戦争を知らない、僕らの戦争・『機動戦士ガンダムUC 1』

 誰がどこで語っていた事だったか忘れたけれど、ある人がこんな事を言っていた。『自分達にとって戦争とは一年戦争の事だ』と。それだけガンダムという作品がある一定の年齢層に与えた衝撃は大きかったと言える。

 前にも少し書いたけれど、自分達の世代は戦争を知らない。
 もちろん、自分達の祖父母の世代は実際の戦争を経験しているし、その時の話を直接聴いた事もある。それに今現在もテレビモニターの向こう側では各地での戦争、紛争の様子が報じられている。そういう意味では実際の戦争というものもまた常に自分達の身近にあったと言えなくもない。

 けれど自分達はそれを『自分達のもの』として認識する事が出来ない。

 生まれた時には太平洋戦争は終わっていた。次いで冷戦構造も崩壊した。アメリカは常に世界のどこかで戦っていたけれど、中東の問題にしろ現在進行形の対テロ戦争にしろ、日本が、或いは日本人がそれらと積極的に向き合った事は無いと言っていい。
 平和憲法の下、日本人は過去の戦争と向き合い総括するという事を放棄した。戦争はひたすら忌避すべきものとして公の場から消され、戦後民主主義教育の中で、日本人は戦争当事者としての意識も、戦争当事者になる可能性の上に立った議論をする事をも捨てた。こうして戦争は他人事になった。

 戦争について論じる事、考える事は一部のマニアや評論家だけがやっていればいいという風に、自分達は戦争を他人事として学んだ。日本史や世界史の中の戦争は現実味が無く、既に終わった事として歴史年表の中で化石のように佇んでいた。戦争はどこまでも他人事だった。だから自分達は湾岸戦争を『ゲームの様だ』と思い、9.11を『ハリウッド映画の様だ』と思ってしまう。

 現実の戦争を忌避し続ける様に教育されて育った自分達にとって、戦争について考える事は虚構の物語の中でだけ許される事だった。そこには様々な戦争があったが、その中には、あの一年戦争から続く宇宙世紀の戦史もまた存在していた。

 その戦争が、帰って来た。戦争を知らない、僕らの戦争が。


 さて、前置きが長くなったけれど、久し振りに『宇宙世紀』のガンダムが帰って来た。これだけでもう自分と同世代のガンダムファンは泣いて喜ぶだろう。福井晴敏氏の小説版も随所にガンダムへの拘りが感じられて凄く良かったけれど、その膨大な情報量を映像作品としてまとめるのは苦労しただろうと思う。物語の導入から、クライマックスのガンダム起動まで約1時間の中に凝縮された映像は、所々どうしても時間が足りずに説明不足な感もあるものの、劇場作品さながらのクオリティだ。

 特に戦闘シーンの格好良さは特筆すべき部分で、恐らくここまで格好良くMS戦が描かれた事はアニメ、ゲームを通じて無かったのではないかと思う程。特にスタークジェガンがここまで格好良い立ち回りを演じる日が来ようとは、実際の映像を観るまでジェガンマニアですら誰一人思っていなかったに違いない。いや、全国にジェガンマニアが何万人いるか分からないけど。

 そして人間ドラマ。歴史の授業を実感のわかないものとして聞き流していたバナージは、オードリーの語る『戦争』という言葉によって初めて戦争をリアルなものとして意識する。戦争を知らない少年が、戦争を避けられない境遇で育った少女と出会うという皮肉は、彼に決意を促す。そしてバナージがオードリーに『君が誰だって構わない。俺の事、必要だって言ってくれ! そうしたら俺は……』と訴えるシーンの切実さは、自分達が日々感じている切実さに通じるものがある。だから、心を打つ。
 人の感情の動き、人の生き死にを丁寧に描く事。それがガンダムという作品の奥深さでもあり、魅力でもある。

 これから始まる長い物語の序章として完璧なスタートを切った本作。2巻以降を楽しみに待っていようと思う。

 

テーマ : 機動戦士ガンダム
ジャンル : アニメ・コミック

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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