この狭量な世界の中で・森淳一『ランドリー』

 古書店で、1冊105円の文庫本コーナーを歩く。古い、日に焼けた紙の匂いがする棚に顔を近付ける。別に、値打ち物や掘り出し物を探そうとしている訳ではない。本読みにとって、本との出会いは一期一会だ。だからこの棚の中にもきっと、自分が求めている様な物語があるのではないかという淡い期待がある。
 ふと、足を止める。目に付いた本を棚から抜き出し、タイトルや本の装丁を確かめる。心惹かれる様な何かを感じたら、目次と最初の数ページを読んでみる。それで、買うか買わないかを決める。作者を知らなくても、作品を知らなくても構わないし、普段の自分ならまず読まない様なジャンルに挑戦してみるのもいい。そういう気軽さが105円の古本にはある。

 この『ランドリー』も、つい先日そうして買った本だった。初版発行は2002年。その頃自分は何をしていただろうかなんていう事を、ふと考える。
 ランドリーというタイトルなのに、表紙は何故か三つ並んだ大きな球体で、よく見ればそれはガスタンクなのだった。決して見た事がない物という訳ではない筈なのに、堂々と本の表紙を飾っている球体を見ていると、それが自分の知らない、何だか不思議なものの様に思えて来る。もちろん、このガスタンクも小説の内容と無関係ではない。
 最近、様々な機器が発売され、電子書籍が注目を集めていると報じられているけれど、自分としてはぜひ、表紙の楽しみは残しておいてもらいたい。

 二十歳の主人公、テルは『ばあさん』が経営するコインランドリーで、客の洗濯物が盗まれない様に見張る仕事をしている。なぜそんな仕事をしているかと言えば、テルの頭には、ばあさん曰く『子供のころ、マンホールに落ちたときにできた傷』があり、その時以来『人よりモノを覚えるのが下手になって、人よりモノを忘れるのが得意になった』テルは他のどんな仕事も上手くいかなかったからだ。しかしその事故の記憶は、テルにはない。

 テルが店番をするコインランドリーには多くの人々が訪れる。同居する息子夫婦の嫁から同じ洗濯機で下着を洗う事を拒まれてしまい、毎日洗濯にやって来る老人。写真が趣味だというお喋りなおばさん。主にテルをからかいに来る、18連敗中のボクサー。そして、そんな常連客とは別にコインランドリーを訪れた女性、水絵。
 そこからテルと水絵の物語が始まる。

 これも一つの恋愛小説だと呼べるのだろう。でも自分にとって、この作品は恋愛小説というよりも、生きる事に不器用な大人達の姿を描く為の物語である様に思える。ボーイミーツガールと呼ぶには大人になり過ぎてしまった二人の、その不器用な日々を描く物語。必死に『普通』であろうとして叶わない大人達の寓話。

 自分は思う。この国は『普通でない』事について酷く狭量だ。この場合の普通とは、別に社会常識がどうとか、道徳がどうだという事を意味しない。皆と同じである事が過剰に求められる国で、誰ともなく定めた『普通』という基準。それに従えない人間や、少数派として追いやられた人間に対して送られる冷たい視線。何をやっても上手く行かない、普通である事が出来ない人間は、社会によってどんどん追い込まれて行くが、それでも彼等は生きて行かなければならない。ままならない自分の、その身の置き場所を探さなくてはならない。

 作中で、ある登場人物は水絵に言う。
 『どうするつもりだ?』
 『一緒にやっていくのか?』
 『あいつを守ってやるためにはそれなりの犠牲を払わないと』

 けれど水絵はこう返す。
 『違うの。その反対』
 『彼といて、私は救われているの。私が彼に助けを求めたの』

 二人の物語が、おとぎ話の様に『Happily Ever After』になるのかどうかはわからない。世界はそんなに優しくないし、綺麗でもない。それでも、そんな二人の為の居場所が、その身の置き場所が、この狭量な世界の片隅の、本当に僅かな隙間の様な場所でもいいから、どこかにあって欲しいと自分は願う。別に二人の為を思ってではなく、同じ場所で生きる自分の、希望の為に。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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