楽園に行けない僕等は・本岡冬成『黄昏世界の絶対逃走』

 『――黄昏予報の時間です。本日午後の黄昏濃度は約八十パーセント、非常に濃くなる見通しです。発作的な自殺には注意しましょう。あなたは独りではありません。あなたの周りにはみんながいます。みんなの周りにはあなたがいます――』

 こんなラジオ放送と共に、この物語は始まる。
 全天を覆う茜色の空。本来の黄昏とは異なる、もう一つの黄昏によって青空が奪われた世界。黄昏はその下で暮らす人々の心に入り込み、蓄積され、やがて生きる気力を奪う。『黄昏病』と呼ばれるその病の末期になった人間は、ただ死ぬ事を待つばかりの抜け殻の様になったり、発作的に自ら死を選んだりする。そんな黄昏から逃れる為、人々は『黄昏の君』と呼ばれる存在に守られた街を作ったが、その青い空の下で暮らす事が出来るのはほんの一握りだけだった。
 そんな黄昏のない街で、荒事専門の何でも屋として働くカラスは、ある仕事を依頼される。それは黄昏世界へ向かい、移送中である黄昏の君を奪取する事。しかし彼に渡されたモノクロ写真に写っていたのは、巨大な機械に繋がれて眠る様に目を閉じる少女、メアリの姿だった――。

 唐突だが、自分は『終末』を描いた作品が好きだ。こうして文章を書いていても、「しゅうまつ」と打ち込んで最初に変換されるのは週末ではなく終末の方だ。
 今の若い子は知らないのかもしれないけれど、昔ノストラダムスっていうオッサンがいて、そのオッサンが書いた詩集を五島勉という人が『ノストラダムスの大予言』として紹介してしまったせいで、日本では少々困ったブームが巻き起こってしまった。大予言者ノストラダムス曰く『1999年7の月、恐怖の大王が降って来る』事によって人類が絶滅するという、終末予言がそれだ。不思議なもので、あれを知った人は大抵『自分がその時何歳か』って瞬時に計算してしまう。自分もやったけれどね。小学生の時に学校の図書館で大予言を知った時には結構ショックだった記憶がある。「え、自分こんな歳で死んじゃうんだ」ってね。
 1999年と言えば世紀末。その大きな節目に何かあるんじゃないかというのは余りにも出来過ぎてて、今思えば子供騙しなんだけれど、同時にそれを信じる人達が多かったっていうのは、人類の発展がどこまでも続くとか、科学万能とか、そういうポジティブな事ばかりを信じられない負の側面という奴があったからだと思う。例えば戦争とか核兵器。或いは公害とか環境破壊。そんなもののツケがいつか回ってくるんじゃないかという『変な期待感』が自分達にはあって、だから1999年が何事もなく過ぎ去った時、どうせそんな事だろうと思いつつもやっぱり自分は落胆した。

 それで1999年が過ぎ去った後、終末モノっていうのはもう流行らないんじゃないかと一度は思った。けれど実際には今でも終末を扱った作品はあるし、自分はそれをこんなにも求めている。それは何故なんだろうと自己分析してみると、多分、日常とか自分の命とか、そういったものの価値が自分の中で劣化しているからなのではないかと思う。単純に、危機が来れば相対的に命の価値は上がるから、もう一度それらの価値を信じられる様になるのではないかという考えだ。でも、もう一つの理由もある。

 普通に考えたら、何事もなく平穏無事に暮らせるという事にはそれだけで価値がある。日本に暮らしていて、こんなに治安も良くて、蛇口をひねれば水もお湯も使い放題で、スーパーやコンビニに行けばお金さえ払えば何でも買えて、何の文句があるのかと自分でも思う。でも同時に、そんなものに価値を感じられなくなっている自分も確かにここにいて、気付けば自分がここにいる意味や価値すら曖昧になっている。
 世界は安定していて、その枠組みは強固で、だからこそ自分の居場所が無い。自分がいてもいなくても世界は回る。その一方で世の中の都合に合わせられなくなった途端に、社会は個人を疎外し始める。

 そんな世界の片隅で、これからも息を殺して生きて行くのか。いつか来るだろう自分の命が終わる日まで、そうやって生きて行くつもりか。そう思うと、この作品の『黄昏』がもたらすのと同じ無力感が自分を襲っている事に気付く。先に挙げたもう一つの理由とはそれだ。自分が日々感じている『生き苦しさ』が、終末という世界観に反映されている。だから自分はそんな終末の姿を描いた作品に触れる事で、登場人物達が終末と向き合う姿を見たいと思うのだ。

 戦争や紛争、疫病や飢餓といった直接的な脅威は、まだ世界の至る所にある。けれど本作で、そんな実在する危機ではなく、黄昏という架空の危機が描かれるのは、きっとこの国が置かれている今、自分達が生きる今が、黄昏世界に近いものだからだろう。長く生きれば生きただけ、黄昏を胸に溜め込むしかない世界。人の生きる気力を少しずつ削いで行く世界。そんな世界でカラスは、黄昏の君であるメアリは、どう生きていくのか。永遠の落日に覆われた世界で、二人はどこへ向かうのか。

 『世界の果てに行きましょう。楽園に行けないのなら』

 彼等の絶対逃走の先にあるもの。そこで二人が手にするもの。現実を生きる自分には、それが酷く眩しい。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon