差別意識と宇宙人・ニール・ブロムカンプ『第9地区』

R0010626.jpg

 最近、地球にも随分と宇宙人が増えたと思う。例えば何を考えているのかイマイチはっきりしない、この国の内閣総理大臣とか。

 ……まあそれは冗談としても、生まれも育ちも地球の筈なのに、ちょっと宇宙人としか思えないような、自分と価値観を共有出来ない人間が増えた様に感じる事は確実に多くなった。だからという訳ではないけれど、今日観てきた映画『第9地区』の様な作品は、時代性が出ているなという気がする。

 映画についてあれこれ書きたい気持ちもあるのだけれど、この映画はぜひ余分な情報を仕入れない状態で観に行って欲しい。ならそもそも感想を書くなよと言われそうではあるけれど、そこはご容赦を。

 この映画には宇宙人が登場する。それもどこかの内閣総理大臣レベルではない、正真正銘宇宙から飛来したUFOに乗っている宇宙人だ。ただ、彼等が今までのSF映画に登場する宇宙人達と異なるのは、物凄いテクノロジーを用いた兵器で人類を駆逐して地球を征服しようとか、わざわざ宇宙から狩りにやって来たとか、間違った方向に進みつつある人類に警告を与えに来たとか、単純にミステリーサークルを作ったり牛をさらって内蔵抜いてみたりというイタズラ目的とか、そういう馴染み深い理由で地球にやって来たのではないという事だ。じゃあ何しに来たのさ、と言われれば、そこを話してしまうと面白くないので言わない。(酷ぇ)

 ともあれ、ひょんなことから宇宙人とコミュニケーションを取らなくてはならない羽目になった人類の方は大変だ。何せ当初は当然の事ながら言葉が通じない。その外見も、昔の金星人みたいな美女だったら良かったのだろうけれど、かろうじて人型をしている以外は人類との共通点も無く、逆に見る者に生理的嫌悪感を与える。知能は高いから、人間を無差別に襲って食う様な野蛮な事はしないけれど、だからといって友人として自宅に招いて一緒に食事をする気になるかと言われれば、正直無理だ。

 そんな宇宙人が登場する映画を観ていて思うのは、この『宇宙人』という部分はいくらでも別のものに入れ替えて考える事が可能だという事だ。

 現実に自分達は人間同士でも似た様な事をやっている。日々相手と自分との差異を探して線引きし、どこまでが身内でどこからが他人か、或いはどこまでが味方でどこからが敵かを区別し、時に差別している。
 生まれた国が違う。人種が違う。性別が違う。信仰が違う。思想が違う。言葉が違う。文化が違う。そんな理由で自分達は容易く相手と自分とを区別し、その先入観でもって相手を差別するという事をする。別にそれが全て悪いとか、無くすべきだとか偉そうな事は言わないけれど、自分も含めてそういう事を日常的にやっているのが人間だという事を念頭に置いてこの映画を観ると、映画の中で人間が宇宙人に対してやる事というのは、実は自分達が現実に異分子と認めた相手に対してやっている事、やって来た事だという事に気付く。

 そうした側面を考えれば、この映画は娯楽作としてきちんと成立しながらも、同時に社会派の映画として深く掘り下げる事が可能なテーマについて扱っているとも言える。宇宙人はフィクションだとしても、この映画が描く人間の醜悪さはノンフィクションなのだ。今もどこかで人間が同じ人間に対して行っている差別や弾圧が、宇宙人が存在するという架空の世界に投影されているに過ぎない。

 冒頭で、地球にも随分宇宙人が増えたと書いたけれど、もしかすると自分の方が宇宙人だとみなされている可能性もあると思う。問題は、自分がそんな宇宙人側の人間、つまり社会にとっての異分子とみなされた時に、多数派から受ける差別や弾圧は、自分がかつて誰かに向けていた差別と同じものだという事だ。

 自分も、もう既に誰かにとっての宇宙人なのかもしれない。そう考えると、自分もあの政治家の事を笑っている場合でもないなと思う。

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon