若い奴に言いたい事なんか何も無い

 今日でまた一つ年を取った。気が滅入るが仕方ない。子供の頃と違って、誕生日が嬉しくも何とも無いのは自分が既に30を超えたからなんだろうと思う。今日から32かよっていうね。

 ブログをやっていて便利な事は、一年前の自分が誕生日に何を考えていたかという記録が簡単に閲覧出来る事だろう。で、一年前の文章を読み返したのだけれど、流石自分が書いた文章だと思う。何故ってこれをこのまま今年の分として転載すれば今日の記事を書く必要は無いんじゃないのかと思える位、考え方が変わっていない。良く言えば一貫している。悪く言えば進歩が無い。

 で、本当に転載で済ませようかと思いつつも、内なるもう一人の自分が「そんな手抜きが許されると思ってんのか」とこっちを睨むので、「じゃあ何かネタくらい出せ」と言い返したところ、そいつは呆れ顔でこんな事を言いやがった。

 「お前もいい歳になったんだ。そろそろ『自分の事だけで手一杯だ』とか情けない事を言うのは止めて、昨今の若者に対して何か言うべき事があるんじゃないか?具体的には『こんな大人になるな』とか」
 「大きなお世話だよ」

 さて、そんな一人芝居を演じつつ真面目に考えてみたのだけれど、自分の中に『最近の若い者』とやらに対して年長者の立場から何か語るべき事があったかと言えば、そんなものは何も無いのだった。本当に綺麗さっぱり何も無い。
 自分には偉そうな事は言えないとか、そんな権利なんてないとか、そもそも他人に興味がないとか、助けて欲しいのはこっちの方だとか、理由は色々と思い浮かぶ。そのどれもが本当なんだろうとも思うし、逆にその全てが本当の答えから微妙にずれている様な気もする。それでも確かな事は、自分から他人に何を言おうと、逆に他人から何と言われようと、自分達は各々が個人としてそれぞれの戦場で生きて行かなければならないという事だ。自らの脚で歩かなくてはならないという事だ。

 生きる事は困難だ。人間には皆それぞれの戦場がある。子供には子供の戦場があり、大人には大人の戦場がある。自分は、親に養われている奴は大人と比べて楽に生きているなんて思わないし、社会人になって仕事をしているから子供より生きる事が困難だなんていう風にも思わない。常識的に考えて、子供よりも大人の方がより社会的責任が重いという事は確かだが、それは子供達が生きる戦場が大人のそれと比べてぬるま湯だという事を意味しない。

 要するに何が言いたいかといえば、自分から見てどれだけ若い世代も自分にとっては対等だという事だ。同じ様にそれぞれの戦場に立つ、対等な存在だという事だ。例え相手が小学生であってもね。
 そんな存在に対して自分の口から言える事があるとするなら、それは「最近の若い者は」という上から目線の説教や忠告の類である筈がない。自分に言える事は、ほんの些細な、互いの生存確認の様な言葉でしかない。自分はここでこうして何とか生きているけれど、そっちはどうだい?という様な。

 多分そんな生存報告の様な言葉を、自分はこれからもこの場所で呟いて行くのだろうと思う。そしてまた一年後に過去の自分を振り返って、そのあまりの進歩の無さというか頑固さに苦笑するに違いない。そんな、一見無駄とも思える毎日を積み上げて行く事を人生と呼ぶのならば、それが許されている今に素直に感謝しておこうと思う。

 当たり前に続く毎日に。本当はそれが当たり前ではないという事実に。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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