『神待ち』が証明する平和

 最近、『神待ち』という言葉を目にした。

 『神待ち』という言葉を知らなかったので、何の事だろうと思っていたら、どうやら新手の援助交際の様なものらしい。『神待ち』で検索すると、怪しげな掲示板が多数ヒットする。

 この場合の『神』とは、主に家出人やネットカフェ難民の様な女性に無償で宿や食事を提供する男性の事を指す。そしてそうした神を待つ行為を『神待ち』という。
 神待ちをする女性は携帯サイトの神待ち掲示板等に自分の要求を書き込み、それを見た男がもし神になってもいいと思えば、待ち合わせをして会う事になる訳だ。

 危ういな、と思う。

 表向き、神待ちという行為は援助交際とは異なり、性的関係は無いという前提になっている。男性はあくまでも『無償で』宿や食事を提供するから『神』なのであって、下心がある奴は神ではないという事らしい。ただ、そうは言っても何処の誰とも分からない女性に無償で食事を奢ったり、宿を提供したりする男に何の下心も無いなどという事があり得るかと言えば、そんな事はあり得ないだろう。

 自分は今地方に住んでいるから、こんな神待ちの女性を目にするという事は無い。ただ昔都内に住んでいた頃、深夜の街を目的も無くうろついている若者は大勢いたし、彼等の中の何割かは家に帰る事もなく街で夜明かしをしていた訳だから、昔誰かが名付けた『プチ家出』の様な行為を繰り返す人間の持つ空気というものは何となく分かる。そういう人間が、いつ現れるとも知れない『神』を待って携帯の画面をチェックしている光景を想像すると、日本がどれだけ平和な国か実感する。もちろん皮肉だが。

 村上龍の『ラブ&ポップ』を思い出す。

 作中に登場したキャプテンEOの様に、いつか誰かが神待ちの女性を殴り倒すのかもしれない。むしろ自分は、そうであって欲しいと願う。あのシーンを説教臭いと言って嫌う人は割と多いのだけれど、自分は不思議とあれを説教だとは感じなかった。むしろあれはキャプテンEOという男の切実な願いだったのではないかと思う。

 もちろん現実にはそんな劇的な出会いは無くて、男の下心と女性のしたたかさとが交錯し、金銭によって繋がる人間関係があるだけなんだろう。損得勘定とか打算的な思考によるその場限りの人間関係が。フェミニストを自称する人なら『性の商品化』だとキレる所なのだろうけれど、実際には自分の商品価値をわかった上で上手く立ち回ろうとする人だっている。男も女もね。だからきっと、もう本当に彼女達を狙った連続殺人でもない限りは、神待ちという行為は無くならないんだろう。

 今日もどこかで誰かが神を待っている。見ず知らずの他人に飯を食わせてやる程度の安い神を。そして男は神と呼ばれる事で安いプライドを満足させつつ、どうやって目的を果たそうかと考えを巡らせる。本当に、この国が平和で良かったよ。

 

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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