己は何者か・古橋秀之『龍盤七朝 ケルベロス 壱』

 昔、『IX(ノウェム)』っていう小説があってね、(以下略)

 という事で、電撃文庫のアスキー・メディアワークスが創刊したメディアワークス文庫から、古橋秀之の最新作を読んでみた。メディアワークス文庫の位置付けはどんなものだろうと考えてみたのだけれど、ジャンプに対するバンチみたいなものかなと思う。まあ読者からすれば贔屓にしている作家の新作が読めるとなれば、そんな区分けなんて実際どうでもいい。

 龍盤七朝という世界観を軸にしたシェアードワールドノベルとして企画された本作は、武侠小説の体裁を取っている。シェアードワールドノベルというのは、同一の世界観を複数の作家が共有して、それぞれの作品を発表するという企画で、テーブルトークRPGを小説化する場合等によく見られる方法なのだけれど、そうした小説に馴染みのない読者にとっては聞き慣れないものかもしれない。でも、そんな設定を意識しなくても本作は楽しめる。

 つまるところ、これは『己は何者か』という物語だ。

 武侠小説だとか、中華ファンタジーだとか、言い様はある。しかしそれが語る根の部分は現実にも繋がっている。
 例えば鏢使いの廉把(れんぱ)は「天下を取る」という野望を抱いたものの挫折する。その挫折が、わだかまりが、今の廉把を形作っている。だからこそ廉把は言う。

 『なにもおまえだけじゃねえ、みんなそうしてんだよ。毎日毎日、ちまちまと我が身を削って、騙し騙し生きてんだ。国がどうだの天下がどうだの、そんなご大層なことを、おまえみてえな餓鬼が気に病むなんざ、おこがましいやら馬鹿馬鹿しいやら。そんなことよりてめえの喰い扶持を心配しやがれ』

 かつて天下を狙った男が、血を吐く様に搾り出す言葉は、相手にだけ向けられたものではない。それは何より自分にこそ言い聞かせて来た言葉だ。それこそ挫折の後、『毎日毎日、ちまちまと我が身を削って、騙し騙し生きて』来たのは廉把自身であって、『おまえみてえな餓鬼』は廉把自身に言い換えられる。
 天下を取るなど、分不相応な夢を見た。結果として失ったものがあり、後に残されたのは何者にもなれない半端な自分自身だけだった。それをどうにか守り通しながら、『自分の正体』から目を逸らし、何とか日々をやり過ごして来た男は、再び『己は何者か』という問いの前に立つ。そこで廉把が返す答えはどの様なものなのか。

 現実を振り返れば、皆そうして生きているのだろう。騙し騙し生きる事すら許されないとなれば、この世は死屍累々の有様となる筈だ。そんな生き方を責める権利は誰にも無く、他人の生き方を嘲嗤いながら、自分もそうやって生きている事には目を瞑るという便利な技を身に付けた、どうしようもない自分自身がいるだけだ。

 しかし、誰に責める権利が無くとも、それを責める者はいる。突き詰めれば、自分自身だけがそれを責め続ける権利を持つからだ。

 自分はこれでいいのかどうか。自分の正体はこんなものか。そうした自問は、普段は胸中の片隅で大人しくしているのだろう。しかしそれが消え去る事だけは無い。少なくとも自分が死んでしまうまでは。

 本作を読むと、否応なくそうした事に気付かされる。いや、気付いていながら目を逸らしていたそれを、眼前に突き付けられる。さて、そこでどうするか。その答えは、まだ出ない。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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