女性から見た男性像・芹澤桂『ファディダディ・ストーカーズ』

 正直に白状すると、単行本の表紙を描かれている冬目景氏につられて買った。恋愛小説は普段読まないので……ってこの書き出しはこの前もやった覚えが。まあ、どんなきっかけであったとしても、それによって肝心の作品それ自体に触れる機会があったのだからという事でよしとする。自分に甘いだけとも言う。

 本の帯には、『誰かを想う気持ちが事件を起こす、ウザくも愛しい青春ミステリー』とあるのだけれど、正直ミステリーと銘打つ程の大事件や難事件が起こる訳でもないので、ミステリーというだけで敬遠してしまう方にも安心。男の自分が読むと、これはミステリーも何も直球の恋愛小説でしょう、と言いたくなる。

 で、図らずも、この間感想を書いた濱野京子『トーキョー・クロスロード』と合わせて、立て続けに恋愛小説を読むという、自分からすれば天変地異的な事をやった訳だけれど、女性作家が書く恋愛小説に登場する男性像というのは、男である自分からするとそこに独特の違和感があるものなんだなという事に、今更気付いた。
 もちろんそれが駄目だという訳じゃなくて、男性作家が描く女性像という奴も世の中には氾濫していて、世の女性はそれを見ては今の自分と同じ様な事を考えているのではないかという事だ。そう考えるとちょっと面白い。まあ現実とのギャップという意味では、男性作家の方が酷い場合が多いけれど。

 本作でも、主人公の女子大生、一咲の周囲を取り巻く男性には皆、女性作家特有の男性像が感じられ、現実を生きる男性であるところの自分からすると、これが女性から求められる男性像なのかなと、ちょっと落ち着かない気持ちにもさせられる。
 それは何も『理想が高過ぎて現実にこんな奴はいない』とかいう無茶な方向性ではない。求められている事はわかるし、多分頑張れば誰にでもある程度そこに近付く事は可能なのだけれど、でもそれは確実に今の自分とはずれていて、その事が心にしこりの様なものになって残る様な、そんな感覚だ。

 一昔前によく言われていて、もしかすると今も言われているのかもしれないけれど、『高収入高学歴で外車に乗ってて』とかいう陳腐な価値観だったら、現実の男は皆鼻で笑う事が出来る。「そんな奴いねーよ」って。でも、『相手の事をどれだけ想えるか』とか『相手が望む時に、隣にいてあげる事が出来るか』とか『自分の夢を諦めないで生きられるか』とか『周囲に流されない自分の価値観を持てるか』といったリアルな理想像を突き付けられた時、男は、というか自分は黙ってしまう。無理ではないけれど難しいその理想像と、今の自分の立ち位置がどれだけ離れているかが一瞬で計測出来てしまうから。だから自分は普段恋愛小説を避けて通るのかもしれない。

 どんなに理想から遠く離れていても生きて行かなければならない自分達だけれど、男性女性の区別なく平等に毎日は過ぎて行く。だったら少しでもその理想像に近付く努力をしてみせろよ、と自分の中の誰かが言うけれど、『そんなに簡単じゃねーんだよ』と不機嫌に言い返す自分も確かにここにいて、両者はなかなか折り合わない。結局、自分は変に頑固なんだろうと思う。

  

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ジャンル : 小説・文学

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