仕事だから、なんていう言い訳

 いくらなんでもここ放置し過ぎだろ自分。
 理由は簡単。仕事が忙しいから。本を読む時間も取れない有様だ。でもこの『仕事が忙しいから』という言い訳を使う時、ふと自分は日本人なんだななんて事を思う。

 日本人は、何だかんだ言って仕事というものを重視していると思う。例えば誰かが待ち合わせに遅れた時、単に私用で遅れたと言われた場合と、仕事で遅れたと言われた場合では受け止め方が違うだろう。遅れた事実は変わらないのに、仕事だったと言われた途端に「まあ仕事じゃしょうがないな」と思ってしまう自分がいる。その言い訳が本当かどうかは別として。

 でも、ここでちょっと意地悪な考え方をしてみる。何で他の場合だと言い訳にならない様な状況でも仕事だとしょうがない、という事になるのか。自分達はそれだけ仕事というものに重きを置いているのだろうけれど、では仕事というものが個人に何らかの不自由を強いたり、犠牲を求めたりする状況があるとして、自分達は『仕事だから』という一言でどこまでそれらを許容出来るものなのだろう。
 また、本当はやりたくない様な事でも、仕事上遂行義務があれば『仕事だから』と言って自分達はそれをやる。仕事だからの一言で思考停止して、自分の判断というものをどこかに投げ捨てて、黙々とそれをこなす事が出来るし、普段その事に疑問を持つ事もない。それどころか、「まあ仕事じゃしょうがねーな」なんて周囲もそれなりに理解し、場合によっては同情までしてくれる。

 「何だそれ」

 何だかそういう事を当然の事として生きている大人としての自分や社会人としての自分に対して、時々少し離れた位置から不貞腐れた様な顔を向けている遠い昔の自分がいたりする。そして、何だそれ、なんて不満で一杯の台詞を投げ付けて来る。あからさまにこっちを睨みつつ。

 「まあそう言うなよ、仕事なんだからよ。しょうがねーんだよ」

 とか自分に言ってみるけれど、同時に『こいつこんなんじゃ納得しねーよな』という事も実はわかっている。まあ自分の事だし。それでもそうやって生活して行かなければならない今の自分はどうするかというと、そんな答えは容易には見付からないのだった。強いて言えば『ここまで譲ったら負け』という様なものだけは何か持っている様にする事くらいしかない。強がりでも何でも。

 例えば人生9割妥協で生きていても、そこだけは守ろう、譲らずにいようという様な芯。自分の中心に通っているそんな芯を見付ける事。その芯が揺らぐ時にも、何とか最後までそれを守って行こうとする事。それは難しいけれど、でも、やるしかない。自分に顔向け出来る自分でいる為に。なかなか骨が折れるな、とは思うけれど。 

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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Author:黒犬
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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