ここから、自分が消えても・浅野いにお『Ctrl+T 浅野いにおWORKS』

 最近よく読む様になった漫画家、浅野いにお氏の作品集。『ソラニン』が映画化された事もあって、映画の公開に合わせて出版されたものなのだけれど、通常の単行本と比較すると大判なムック本として出版された事と、カラーイラストが数多く収録された事もあって、ちょっとした画集としても楽しめる。
 イラスト自体は雑誌に掲載されたものが多いので、雑誌連載からずっと追いかけている熱心なファンからすると物足りなさがあるかもしれないけれど、自分の様な新参者には調度良い内容だった。漫画本としては、短編作品が2話収録されていて、どちらも浅野氏らしさが出ていると思う。以下感想。

 『はるよこい』
 『ソラニン』のサイドストーリーとして描かれた短編。とは言っても、ソラニンの登場人物達が出て来る訳ではなく、種田や芽衣子達が暮らした町を舞台とした掌編となっている。

 当然の事なのだけれど、一つの物語があればそこには主要な登場人物達がいて、彼等が生きる世界があり、そしていつか彼等の物語が終われば、舞台の幕が下りる様にその世界は閉じる。けれど現実の世界にはそれぞれの物語を生きる人々の暮らしがあって、同じ舞台の上で各々がそれぞれの人生を懸命に生きている。そんな当たり前の事を再発見する作品だった。

 ふと思う。自分が東京を去った後、自分が住んでいたアパートにもまた誰かが入居し、その場所を彼の、或いは彼女の生活の拠点として生きているのだろう。自分が洗濯物を干した物干しにも、自炊をした玄関脇の台所にも、手狭だったユニットバスにも、自分という人間がそこに住んでいた痕跡はもう無いだろうけれど、そこに今住んでいるだろう全く知らない誰かは、もしかすると自分が働いていたコンビニに出掛けて買い物をしたりしているかもしれないし、かつての自分と同じ景色を見ているかもしれない。
 想像しても仕方ない様な、ただそれだけの事だけれど、それだけの事すら忘れて生きている自分を発見する時、そんな事でいいのだろうかと、ふと自問する。

 例えば今ここから自分が消えても、同じ様に世界は続く。

 それを救いと捉えるか、絶望と捉えるか。どちらともつかない場所で、自分は立ち尽くす。


 『ひまわり』
 一口に感想を述べる事が難しい作品だし、好き嫌いも酷く別れるだろうなと思う。自分も読む度に違った感想を抱く。ただ思うのは、対人関係が上手く築けない事っていうのは、当人の対人スキルが低いというだけじゃなくて、今のこの社会構造がそうさせているんじゃないのかという事だ。
 それは例えば何気なく皆が口にする『空気読め』という言葉だったり、マスメディアやネット上を飛び交う世論だったり、匿名掲示板を漂っている生の感情だったり、悪意だったりする。昔は目に入らなかったそうした『空気』を、自分達は今過剰に押し付けられているんじゃないだろうか。

 学校は『人の気持ちがわかる人になりなさい』と教える。それは正しいけれど、今は逆に他人の気持ちの中で自分を漂わせる様に生きる事しか出来ない人間が増えてしまった。相手の気持ちがわからないから対人関係につまずく訳じゃない。逆に相手の気持ちをわかろうとし過ぎて、自分を空気に溶け込ませようとし過ぎて、僕達は自分をなくす。
 そこにはそもそも相手との関係を築く為の『自分』がいない。それは自分も例外ではなくて、油断すると時々そんな風になっている。

 誰の為に、そんな風に生きているのか。
 何の為に、そんな風に生きているのか。

 自分で自分の意見を決めているようでいて、常に自分の外側を漂っている空気を気にしている。その積み重ねで辿り着いた場所で、ふと『自分』の不在に気付く時、自分達はその空洞を何で埋め合わせればいいのか。
 答えは、まだ無い。

 

テーマ : 漫画の感想
ジャンル : アニメ・コミック

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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