終われない世界の中で・世界の終わり『EARTH』

 最初は『世界の終わり』がアルバムタイトルで、『EARTH』がバンド名なのかと勘違いしていたが、実際はその逆という凄い名前のバンド。ラジオやTVの歌番組で紹介される時に「次の曲は『世界の終わり』で『虹色の戦争』です」とか「本日のゲストは『世界の終わり』の皆さんです」と紹介される事になるのかと思うとなかなか奇妙で面白い。

 自分からすれば、例えばこのバンド名がアルバムタイトルで、『Slipknot』辺りがあのいつもの調子でゴリゴリのメタルをやっているのなら違和感が無いのだけれど、この『世界の終わり』の楽曲はそれとは正反対に、どこまでもポップでキャッチーだ。ギターボーカルで作詞・作曲も手掛ける深瀬慧の声はまだどことなく幼さを残した様な透明感を持ち、とても『世界の終わり』という言葉から連想される様な悲壮感は感じられない。

 ただ、メロディーもボーカルもクセがなく、とてもポップに仕上がっていながら、その歌詞は思春期の少年が世界に対して抱く様な疑問をそのまま持ち込んだ様にある種の頑なさを感じさせる。「今の世の中そういう事になってんだよ」とか「そんな事悩んだってどうにもならんだろ」という、自分達が日常生活で当たり前に処理し通り過ぎる問題に、この歌詞の中に生きている少年はいちいち躓く。そうやっていちいち躓くから、嫌でもそこに問題がある事や、日常の中にある欺瞞が眼に入る。彼にはそれを解決できるだけの力がある訳でもないが、だからといってそれを見なかった事にする事も出来ない。そのジレンマが、歌詞に現れている様な気もする。


“「セカイ」の中に花は入っていない
 「世界」の中に人は入っていない”
“猟奇的な一般の市民は「世界」中で血の雨を降らし
 「セカイ」中で一つになってこういうんだ  「世界平和」”
 『世界平和』


 大人の立場から一言で切り捨ててしまえば、やはり青臭い。
 何故なら、少年が酷いと感じている世界の仕組みや、世の中に蔓延する欺瞞は、大人が生きている世界の中では、大人が生きて行くと決めた世界の中では前提でしかないからだ。世界の仕組みは確かに完全ではない。社会は少年が信じたい様な『本当の事』だけで出来てはいないし、優しくもない。その中で何を守り、何を犠牲にするのか切り分けながら大人は生きている。
 世界の厳しさも、社会の欺瞞も、大人は知っている。気付いている。だからといってその問題の多くを今すぐに解決する力が無い事は少年も大人も同じだが、それでも大人が少年の様な潔癖さで生きるのではなく、社会の欺瞞の中に身を浸して生きて行くのは、生きて行かなければならないのは、たとえ世界がどんなに狂っていようが、間違っていようが、それを終わりにする訳には行かないと知っているからだ。その狂った世界の中で生きている人々の中に、大人が守らなければならない大事な人がいる限りは。

 それでも、そうやって欺瞞の中に身を浸して生きる事を選んだ大人達でも、時々は昔を思い出す事もある。かつて自分にも少年と同じ様に解決できない疑問を抱えて過ごした時期があった事を。その時の自分が燃やしていた、欺瞞への激しい怒りを。それはきっとこんな風に、無垢な少年の様な怒りを歌い上げる誰かがいて、その歌声が風に乗って耳に届く時なのかもしれない。

 最後に。アルバムジャケットにローマ字表記された『SEKAI NO OWARI』の文字の、色付けされた部分だけを読むと『NO WAR』になる。誰もがそうやって戦争の無い世界を望んでいながら、戦争が世界から消えて無くなった事はない。そういう世界で自分達は生きている。それでも終わらせる訳には行かない世界で、生きて行く。
 
 

テーマ : J-POP
ジャンル : 音楽

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Author:黒犬
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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