僕らが人である為に・吉浦康裕『イヴの時間 劇場版』

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 観たいな、と思っても地元でやっていない映画というのは数多くあって、まあ普通はDVD等が出るまで待つ事になる訳だけれど、折角東京に行ったので劇場で観て来た。

 この『イヴの時間』という作品は、『水のコトバ』や『ペイル・コクーン』等の作品を手掛けた吉浦康裕氏の手による短編連作形式のショートアニメとしてスタートした。それらを再構成し、劇場版としたものがこの『イヴの時間 劇場版』という事になる。

 『未来、たぶん日本。“ロボット”が実用化されて久しく、“人間型ロボット”(アンドロイド)が実用化されて間もない時代』

 こんなアバンタイトルから、この映画は始まる。ここからも分かる様に、本作は人間とロボット、アンドロイドの関係性を丁寧に描いて行く。
 この世界では既に人間と見分けが付かない程高性能なアンドロイドが実用化されていて、一般家庭の中にも家事手伝い等幅広い仕事をこなす一種の『万能家電』として普及し始めている。彼等は料理もすれば、雨の日に主人の下に傘を届けるという様な事もする。けれど、どこまで人に近付いても彼等は家電製品なのであって、人としては扱われない。アンドロイドの見た目が人間に近い事を理由に、彼等を人間と同じ様に扱う人々は『ドリ系』と呼ばれ、差別的な視線を浴びているし、テレビではロボットが栽培した農産物に対するネガティブキャンペーン等が流されている。
 だからこの世界では、例えば雨の日に傘を持ってきたアンドロイドに対して相合い傘で一緒に帰るという様な行為は一般的ではない。一人傘を差す主人の隣で雨に打たれていても彼等は文句を言わないし、一人で先に家に帰っていろと言われれば、黙ってそうする。

 どんなに人に近付いても人ではない存在。人と見分けが付く様に、常に頭の上に『リング』と言われるホログラフを投影する様に設定されたアンドロイド達。ロボット三原則に従って行動する様にプログラムされた人型家電。けれどそこに、『イヴの時間』という喫茶店が登場する事で、物語は人とロボットの関係性に迫るものになる。

 『当店内では…人間とロボットの区別をしません』

 そこではアンドロイド達はリングを消し、人間の様に振舞う事が出来る。普段は型通りの受け答えしかしないアンドロイド達が人間の様な言葉で自らを語り出す時、人間は何を思うのか。

 人に限りなく近いロボットについて語るという事は、人とロボットの差異について考えさせられるという事でもあるし、人間を人間たらしめているものとは一体何なのかという疑問を浮かび上がらせるという事でもある。だから人間は『人とロボットの物語』を作り続けるのだろう。人がロボットを語る時、それは自分語りでもあるという事だ。

 現実に、ふと喫茶店に入ってみる。当然そこには人間しかいない。今のところは。けれど例えばコーヒーを飲みながら、最近の自分について考えてみると、実に機械的な暮らしをしているという事に気付いたりもして苦笑する。自分以外にも、頭の上に見えないリングを浮かべていそうな人達が、疲れた顔で座っている姿が目に入る。
 自分の隣にアンドロイド達が座る様になるのが先か、それとも自分がロボットに近付いて行くのが先か。後者にだけはなりたくないなと思いながら、目を閉じる。

 

テーマ : 映画感想
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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