過去と、未来と、一握りの小石・河野裕『サクラダリセット2』

 1巻の感想はこちらに。ブログを書き始めて間もない頃の文章だし、何だかまともな感想というよりも、作品が気に入り過ぎて『もうなんも言えねぇ』状態の文章なので、今読み返すと何だかなーという気もするけれど。

 以前の感想でも書いたのだけれど、とにかく透明感のある表現が綺麗だ。『限りなく透明に近いブルー』というと村上龍の小説の題名だけれど、本作もまた透明感の中に、完全に透明ではない何かの色を付けた様な、限りなく透明に近い何かである様な気がする。それを言い表す適切な言葉が自分の中に無い事が残念だ。

 さて、自分が誰かを好きだとして、その人のどこが好きなのだろうと考える。きっと沢山の言葉が浮かんでは消えるだろう。では逆に、好きな人の持っている要素を少しずつ削いで行ったとする。そうして行った先で、どこまで自分はその人の事を好きでいられるのだろうか。言い換えるなら、自分はその人の何を最も愛し、尊重し、それをその人そのものであると考えているのだろうか。

 そう考える事は難しい気もするし、簡単な気もする。

 同様の問いが本作の中で投げかけられるのだけれど、その問いに彼が、或いは彼女がどんな答えを出すのかという事が、この作品を象徴している様な気もする。

 『好きだの嫌いだの、最初にそう言い出したのは誰なんだろうね』という台詞が伊藤計劃氏の『虐殺器官』の中にあったけれど、自分の心を掘り下げて行く時、そこには何があるのだろうか。自分が誰かを好きであるという事が、その根拠が、自分の中だけに存在する幻想でないと言い切れる自信があるだろうか。
 確信や確証といったものから、それは程遠い位置にある。

 こんなテーマを扱う小説だから、読んでいると何だか悲しい結末に至る予感があるのだけれど、それでもなお登場人物達は各々の立場で前に進もうとする。努力し、苦しみ、悩む。その姿が、単に痛みや闇に繋がるのではなくて、この透明感のある物語を織り成している。
 まあ単純に言い換えれば、この物語が好きだという事なんだけれど。

 好きだという感情は不思議なもので、その対象が誰であれ何であれ、その気持ちが確かに存在しているという事だけは疑い様が無い。好きの根拠や、そう思う自分を疑う事はいくらでも出来るのだけれど、そこにある好きだという感情の存在そのものを否定出来る人というのは多分いないだろう。その根拠が錯覚であれ何であれね。
 そう考えると、好きという気持ちの強度というのは物凄いものがある。その気持ちの主である自分ですら砕く事の出来ない感情。そんなものが自分の中に生まれたとしたら、逆に自分の方がその感情に振り回されるというのもまた頷ける話だ。

 本作の中に、次の様な文章がある。

 『普通、人はわかりやすい形で、何かと戦うことなんてできはしない。多くの敵は、ゲームに出てくるモンスターみたいな、わかりやすい形をしているわけじゃない。単純に殴り合って決着をつけるような、わかりやすい勝負をすることなんてできない。』

 その事をわかっていてもなお、襲ってくる様々な問題がある。それは自分を取り巻く社会の構造だったり、特定の誰かだったり、自分自身だったりするが、好きという感情もきっとその中には含まれていて、だから人は自分自身の感情と葛藤する。そうしながら、生きて行く。
 その事を、その戦いを、ドロドロとしたものではなく、こんなにも澄み切った作品として描ける作家は稀有だと思う。
 そう、単純に言えば、好きだという事だ。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon