自分は何処に立って生きるのか・マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』

 哲学の本というと、物凄くとっつきにくいイメージがあるのではないだろうか。実際哲学というと、高校で習う倫理や世界史の中で、哲学者の名前や著書、その思想等を一行知識として暗記する程度で、その後の日常生活の中でそれらが意識に上ってくる事は少ない様に思う。
 「自分は○○主義者だ」なんて冗談めかして言う事はあっても、例えば自分が功利主義者なのか自由至上主義者なのか、なんていう堅い事を本気で考える機会はなかなかないし、実際、そんな事を考えなくても生きて行く上ではあまり困らない。でも、自分達が意識していないだけで、実は自分達はそれぞれが功利主義的な判断をしていたり、自由至上主義的な選択をしていたりする。

 当然、哲学者ではない自分達の場合は、その場その場で場当たり的な判断をしている訳で、ある時は功利主義的な判断をしたかと思うと、またある時は自由至上主義的な判断をしたりと、実はその主義主張には哲学的な意味での一貫性がない。
 自分が思うに、哲学者と呼ばれる人々はそんな自分の立ち位置を厳格に定めて生きている人々の様に思える。そしてこれは偏見だが、自分に厳しい人が他者に対しても一定の厳しさを持つ様に、哲学者という人々は他者に対しても「貴方はどんな主義主張を持って生きているのですか」という問いを発せずにはいられないのではないか。

 さて、本著がそのメインテーマに据えるのは『正義』についてだ。自分はこの正義という言葉はなかなか厄介なものだと思っているのだけれど、それでもあえてこの本を読もうと思ったのは、本著が単に哲学的思想について語った本ではなく、哲学という堅いテーマを語る為に、今現在、実際に自分達の身近に起こっている問題を取り上げているからだ。

 例えば、ハリケーンでライフラインが寸断され、家財を失った人々に対して、生活必需品等の便乗値上げが行われる事は正しいのか否か。或いは、米軍が名誉負傷者に贈るパープルハート勲章の対象者にPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥った兵士を含める事は正しいのか否か。民間軍事企業の様な営利企業に戦争を外注する事は正しいのか否か。同じく妊娠出産の外注と言うべき代理出産はどうか。マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツに代表される様な一部の大富豪に対して、貧困層との格差を埋める目的で更なる課税を行う事は許されるべきか。そして、そんな個々の問題について哲学はどの様な回答を用意しているのか。

 有史以来、様々な人々が様々な問題について自らの考えを述べて来た。それはある時は哲学になり、ある時は宗教になり、またある時は社会的な規範となった。更にそれらは時代の変化とともに流動し、人々の価値観もまた移り変わって行った。
 そんな中で確かな事は、これから先も自分達の前には様々な倫理的、哲学的な課題が現れるだろうという事と、その個々の問題に対して自分達が何らかの回答を出そうとする時、先人達の哲学というものがある一定の助けとなるだろうという事だ。更に、日本人が好きな『中立的な立場で物事を考える』とか『間を取る』という考え方では、物事の本質に迫る上で限界があるだろうという事だ。もちろん、そんな日本人的な考え方が有効な場面も数多くあることを理解した上で、自分はそう思う。

 例えば先日死刑制度について書いたが、この問題について語る時、自分は犯罪被害者と死刑囚のどちらの側に立って物事を考えるのか。またはそのどちらにも属さず、俯瞰的な立場を取るのか。
 公平な立場で各々が納得出来る様な答えを導く手段がないものかと多くの日本人は考える。ただそれは自分の立場を明らかにする事無く問題に接しようとする事ではないのか。それは不実な態度とは言えないか。自省も含めてね。

 自分の哲学を明らかにせずに物事に接する事の是非を問われる時、果たして自分はどんな主義主張を、哲学を持って生きているのかという反省がそこには求められる。その厳しさを前にして、自分達はどんな答えを出し、どの様に生きて行く事を選択するのか。本著が語る『正義』とは、言い換えればそんな事なのかもしれない。

 

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ジャンル : 本・雑誌

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