青少年健全育成条例の問題と環境保護問題の共通点

 気分転換が終わったところで、またしてもこの話題。どんだけ続けるつもりだと言われそうなのでこれで最後にしたいと思うのだけれど、今までのまとめとして。
 自分はこの問題について過去2回言及した。初回はこちら。そして今回も以下の記事を参考にさせて頂いた。今回の問題に関して、この方と自分のものの考え方は非常に近い所にあると思える。

 G.A.W.『児童ポルノは社会のお目こぼしのなかにのみ存在できる』

 自分は今回の改正案について、一貫して『検閲反対』の立場だ。その理由は以前述べた通り、『かつて子供だった自分の視点による、子供に与える情報を管理すべきとする大人に対する怒り』と『今現在大人である自分の視点による、検閲行為の正当性と有効性に関する懐疑』の2点からなる。
 ただ、だからといって児童ポルノ的なものが野放図な状態に置かれたままでよいとは当然思わない。上記の文中から引用させて頂くなら、『まず児童ポルノと呼ばれるものについてですけど、俺は、二次三次を問わず、これは絶対に日の当たる場所に置かれるべきではない、と考えています。』という事になるし、全面的に賛同する。

 「そうした姿勢は、表現の自由を妨げるべきではないとする過去の発言と矛盾する」とか「そこまで言うなら改正案に賛成すべきではないのか」と言われれば、何ら社会的責任の伴わない自由などというものは表現の自由ではなく単なる無秩序だという事になるし、少なくとも実在の児童を扱うのではない漫画その他の出版物については、現状の自主規制的なゾーニングをもう一度詰め直す事で事足りるという事になる。最近自主規制のたがが緩んで来たのではないかと言われるなら、まずそこから反省すべきだし、その程度の自浄能力は業界にも消費者にもあると思う。

 それでもなお自分がこの改正案に対して執拗に噛み付くのは、この問題が環境問題と同じく『反論不可能な弱点をまず突き崩す事で、更なる規制を視野に入れた議論を仕掛けてきている』様に取れるからに他ならない。そういうやり口は卑怯だし、ここで譲歩する事は更なる規制に正当性を与えかねないと思う。

 以前、反捕鯨問題について書いた事があるけれど、例えば反捕鯨とクロマグロの禁輸の問題は、同じく海洋資源の保護と種の保存の問題という一直線上に並んでいる。シー・シェパードも調査捕鯨の次はクロマグロ漁を妨害すると言ったけれど、正直この反捕鯨問題は日本人の弱点だ。いくら調査捕鯨が合法的に行われているものだとはいえ、「食糧難の時代ならいざ知らず、今の日本人がそこまでして鯨を食う必要があるのか」と言われれば返答に困る。だって実際に鯨を食べなくても困らないんだから。
 困る困らないの話じゃなく、権利や食文化の問題なんだと言っても、国民が一丸となって捕鯨の権利を主張するという所までは絶対に行かない。自分だってそこまで鯨に執着無いし。ただ、だからといって反捕鯨問題について静観を決め込んでしまえば、同一線上にあるクロマグロ禁輸の問題でもいつか同様の理屈で負ける事になる。「日本人は別にマグロをこんなに食べなくても生きて行けるだろ」とか「種の保存はあらゆる商業活動に優先する」とかいう理屈で。その時になって「やっぱりマグロが安く食べられないのは困るんですけど」って言っても後の祭りだ。まあ今回は何とかなったらしいけれど。もちろん一方で、これからもマグロを安定して食べ続けたいなら完全養殖の研究をもっと後押しすべきとか、漁獲制限について議論したり過剰消費を控えるべきというのは前提としてあるけれどね。

 環境保護の必要性を問われて反論する人がいない様に、児童ポルノ問題への対策の必要性を問われて反論する人もいないだろう。だから上に書いた事はそのまま今回の問題に置き換える事が出来る。児童ポルノを規制する為に始まった検閲が、やがてその他の『青少年の健全育成の妨げとなる可能性がある要素』をも排除する方向に拡大解釈されても、同じ理屈に則って一度検閲を許可してしまっていたとすればもう文句は言えない。例えばポルノ的なもの以外でも、バイオレンス表現等も同様に青少年に悪影響を与える恐れがあるので取り締まるべきだとか言ったらほとんどの創作物が検閲対象になってしまう。
 だから問題に対する対策が必要だという部分までは共通認識としてあるにせよ、その為の方法については、検閲という極端な事を始めてしまう前に、自主規制その他で対応出来ないのか精査する必要がある。

 そして青少年の健全育成の問題と環境保護問題の共通点がもう一つ。『人が守ろうとする環境(青少年)は、自分にとって都合の良いものだけだ』という事。

 環境保護を訴える人だって、保護すべきだと言うのはいつだって自分に都合の良いものだけだ。鯨やイルカは頭いい動物だから人間の友達とか言いながら、家畜を大量に屠る一方で食い残す事には無関心だし、害虫、害獣の類や厳しい自然環境を遮断した都市環境に住んで文明の利器に囲まれた暮らしをしながら、極端なまでに環境保護を訴えるという事も平気で出来る。

 同様に大人が『青少年の健全育成』という時、守ろうとするのは大人にとって都合の良い存在としての青少年なのであって、時に大人に対する憎しみや怒りを抱きながら葛藤する、生のままの青少年の事ではない。大人が守りたいのは自分達が思い描く『かくあるべき青少年の姿』なのであって、そこからこぼれ落ちて行く現実の青少年ではない。それこそが本当に問題視されるべき『非実在青少年』の問題だ。
 かつて子供だった自分はその事を忘れた事はないし、これからも忘れるつもりはない。

 この問題については、いつになく長い文章を書いた様な気もするけれど、これで吐き出したい事はほぼ全て吐き出せた気がする。自分の中で更に言及する必要が出て来ればまた書くけれど、とりあえずこれにて。

テーマ : 青少年健全育成条例改正案
ジャンル : 政治・経済

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Author:黒犬
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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