持てる者の驕り

 以前、『ベーシック・インカム』という考え方についてこんな事を書いたけれど、またネットでこんな記事を見た。

 YOMIURI ONLINE『「地球人手当」で貧困解消』

 地球人手当ってアンタ。
 でも、荒唐無稽だとか実現不可能だとか様々な言い方はあるとしても、この大学教授の言いたい事も何となく理解は出来る。賛成は出来ないけれど。

 この世界には一握りの富裕層と、夥しい数の貧困層がいる。それは仕方がない。だが、富める者が貧しき者の為に僅かばかりの金を恵んでやれたなら、貧困層が生きる上での困難はその多くが解決するのではないか。例えば先進諸国では当たり前に接種されているワクチンが手に入らない事によって発展途上国では多くの乳幼児が死んで行くし、安全な飲料水を確保する事が出来ない為に、比喩ではなく泥水を啜って生きている人々もいる。公園にすら水道が完備されている日本に住んでいるとこうした問題を実感する事は難しいが、それが現実だ。自分は先進国と発展途上国という区分けもあまり好きではないけれど、事実としてそうした事があるという事は理解しているつもりだ。

 そこで、だ。その事実は事実として、そうした問題を解決する為に、富裕層から徴収した金を貧困層に分配するという方法は正しいのか。貧困層にも最低限の生活を保証すべきと言うのなら、その最低限とはどの程度の暮らしの事を言うのだろう。そもそも、この地球上に住んでいる人間全てが先進諸国並の暮らしをする事は物理的に不可能だ。では可能な範囲で人類全体の生活レベルをある程度底上げして行こうと考える時、その生活水準はどの程度のものとすれば良いのだろう。そして、その為に自分たちの暮らしが今よりも不便なものになるのだとすれば、我々はそれをどこまで許容出来るのだろう。疑問ばかりで、答えが無い。

 『人々は見たいものしか見ない。世界がどういう悲惨に覆われているか、気にもしない。見れば自分が無力感に襲われるだけだし、あるいは本当に無力な人間が、自分は無力だと居直って怠惰の言い訳をするだけだ。だが、それでもそこはわたしが育った世界だ。スターバックスに行き、アマゾンで買い物をし、見たいものだけを見て暮らす。わたしはそんな堕落した世界を愛しているし、そこに生きる人々を大切に思う。文明は……良心は、もろく、壊れやすいものだ。文明は概してより他者の幸せを願う方向に進んでいるが、まだじゅうぶんじゃない。本気で、世界中の悲惨をなくそうと決意するほどには』
 (伊藤計劃『虐殺器官』より)

 自分は思う。ベーシック・インカム的な事を自分達の様な先進諸国側の人間が一方的に考えるという事は正しいのだろうか。そこに驕りはないのか。それも日常的に彼等から搾取して生きている自分達が。
 驕り。言い換えるなら、自分達の価値基準で相手を判断し、同情し、施しを与えるという事。相手を「持たざる者である」と規定する事。そんな事が可能な程自分達は上等な存在なのか。一度は奪っておきながら、今度は善人顔で相手に手を差し伸べるのか。

 『やらない善よりやる偽善だ』と誰かが言った。それはある意味で正しいのかもしれない。でも自分にはそれが腑に落ちない。そこには嘘の臭いがする。持てる者の漂わせる腐臭がする。腹の底から腐っている、そんな臭いが。そして多分、自分も例外ではないのだろう。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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