僕達が関係しているという事・新城カズマ『15×24』

 今日、新城カズマ『15×24』を全巻読み終えた。序盤の感想は前にも書いたけれど、全体を通した感想という事でもう一度書いてみる。

 といっても、感想それ自体は以前書いたものとあまり変わらない。ただ、以前の感想では『自殺というテーマを扱った重苦しい小説というよりも、それは単純に全体の状況を作り出すきっかけに過ぎず、物語のメインとなるのは全体のドタバタ劇の方ではないかと思える。』と書いたけれど、その点に関してはここで少し訂正しておこう。全体の流れの中には、きちんと『人間が生きるという事』についての考察があり、単にドタバタ劇に終止するだけの物語ではない。

 この物語を読むと思うのだけれど、自分達は本当に各々が自分勝手な、好き勝手な事ばかり考えて生きている。自分勝手という言い方が乱暴だとするならば、自分達は各々が『自分の物語』を生きる事しか出来ないと言い換えてもいい。

 『15×24』では、様々な登場人物達が一人称で物語を語る。そうすると当然、その語り手が知り得ない情報は出て来ないし、その語り手の価値観で世界の全てが描写される事になる。
 例えばある登場人物にとって、ある者は単に嫌な奴なのかもしれない。しかし視点がその「嫌な奴」に移った時、そこには彼なりの価値観や信念がある。読者はそれら全てを見渡せる神の視点から彼等全員の言葉や想いを受け止める事が出来るけれど、登場人物達は互いに通じ合う事が出来ない。お互いが何を考えて生きているのか、何が彼を、彼女をそこまでさせるのかも分からない。自分の考えている事、自分が感じている事以外に確かな事なんて何もないし、それは他人と共有出来ない。現実の自分達がそうである様に。

 そういうどこまでも孤独な自分達が、避けられない繋がりで結び付いている。

 その事を嫌だと思っても、拒絶したつもりでも、自分は独立した存在だと思い込もうとしても、この互いに影響を与え合う結び付きからは逃れる事が出来ない。それを絶望と捉えるか、希望と捉えるかは各々の判断だとしてもね。

 例えば物凄く小規模な話になるけれど、自分が書いているこのブログにしたってそうなんだろう。どの程度の人が自分の書いた文章を読んでいるのか、あえてカウンターを置かない様にしているので分からないけれど、こんなネットの最果ての様な場所を訪れて、自分の書いた文章を読む人がいたとする。彼或いは彼女は、時にそれによって不快になったり傷付いたりするのかもしれない。逆に自分の方が否定的な意見に晒される可能性もある。
 しかし自分がどれだけその事を嫌だと思っても、そうした可能性を全くゼロにするなんていう事は出来ない。もちろんブログ自体を止めてしまうという選択肢もあるだろうけれど、そんな事は何の解決にもならない。何故なら現実を生きる事も同じ様な繋がりの中にあるからだ。生きているとはそういう事だし、生きて行くとはそういう事だ。

 自分達は各々が自分の物語を生きている。そうやって生きて行くしかないから。他人は理解出来ないから。
 そうして生きて来て、時にはお互いが理解し合えたんじゃないかと幸せな錯覚をしたりしながら、やはり自分達は一人なんだろう。どこまでも。
 でも、それでも自分達は誰かと繋がっている。良いものも悪いものもそこにはあるけれど、せめて少しでも良い繋がりを得ようとして、それでも失敗してまた誰かを傷付けてしまったりもして、そんなどうしようもない日々の積み重ねが今までもこれからも続くんだろう。本当に何もかもが解決する様なエンディングなんてどこにもなくても。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒犬
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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