そこはかとない悲しさと喪失感を胸に・濱野京子『トーキョー・クロスロード』

 正直に白状すると、文庫版で解説を書かれている新海誠氏につられて買った。恋愛小説は普段読まないので。

 女性作家が書く恋愛小説で、しかも主人公の女子高生の一人称視点なので、男の自分がそれを読むと不思議な気分になる。女性はこんな風に世の中の事を見ているのかな、とかね。
 少なくとも自分にとって女性というのは彼岸の存在で、彼女達が何を考えているのだろうと推測しても皆目見当が付かない。自分には妹がいるけれど、歳が離れている事もあって、妹の事をちゃんと理解しているかと言われると怪しいものだと思う。いきなり情けない話から始まってしまってなんだけれど、自分と彼女達との距離はそれ程遠い。

 それでも、作品を読み進めて行くと共感できる部分もある。例えば主人公である高校二年生の森下栞が抱いている『そこはかとない悲しさ』や『あわい喪失感』がそれだ。

 栞は部屋の壁に山手線の地図を張り、投げたダーツが指し示した駅に行っては周辺を一人で散策するという遊びをしている。学校に通う時や、友人と過ごす時とは全く違うラフな服装に、いつも付けているコンタクトを外して黒縁眼鏡をかけた姿で。それは家の中で過ごす時のスタイルだから、『今の私とすれちがっても、級友たちは気がつかないかもしれない。』と彼女は思う。

 『私ではない私。だれも知らない私。孤独。孤独という名の解放。私が何ものであってもいい。そこで私はあわい喪失感にひたる。』

 普段の自分ではない、素の自分。
 それは何も服装等の外見だけではなくて、自分を覆う様々な人間関係や、他者から見た自分の姿であったりもする。親からすれば娘である自分や、社会からすれば高校生である自分。友人や同級生からすれば委員長気質だと思われ、何かと頼られる事が多い自分。そして自ら演じている自分。そんな自分像から離れて、行った事の無い駅から素の自分として見知らぬ土地に降り立つ時、そこで感じるそこはかとない悲しさやあわい喪失感は、きっと彼女の一番深い場所に根を張っている。

 見知らぬ街をそぞろ歩き、携帯電話のカメラで何気ない街の風景を撮りながら、彼女は自分の感じている喪失感を埋める何かを求めているのかもしれない。けれどそれは容易に見付かる様なものではない事もまたわかっている。だから彼女は再会しなければならなかった。自分が感じている喪失感の、その元となった人物。中学校時代同級生だった、月島耕也に。

 現実を生きる自分達も多かれ少なかれそんな喪失感を抱えていて、だからこそ、その代わりとなるものを求めて生きているのかもしれない。しかし、容易に代わりが見付かる様なものならそもそも喪失感を覚える様な事もない訳で、そういう意味では自分達もまた栞の様にあわい喪失感を抱えて生きているのだろう。その根源が何であるかは人それぞれだとしても。

 人は努力して、必死に何かを掴もうとする。でも掴んだと思ったその瞬間に、それが他の何かの代わりだった事に気付いたりもして、埋める事が出来ない喪失感を胸に途方に暮れる。自分が本当に必要としているものや、必要としている人の存在に気付いていたとしても、素直に手を伸ばす事が出来ない時もある。
 それでも生きていて、これからも生きて行かなければならない自分達は、その互いの道が交差する地点で出会い、何らかの影響を与え合いながら歩く。その一期一会に、微かな希望を抱きながら。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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