生きるに値しない社会

 本当は昨日更新する予定だったが、サーバの緊急メンテナンスにより更新出来なかったので、一日遅れの内容になる。

 昨日の事だけれど、今月17日、声優の郷里大輔氏が亡くなったというニュースをネット上で見た。
 郷里大輔氏といえば、力強い声で屈強な男性キャラクターを数多く演じておられたイメージがあるのだけれど、自分にとって郷里氏といえば、『機動警察パトレイバー』の山崎ひろみ役が一番印象に残っている。劇中でも『ひろみちゃん』と呼ばれる様に、大柄ではあるけれど非常に心優しいという、「気は優しくて力持ち」の典型の様な役で、いつもは野太い声を出して豪快な演技をされる事が多い郷里氏が、淡々と呟く様に演じておられたのが印象深い。
 自分はもちろん郷里氏と直接の面識なんてないのだけれど、伝え聞く所によると、ご本人も非常に優しい方だったそうで、そんな心優しい方の訃報、それも自殺の疑いという知らせは辛い。

 自分は思う。
 自殺者の増加が社会問題化している中、公的機関は数々の取り組みをしている。広告を出したり、キャンペーンをやったり、相談窓口を設置したり、相応の人員と予算を投入している。でも、問題は一向に解決しない。それは、正しく生きようとしている人や心優しい人にとって、既にこの社会が生きるに値しないものになってしまっているからではないのかと。逆に社会がそういう人々を圧殺する装置として機能してしまっているのではないかと。

 強く生きろと他人は言う。諦めるなとか、頑張れとか、挫けるなとか、ポジティブに考えろとか、もっと辛い思いをしている人だっているとか、言いたい放題言える。でもその言葉が、本当に絶望の淵に立たされている人を救った事があるのか。
 自殺をやめてくれという言葉を自分が言うとすれば、それは完全に自分のエゴだ。それは単に自分がその人に死んで欲しくないというエゴを通す為の言葉だ。もちろん自分がそう言うなら、相手に対して出来る限りの事はする。その覚悟がなければ、自殺をやめてくれなんていう無責任な事は言えない。でも逆にそこまでの覚悟で言ったとしても、それはやはり言葉でしかなくて、本当に誰かの救いになれるかなんていう事は分からない。

 だから自分は言いたい。国や公的機関は「自殺はやめて」なんてキレイ事を言う暇があったら世の中を改善する為に力を使えと。だってそんな言葉は、個人が個人に言ってやればいい。自分のエゴが届く範囲で、互いに声を掛け合う程度の事は自分達の領域だ。国はそんな事をしている暇があるのなら、生きるに値しない、人を圧殺するこのクソッタレな世の中を、少しでもどうにかしろよと。少なくとも、心優しい人や正しく生きようと懸命に努力している人達が、生きる道を自ら捨ててしまわなければならない様な現状は狂っているんだから。

 今日もニュースでは政治とカネだの、低迷する景気だの、暗く、腐ったニュースばかりが流されている。特に政治絡みのニュースを聞く度に自分はいらつく。自分はそんな事をさせる為にアンタらを政治の場に立たせてる訳じゃねーんだよと。何の為に権限を与えられているのか、国民の代表として送り出されているのか考えろ。そしてやる気が無いなら、その席を譲れよと。

 だからだろうか、最近自分は常に憤っている。優しい人が逝ってしまった事に。このクソッタレな世の中に。それを放置する無能な奴らに。それを構成する一要素であるところの、自分自身に。 

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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