死刑制度と法相への責任論

 今まで死刑廃止論者だった千葉景子法務大臣が、ここに来て死刑執行命令書に署名した結果、2名の死刑囚に刑が執行されたという。千葉法相は先の選挙で落選しているのに何故まだ法相の地位にいるのかとか、これまでの在任中に一切死刑を執行して来なかったのに、何故落選後の今になって死刑執行に踏み切ったのかとか、千葉法相に対する世論は厳しいものが多い。中には今回の死刑執行に関して、刑の執行に立ち会った事も含めて一種のパフォーマンスなのではないかとする見方もある様で、その真偽は別としても野党からの追求は免れないだろう。

 上記の問題もあり、死刑を取り巻く議論が再び活発化している様だ。人々の関心が薄くなり、一切語られないよりは良いのかもしれないが、この様な注目のされ方はいかがなものかと思う。

 今回の問題を契機として死刑制度の是非について語ろうとするならば、まず個々の問題について切り離して考える必要がある。全ての問題を一口に語ろうとすると、死刑制度そのものの是非という最も重要な問題がぼやけてしまうからだ。
 上記を踏まえて具体的に今回の問題を切り分けて行くと、以下の様になると思う。

1.現職の法相として選挙に挑んだ結果、落選した人物が依然法相の地位にある事についての是非
2.死刑廃止論者が法相の地位にあっても良いのかという問題
3.死刑廃止論者が法相を務める事で、死刑執行が滞る事の是非
4.死刑廃止論者が一転して死刑執行に踏み切った事に対する是非と説明責任
5.千葉法相個人の資質問題
6.死刑制度そのものの是非

 1、2に関しては選挙による民意の反映と、任命権者の責任に関する問題であり、3に関しては「個人の思想は公職としての義務に優越するのか」という問題だ。4、5は千葉法相個人の政治信条や倫理観を問うもの。そして6が根本的な死刑制度の是非だ。

 これらに細分化できる問題を一口に論じてしまう事は、当然問題を見え難くする。だからネット上でも見られる様な『今回の千葉法相の死刑執行に関して賛成か反対か』というアンケートには実は意味が無い。例えば「死刑制度には賛成だが、千葉法相がそれを執行した事には反対」という回答と「法相が誰であれ、死刑は執行されるべきだから賛成」という回答は、どちらも死刑制度そのものの否定ではない。逆に「死刑制度は廃止されるべきだから反対」という回答と「死刑制度は廃止されるべきだが、現行法がそれを認めている以上、法相は公職としての責務を優先させるべきであり、賛成」という回答はどちらも死刑制度に疑問を投げかけている。

 アンケートや世論調査といった統計が生み出す数字が厄介なのは、質問の立て方一つでいかようにも変わってしまう数字が、あたかも客観的な正当性を持っているかの様に振舞う事だ。自分達にまず必要なのは、そんな数字を疑ってかかる事なのかもしれない。

テーマ : 死刑制度について
ジャンル : 政治・経済

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon