悲劇や懐古ではない戦争とは何か

 書こうか書くまいか考えたけれど、やはり書いておこうと思う。

 終戦記念日と前後して戦争を扱った様々な番組が放送されたけれど、自分も見られる範囲でそれらを見た。ドラマがあったり、ドキュメンタリーがあったりしたが、でもそのどれを見ても『何となく違うんだよな』という違和感が消えない。自分が知りたい戦争ってこんなものだったか。

 今の日本で戦争を扱った番組は何種類かのパターンがある。切り口と言ってもいい。
 一つは『悲劇』だ。戦争は酷い、悲惨だった、辛いものだった。『二度と繰り返してはならない「あの」戦争』という側面を強調する。その悲劇を語り継ぐ事は大事かもしれない。意味があるかもしれない。でも、それだけが戦争を語るという事か。戦争について考えるという事か。

 もう一つは『懐古』だ。戦争は誤りだった。だが、あの頃の日本人は素晴らしかった。その精神や生き様は賞賛されてしかるべきだった。今の日本人からは失われたものがそこにはあった。そんな構成で日本人の姿を肯定的に描く。でも、殊更に過去の日本人の素晴らしさを描く事は、現代の日本人を批判的に捉える事でもある。それに、昔は良かったと言うのなら、何故今の自分達はその様に生きられないのか。そして何故今の日本はここまで歪んだのか。戦争を乗り越えた世代が作ったにもかかわらずだ。

 他にも戦争の描き方は色々とあるのだろう。でも、何で戦争というものが今この瞬間も世界に存在するのか真剣に考えるならば、実はそれは『今現在戦争をやっている国に聞く』のが一番なのではないか。

 自分達日本人が過去の戦争を振り返る時、そこには様々なバイアスがかかっている。それは悲劇だったり懐古だったりするが、そんなものが入り込む余地が無い程、実は戦争という奴は身も蓋もないものなのではないか。過去の戦争を振り返ってそこに浸る事が許されるのは、戦争というものを過去に置き去りにして来たこの日本だけで、現在進行形の戦争や身近な脅威を抱えている国にはただ現実としての戦争が横たわっているだけなのではないか。そして間違いなく、そんな国はまだ世界中にある。

 今の戦争は昔と違って、国と国との明確な衝突の上で、勝った国が国境線を引き直す権利を得る様な、こう言っては何だが『為政者にとって旨みのある戦争』ではなくなった。言うまでもなく侵略戦争などもってのほかであり、戦う事には国際社会の理解を得る為の正当な理由と手続きが必要になった。こうなると、前述した通り戦いに勝ったとしても直接的な見返りを得る事は難しい。
 だが、それでも戦争をする国はあり、現在もなお継続中なのだ。その事を自分達日本人はどう考えるのか。

 そこでは少なくない血が流されている。そこでは数多くの兵士や民間人が傷つき、また死んで行く。それでも現実として戦いは継続され続ける。多大な人的損害と、膨大な額の戦費を飲み込みつつ。それを自分達はどう捉えているのか。過去の戦争に想いを馳せる以前に、今この世界で実際に継続され続ける戦争について何を考えているのか。何を考えればいいのか。

 毎年8月になると、自分達日本人は戦争について考えようと試みる。そして過去の戦争を振り返る。でもそれはただ昔を振り返るだけになってはいないか。戦争について考える時の日本人の立ち位置は、視点は、本当にそこにしか存在しないのか。

 この夏自分は確かに戦争をテーマにした番組を数多く見た。でもそれで戦争について何か感じたか。分かったか。理解できたか。毎年同じ様な事を繰り返して、また夏が来れば思い出す程度の曖昧な認識でいいと思っているのか。悪いと思うのなら具体的に何かしたか。

 何だか、考えれば考える程核心から離れて行く様な気がする。最初に書いた通り『何となく違う』という違和感が拭えない。自分の知りたいものはここにはない。自分が考えたいのはこんな事ではない。ならば何だと言われるとその答えは分からない。分からないままで、また8月は過ぎて行く。だからだろうか、毎年終戦記念日を過ぎると妙な焦燥感と苛立ちが湧き上がる。

 多分自分は怒っている。その怒りをぶつける対象がはっきりしない中で、苛立ちだけがぐるぐると回っている。

テーマ : 軍事・平和
ジャンル : 政治・経済

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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