ブログを書き続けるという事

 一年の計は元旦にあり、という。自分はまず、昨年始めたこのブログを更新し続ける事を今年の目標としたい。

 何で自分がブログを始めたのかという事は前にも何度か書いたと思うけれど、結局一番の動機は過ぎ去っていく日々の中で消えてしまう自分の記憶を、ブログに記した文章という外部記憶装置の中に残しておきたいという事だ。

 自分にはかつて、『他の何について忘れたとしても、これだけは記憶しておきたい』と思える様な事があった。それは時には宝だったし、時には傷跡だったが、どちらにせよ忘れてはならない記憶だった。それも誰かに「忘れるなよ」と言われた訳ではなく、自らに「忘れまい」と命じた事だった。

 でも結果として、自分は忘れた。

 しかも当初は自分がそれを忘れた事にすら気付かず、ある日突然に自分がその記憶を失っている事に気が付いて愕然とした。それは許せない事だった。何をやってるんだと自分を罵った。しかしそれで記憶が戻るなどという事も無く、自分の中からその大事な記憶は消え失せた。もう取り戻せないその記憶は、今となってはこの世のどこを探しても見付けられない。泣こうが喚こうが戻っては来ない。

 ASIAN KUNG-FU GENERATIONの『Re:Re:』の歌詞から引用するなら、自分は『記憶だって 永遠になんて 残らないものとおもい知って』打ちのめされた。「形は失われても記憶の中では永遠だ」なんて言葉が流布される世の中で、「そんなワケねーだろ」という事実から目を逸らしていた自分が馬鹿だったというだけの話だが、失ったものに対してどんなに後悔の念を抱こうと現実は覆らない。だから自分は『ずっと掻きむしって』生きる事にした。

 掻きむしって付けた傷は、その記憶そのものではない。一見同じ場所に付いた傷には見えるだろうが、最初に残しておこうと決めた傷とよく似た別物だ。でもそれでも、やらないよりはいい。
 そして自分の内面だけではなく、外部にも掻きむしった傷を残しておこうとする時、ブログというツールは頼りになると思った。何せいい加減な自分が自らの記憶をどこかに無くしたとしても、ブログの文章には書いた日付とその時の自分が何を思って生きていたのかが記されている。書いた人間の心が死んでも、書いた言葉は残る。それは外部記憶として現在の自分を睨む力がある。お前は何をやってるんだと、自分を叱咤する力がある。

 例えば何ヶ月か何年か先に、自分がその文章を読み返したとして、過去の自分に全く共感出来ないし、理解も出来ない別の生き物になっている可能性はある。人は変わるし、その記憶は当てにならない。でも過去の自分が記した文章は、かつてその場所に自分が立っていたという事を証明し続ける。自分が何を思って生きていたのかという事を記憶し続ける。自分にとってブログの価値とはそういう事だ。

 だから、続ける。他人の為ではなく、自分の為の事だから続ける事も苦ではない。むしろやらないと、『自分が死んでいた事に後になって気付く』なんていう間抜けをもう一度晒す可能性がある。それはもう御免だ。

 こういう自己中心的極まりないブログだが、今年もお付き合い頂ける方がいたなら、本年もよろしく。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon