積み重ねる日々が刻むもの・入間人間『六百六十円の事情』

 

 たった数日前に書き込んだ自分の文章を読み返して、そのあまりの『世の中呪ってる感』に辟易した。でもまあそれが、その時の自分の偽らざる心境という奴である事は疑う余地もないのでそのままにする。このブログを始める時に決めた事は、アクセスカウンターを置かない事と、一度書いた文章は誤字脱字以外直さないし消さないという事だ。そして、そんな日々の積み重ねも一年が過ぎ、振り返れば確かに過去の自分から今の自分へと繋がっている。少し大袈裟かもしれないけれどね。

 何度も書いたけれど、自分は凡人だと思う。だからその人生を今振り返ったとしても、特筆すべき大事件など無い様に思える。世間の激動からすれば取るに足らない程の小さな起伏は確かにあっただろうけれど、それだけだ。耐え難い程の苦痛や不幸に襲われた事もなければ、脚光を浴びる程輝かしい何かを掴み取った事もない。「毎日が充実してますか?」と聞かれれば、「はて、充実って何だったでしょうね」と答えるしかない様な、そんなぼんやりとした毎日だ。
 そんな平穏な日々にこそ本当の価値があるんだと言われれば納得もする。けれど、心の中のある部分には固く尖った刺のようなものが刺さっていて、一度は納得した筈の心に違和感として残り続けている。そしてそれはいつまでも消えるという事がない。

 こんな事を書きながら、自分は思うのだ。
 『自分程度の奴は、掃いて捨てる程いる』

 人は皆それぞれが唯一無二の存在だと言われれば、それは確かにある意味ではその通り。でもそんな当たり前の事が何かの慰めになってくれるのなら、誰もその中で足掻いたりしないし、絶望したりしない。
 凡人は皆、理想とする自分の姿を一度は思い描いて、でもそこには届かないもどかしさや悔しさを抱えながら、今この場にいる等身大の自分を受け止めて生きて行くしかないのだろう。その受け止め方が肯定的なものになるか、否定的なものになるかは分からないとしても、その一見無駄とも思える毎日を積み重ねて行く事を人生と呼ぶのならば、そんな地味な戦いを死ぬまで続けて行くしかない。

 この『六百六十円の事情』もまた、そんな凡人達の物語だ。
 彼氏と同居して「逆ヒモ」の様な無職生活を送りながら、駅前でギターの弾き語りをする女性がいる。はっきりとした理由もなく、書店で本の万引きを繰り返してしまう少年がいる。夏休みに家出を決心する小学生の女の子もいれば、互いにニートをやっているカップルもいて、そんな彼等より遥かに歳を重ねた老人もいる。そして、そんな彼等を取り巻く人々がいる。
 彼等が『カツ丼は作れますか?』というネット掲示板の書き込みによって繋がる時、そこには一つの物語が生まれる。でもそれは本当に小規模な物語で、世界の危機を救う訳でもなければ、難事件を名推理で解決する訳でもない。その物語を乗り越えた彼等の、その後の人生が劇的に変化するという訳でもない。そう、言い換えればそれは平凡な日常の積み重ねの中に生じた小さな起伏の様なものでしかない。現実を生きる自分達の毎日がそうである様に。

 『アタシは今、冬のほどよく暖まったふとんの中に生まれる、あの幸せなまどろみの中にいるみたいだ。だから今のいい気分は一時だけで、もう一度明け方を迎えてしまったら暑苦しいほどの現実に全方位から襲われるのかもしれない。なにもかもが変わっていけるような空気に触れながら、それが錯覚なのだろうと弱気になったり、信じようと思ったり。』

 凡人である自分の毎日。ただ無為に過ぎ去って行く様なその毎日にも、きっと何かの物語は潜んでいる。その積み重ねる日々が刻むものが、無駄ではないのだと今は信じたい。まあ、明日にはこの気持ちも錯覚だったんじゃないだろうか、なんて弱気になっているかもしれないけれどね。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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