてどうしようもなくても、世界は続く。今日も、明日も。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon