いつか辿り着く果ての世界で アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』

 戦争やテロ、貧困や飢餓等、人類は依然として多くの問題を抱え込んでいる。人種差別や宗教的な対立等も根強い。そして、そうした問題を解決する糸口を、自分達はまだ掴んでいない。

 ここで一つ想像してみる。もしもある時、人類より遥かに優れた知性と文明を持ち合わせた種族が宇宙の彼方から飛来して、彼等から見れば無知蒙昧の輩であろう我々の事を助けてくれようとしたなら、その時自分達は何を思うのか。そして彼等にはどの様な意図があるのだろうか。この『幼年期の終り』はそんなテーマから出発し、やがて人類が迎える大きな転機を描いて行く物語だ。

 この物語では、オーバーロードと呼ばれる地球外生命体と人類との関係が描かれる。それは当初、交流と呼ぶのも憚られる一方通行に近い関係ではあったが、彼等の干渉によって人類は自らが抱え込んでいた様々な問題にようやく終止符を打つ事となる。
 食糧問題は解決し、貧困や飢えは地上から追放された。そして国家間の戦争は過去のものとなった。人類自らの手によってではなく、オーバーロードの導きによってだ。人々はそんなオーバーロードの思惑に疑問を感じつつも、与えられた恩恵を享受する事に夢中になった。

 その後の人類がどんな道を辿る事になったか。そしてオーバーロードの思惑とは何であったのかは本著を読んで頂くとして、自分達が本著の様な世界観を想像する背景には、人類が直面するどうしようもない現実があるのだろう。
 自分達人類はもう、自らが抱え込んだ問題の全てを自らの手によって解決するだけの力を持たなくなってしまったのだろうか。一つ一つの問題は今や複雑に絡まり合い、制御不能な怪物であるかの様に振舞っている。自分達は人類という一つの種族でありながら、異なる言語を話し、異なる文化や信仰に立脚し、異なる国と国との境界線を、そしてその内側に存在する自らの陣営の利益を守り通す事に汲々としている。どれだけ通信網が発達し情報が行き交う様になっても利害の対立は無くならず、過去の歴史がもたらす遺恨は消えない。そして、その前提に立って生きる自分達には、自分達を規定し束縛する強固な殻を壊すだけの力がない。
 まるで卵の殻を打ち破る力を持たない雛鳥の様に、自分達は自らを覆う殻の内側で腐って行こうとしている。

 そんな時に超越的な存在が救いの手を差し伸べ、その殻を叩き割ろうとする。そんな事が実際にあったとしたら、その時自分達はどうするのだろう。

 本心を言えば、その助けに縋りたいという思いは強い。けれど、それは同時に、今まで自分達や自分達の先祖がこの星の上で苦しみ這いずる様にして積み上げてきた全ての努力を投げ捨てる事と同じなのだろう。
 例えるならそれは数学の難問で回答を導き出そうとして、ああでもないこうでもないと必死に式を書いている時に、横から回答が投げ与えられる様なものなのかもしれない。「お前、今まで必死にあれこれ考えてたみたいだけど、それ全部無駄だから。これが答えだから」とでも言う様な無慈悲さがそこにはある。人類はその荒療治を受け入れる事が出来るだろうか。

 歴史の中で積み上げられた人類の葛藤や、努力や、倫理や哲学。それらが全てまとめて「間違った解答」として屑篭に投げ込まれる様な無慈悲さに耐えてでも、自分達はその先に進むべきなのだろうか。それともいつ正しい答えに辿り着くかわからない、そもそも間違っているかもしれない歪な式を、あくまでも自分達の力で解いて行こうと試みるべきなのだろうか。その答えは容易には出ない。しかしただ一つ確かな事は、いつ訪れるかわからない、人類が何らかの回答を得る『その時』がやって来るまでは、例え後世から見れば無駄としか思えない様な日々でも、間違いとしか思えない様な道でも、自分達はそれを進んで行くしかないのだろうという事だ。

 やがてこの物語の様に、人類が新たな局面へと向かう日が来るのかもしれない。今を生きる自分の日々などは、その時に捨て行かれるものの側に属しているのだろう。その時が永遠に来なければ良いとも思うし、早く来れば良いとも思う。それは人類という種族の果てを見てみたいという破滅的な欲求でもある。

 いずれにせよ、それは溜息が出る様な遠い道程だろう。道の先はどこに繋がっているものか見えやしない。それでも何とか呼吸をしながら、自分達は歩いている。そして、これから先もその果てを目指して歩いて行くのかもしれない。

 

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ジャンル : 小説・文学

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