崇拝者の天秤は揺れない・越前魔太郎『魔界探偵 冥王星O ヴァイオリンのV』

 講談社ノベルスから出版された『魔界探偵 冥王星O ヴァイオリンのV』は、電撃文庫から出版された同シリーズ『ウォーキングのW』とは異なり、『人体楽器』に魅せられた男の顛末というおどろおどろしいテーマを中心に描かれる。この方向性の違いは、各レーベルの読者層の違いを考慮したものなのか、それとも執筆者が異なるのか、今のところ判断する事が難しい。同シリーズの特殊性については以前こちらにまとめたので、参考までに。

 個人的に本作の方が楽しめたのは、自分がホラー好きだからなのか、どこか病んでいる部分があるからなのかは判然としないけれど、このシリーズにおいて『彼ら』と呼ばれる存在の特異性や、人間とは異なるその価値観を際立たせる上で、この様な猟奇的なテーマを扱う事は非常に効果的だったと思う。

 さて、上では猟奇的と書いたけれど、本作は同時に非常にフェティッシュな空気を漂わせてもいる。登場する『人体楽器』もそうだし、その楽器に執着する男の有様もそうだ。また『ウォーキングのW』では名前のみの登場だった『顔のない女』も同様に妖しい魅力を持った存在として登場する。

 フェチというと、今では随分俗な言葉になっているとは思う。足フェチ等という時、それは即物的で身も蓋も無いイメージしか抱かせない。そこまで一般化してしまったフェティシズムというものは、既に商品に付けられたタグや、嗜好のジャンル分けの為に付される記号の様なもので、薄っぺらい印象しか残さない。
 しかし、本当の意味でのフェティシズムは最早『崇拝』であり、それに目覚める前と後で人間の有り様まで変えてしまう。

 誘蛾燈に惹かれる羽虫程度であれば、まだ速やかに燃え尽きる事が約束されているだけ良いのだろう。更に恐ろしいのは『変わってしまった自分自身』を意識しながら生き続けなければならない事だ。しかも一度心に食い込んでしまった崇拝の対象は引き剥がす事も出来ない。なんとなれば、それを失う事は現在の自分を規定する要素を引き剥がされる事と同義であり、文字通り身を裂かれる様な苦痛が心を苛むからだ。

 人が何かに打ち込む時、「魂を込める」「魂を捧げる」等と言うとそれは素晴らしい事であるかの様に聞こえる。しかし、その対象が本当の意味で魂を捧げる事を要求する時、彼が捧げるのは自分の魂だけとは限らない。自分の命ですら代償として捧げる事を躊躇しない者が、他者の命をどう扱うかは語るまでもないだろう。

 人間は本当に大事なものを守る為ならどんな事でも出来る。綺麗な事も、汚い事も、善い事も、悪い事も。

 何かを選ぶという事が、選ばれなかったものを捨てるという事なら、自分達は日々様々なものを自らの中にある天秤によって取捨選択しているという事だ。崇拝の対象を持つという事は、その天秤の片方に絶対の存在を置くという事で、だからこそ、その天秤はもう一方に置かれるであろうあらゆるものの、その存在価値を無に帰す処刑台と化す。

 この本を読んで、自分にとって最も大事なものは何だろうと考える。自分が崇拝するものを思う。次に、それを守る為に自分が犠牲にできるであろうあらゆるものを想像してみる。

 自分はそのあまりの多さに嘆息し、空を仰ぐ。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon