あの頃子供だった僕等の怒り

 こちらを読んで、自分なりに考えたというか思い出した事がある。

 G.A.W.『世界中に存在する「あなた」たちへ』

 今騒がれている『東京都青少年の健全な育成に関する条例』の改正案が表現の自由を損なう恐れがあるという問題についてなのだけれど、自分達が子供の頃にも似た様な問題はあった。それは条例を作ろうという形では無かったかもしれないけれど、子供を何とか大人が望む様な『正しい方向』にコントロールしようという大人側と、それに反発する子供側との衝突というのは常にあったし、自分も経験した。そして子供だった自分は、大人達が漂わせる上から目線の恩着せがましさが心底嫌いだった。リンク先の文章を読んで、その頃の気持ちがリアルによみがえって来た。

 具体的な事例を挙げるなら、例えばそれはテレビのお笑い番組を子供に見せるべきかどうかという事だった。下らないと思うかもしれないけれど、当時の大人はそういう事を真剣に考えていた。
 自分が小学生だった当時は、あの『8時だョ!全員集合』がリアルタイムでやっていた。正確には自分が生まれる前から番組自体はやっていたらしいのだけれど、自分があの番組を意識したのは幼稚園か小学校に上がってからだった様な記憶がある。
 自分の家は『子供は8時には寝ろ』という子育ての方針を貫いていた。そうすると、当然全員集合を観る事は出来ない訳で、何とかして全員集合を観たかった自分は、当時の頭で考えられる限りの理屈を全力で並べ立てて親を説得し、土曜だけは全員集合を観てから寝てもいいという権利を得た。

 しかし、当時からPTAや教育関係者の中には、ああいうお笑いを『下品だ』『子供に悪影響を与える』といって批判する人達が多くいた。まあ単純に子供が真似をするのがムカつくだけだったのかもしれないけれど。他にも小学校低学年位の頃から普及したファミコン等も『ゲームばかりやっているとバカになる』と大人達からの批判対象になった。
 お笑い番組、ゲーム、漫画等は全て子供が勉強しなくなるという危機感を親に与えたし、学歴社会、終身雇用という価値観がまだ生きていた当時、子供の成績を下げる可能性があるという時点でそれらは紛れも無く大人達の敵だった。けれど同時に、それらはどうしようもなく社会に存在していたし、それらを作っていたのも大人だった。

 大人が子供に対して『かくあるべし』という理想像を持つという事はある程度仕方ない事だけれど、その妨げになる可能性があるからといって大人が子供に与える情報を検閲し、フィルタリングして『大人が認めたものだけを摂取させる』というのは、何の権利があってそんな事が出来るのだろうと思う。
 実際それらが子供に良からぬ影響を与える可能性は確かにあるのだろう。しかし子供だった自分に言わせれば『大人だって喜んで見ているじゃないか』『それらを作っているのは大人じゃないか』という事になる。ポルノだって同じ事だ。作っているのも大人なら、消費しているのも大人だ。

 子供には見せたくないとか、知らせたくないとか言いながら、そうしたものにどっぷりと漬かっている大人達の、一体誰が創作物の検閲など出来るのだろうか。条例を作っただけでは無意味で、実際にはその権限を与えられた誰かが検閲官になる訳だけれど、創作物の検閲などという重責を担える『立派な大人』がどれだけいるだろう。
 ニュースでは教師が教え子に手を出し、親が子供を虐待し、社会的地位のある人間が痴漢、盗撮なんていう情けない罪状で逮捕され、政治家が脱税や違法献金で秘書がやったとシラを切り、芸能人が麻薬所持や使用で捕まっている。それも全て架空の物語ではない、大人の汚さを証明する現実として。こんなニュースばかり流れる世の中なら、『非実在青少年』をどうこう言う前に、まず子供がニュース番組を視聴出来ない様に規制しなければならない。子供に悪影響を与えるなら、ニュースを毎日見せれば事足りる。

 大人社会の汚さを根本的に是正しようというなら話はわかる。でも、子供の目からそれらを隠そうとか、ある一定の期間だけは遠ざけておこうという考えは、多分すぐ子供に見抜かれると思う。そういう嫌らしさに子供は敏感だからね。思い返せば自分達だってそうだったじゃないか、そういう頃があったじゃないかと言いたい。大人に騙されていたと気付いた時の憤りを、自分は忘れた事は無いよ。

 もっと言えばこの情報化社会で、ネット検索すれば数秒の内にポルノ動画だろうが画像だろうがいくらでも漁る事が出来る世の中で、検閲によって子供を守る事が出来るなんて考える事が間違いだ。それは『自分達は努力しました』っていう言い訳としては機能するかもしれない。自分達は条例を作って、検査機関を作って、これだけの金を使って一定の成果を出しました。努力しました。何もしてない訳じゃありませんよっていう言い訳。それをする事で、世の中が、大人が、相変わらずクソッタレのインチキ野郎の集まりであるっていう事実から目を逸らす為の言い訳。そんな自己満足の為だけに行われる行為を信じられるかと言われたら、自分は無理だ。

 じゃあ、実際に今大人として生きているお前はどうなんだ、どうするんだと言われれば、自分にだって当然汚い部分はある。欲望はドロドロしているし、多分無意識に他人を傷付けてもいる。でも、それでも致命的な一線だけは超えない様に、何とか自分が信じようとする正しさの側に立っていようと踏ん張っている。
 その強がりを、死ぬまで続ける事。それが今の自分が出せるただ一つの回答だと思う。


 3/19 追記 この件について続きの様なものを書いてみた。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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Author:黒犬
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